昭和天皇が掲げられた五箇条御誓文

 元日と言えば新年を寿ぐのが通例であり、この日に何か特別な政治的メッセージが発せられる例はあまりないが、かつて元日に国民に向けて天皇陛下の詔書が発せられたことがある。昭和二十一年の元日、まだ終戦から四カ月余りしか経っていない、東京にはまだ焼け野が原が広がっていたときのことである。

 一月一日に発せられたことも異例だが、この詔書が占領下にあってGHQが主導し、当初「天皇の神格否定を目的として」企画されたことはさらに異例だった。そのために、今でも教科書などでは「人間宣言」などと呼ばれているが、詔書には人間という言葉も宣言という言葉も登場しない。公的には「新日本建設に関する詔書」と呼ばれている。

 さらに、冒頭に明治元年の「五箇条御誓文」が掲げられていたこともまた異例と言えよう。詔書はこういう言葉で始まっている。

 「茲に新年を迎ふ。顧みれば、明治天皇、明治の初め、国是として五箇条の御誓文を下したまへり」と。こう述べられた後、「一、広く会議を興し、万機、公論に決すべし」からはじまる五箇条が掲げられ、そのうえで「叡旨、公明正大。又、何をか加へん。朕は、茲に誓いを新たにして、国運を開かんと欲す」と、詔書の冒頭部分には記されている(詔書の片仮名表記は平仮名に書き改めた)。

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 この冒頭の五箇条御誓文の部分は詔書の原案にはなかった。それを加えられたのは昭和天皇のご意向であった。昭和天皇はのちにその理由をこう述べておられる(昭和五十二年八月二十三日、那須御用邸)。

 「それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。(中略)民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条御誓文』を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要があったと思います」(引用は高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』)

 なぜ、民主主義が輸入のものではないことを示す必要があったのか。昭和天皇は続けてこう述べられている。

 「日本の誇りを日本国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです」

 敗戦から四カ月余り、GHQが打ち出す占領政策のなかで早くも米国流の民主主義を持て囃す風潮が強まり、また、戦前の日本はすべて悪いものであったとの宣伝も浸透し始めていた。そうしたなか、「日本の国民が日本の誇りを忘れないように」と願われ、「民主主義というものは決して輸入のものではない」ことを示すために五箇条御誓文を詔書の冒頭に掲げられた、というのである。

 詔書のなかで昭和天皇は「叡旨」つまり明治天皇の思し召しは「公明正大」であり、「又、何をか加へん」、何も付け加えることはないと述べておられる。こんな立派な御誓文から近代の日本が始まったのだ、それこそが日本の誇りなのだとの確信がおありになったのであろう。

 昭和天皇がこの詔書を発せられてから七十三年。今、昭和天皇が願われた「日本の誇り」を持っている日本人はどれほどいるのだろうかと考えれば、忸怩たる思いがする。五箇条御誓文が発せられてから百五十年の今年、この御誓文が誇りを持って各地で語られる年になれば、明治維新百五十年を意義ある年とすることができる。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成30年1月号〉