筋が通らない護憲派の言い分

 安保法制が成立したのは一昨年の九月だが、希望・民進、立民の議員たちにとっては未だにこれは違憲の法律であるらしい。民進、立民の議員がそう主張するのは、従来からの主張からいって、これは当然のことかも知れないが、先の衆院選の際、安保法制を容認することを誓約して希望入りした議員までが、改めてこう主張し始めているのを見ると、彼らにとっての憲法第9条の解釈はそれほどまでに思考を固定化し、自由な発想そのものを奪うものなのか、と改めて驚かざるを得ない。

 これまで集団的自衛権の行使は許されない、としてきた政府がその憲法第9条の解釈を一方的に変えたことが憲法違反だ、というのがこれらの議員たちのいい分である。しかし、筆者としては「本当にそうなの?」と、実は問うてみたい思いがするのが率直なところだ。というのも、そんなに憲法解釈が厳格で杓子定規なものでなければならないとするなら、ならばそもそも自衛隊を合憲とした現在の政府解釈はその原則からいってどうなのか、むしろこれをこそ問題とすべきではないか、といいたくなるからだ。

 筆者はむろん現在の政府解釈を否定する者ではない。しかし、客観的にいえば、この第9条から自衛隊の存在を引き出すこの政府解釈は、かなりの拡大解釈たることは否めず、その柔軟性を一方では認めつつ、安保法制に対しては憲法解釈の厳格性・固定性を殊更いうというのは、少々バランスを欠くのではないか、と思われてならないのだ。

 政府解釈を一方的に変えたというが、一昨年の集団的自衛権に関わる解釈変更は、「必要最小限の自衛権行使」という従来の解釈の枠を依然として維持した上でのもので、いわゆる「芦田解釈」に一方的に変更したものでも、全面的な集団的自衛権行使を認めたものでもない。あくまでもわが国の存立に関わる範囲での、それも自国防衛を目的とする場合における一部行使を、新たに限定的に認めただけのものにすぎない。それがどうして解釈の「根本的変更」となり、「違憲」の憲法解釈という話になるのか、筆者には何とも理解しがたい、というのが率直な感想だ。

 それだけではない。この第9条の1項・2項をあえて維持したままで、その第9条への加憲によって自衛隊の存在を明記したい、との今回の安倍首相の提案に対しても、それでは違憲の安保法制を容認することにつながるから反対だ、とこれらの議員たちは主張している。しかし、安保法制審議の際は、この法制がどうしても必要だというのなら、憲法を堂々と変えてから提案するのが筋だ、と彼らは主張していたのだ。それが実際に憲法改正となったら、今度は反対だ、というのでは、そもそも筋も何もあったものではない。要は「安倍首相のいうことには何でも反対」というだけの話ではないか。

 一体、どうしてこんな駄々っ子のような議論がまかり通るのだろうか。立憲主義を守れ、とこれらの議員たちはいう。しかし、それをいうのなら、国家にとって最も根本的で国民の人権にも本質的に関わる自衛隊を、どうして憲法に正式に規定しようとしないのか。こんな自衛隊のような巨大な実力組織を、憲法にも規定せずにそのまま放置するのは、むしろそちらの方が立憲主義に反するのではないか。

 国家権力を縛るのが憲法の役割だとこれらの議員たちはいう。それは結構だが、その権力をまず正当に憲法上規定することもしないで、口を開けばただ制限だけをいうというのは、要は子供が可愛いといいつつ、実は親の責任を果たさない「育児放棄」に等しい、という他ない。

 これからもかかる議論は主張されていこう。しかし、これほど筋の通らない議論もない。その都度反論していくことが今後は課題となろう。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成30年2月号〉