日本の力と誇りを改めて考える

 今回の大震災の犠牲者は最終的に2万5千名を超すといわれる。衷心より哀悼の意を表するとともに、家族や家を失い、のみならず今なお避難所での暮らしを余儀なくされている20万人にも及ぶとされる方々にお見舞いを申し上げたい。

 福島第一原発の現状は今なお予断を許さず、放射線物質の影響はいよいよ広範囲に及び始めている。現場では既に被曝者も出始めており、原子炉冷却化の作業は一進一退が現実だともいう。

 とはいえ、非常事態というものはわれわれに常日頃考えることもない重要なものに改めて気づかせてくれるようだ。例えば、海外のメディアなどが挙って賞賛する日本人の国民性だ。フランスの通信社は「大震災と巨大津波による二重の惨劇から立ち直るとき、日本の国際的な評価はいっそう高まるに違いない。日本という国の芯の強さに世界の賞賛が向けられている」と書いたが、世界各国のメディアは口を揃えて日本国民の冷静さ、秩序を保つ能力、感情抑制の文化、そして連帯心の強さ……等々を驚きをもって指摘している。指摘されて初めて、確かにそうかな、と思う。

 インターネットを見ていると、日本人もまだ捨てたものじゃないな、と思わせてくれる様々な日常光景が眼に入ってくる。「決して不安な顔は見せずに、おもてなしの心を」と店員たちに呼びかける売り場のリーダー。震災当夜、帰宅難民の群れに、自分の会社をトイレと休憩所に提供し、大声でその旨を伝える社員。コンビニにお酒を買いにきたものの募金箱があるのを見つけ、急遽お金を募金に回す若者グループ。被災者のためにと献血施設の前に長い列を作る大阪難波の人々……。われ先にと買いだめに走る無自覚な日本人がいることも確かだが、むしろ逆にただ頭を下げたくなるような日本人が多くいるのも事実だ。

 そんな中で、きわめつけは福島第一原発で放水活動に出動してくれた自衛隊や機動隊や消防隊員たちの勇気ある活動であっただろう。放射性物質という「見えない敵」との戦いを前に、片や「必ず帰ってくる」とメールし、一方「信じて待っています」と返信した隊員とその家族。「日本の救世主になって下さい」と総隊長に奥さんがメールしたとの話もあった。まさに「決死隊」ともいえるこのような人々の行動がどれほど感動的で、かつわれわれを元気づけてくれたことか。それを思う時、この国はこうした人々の勇気と献身によって成り立っていることを改めて実感する。

 にもかかわらず、このような日本を根底で支える精神ともいうべきものを、戦後のわれわれは直視しなかったのみならず、時には否定するようなことさえしてきた。むしろ大切なのは人権意識であり、それを培うことが教育のイロハだと、知識人や政治家、あるいは教師たちは主張し続けてきたのである。その結果が、「事に臨んでは危険を顧みず」と自ら宣誓してこの国を守ることを任務としてきた自衛隊を「暴力装置」と呼んで恥じない内閣官房長官の出現であった。今こそわれわれはこうした戦後の誤謬ともいうべきものを、正していかなければならないのではないか。

 国家への認識も同じことだ。このような非常事態を前にすれば、国家の相対化だの、地域主権だのという言葉は一瞬にして空語と化す。国家が有効に機能しなければ、そもそも今回のような国家の総力を挙げた緊急体制すら敷けないし、国家が強靱でなければ、このような災害との戦いも、あるいは被災地復興の作業もできないのだ。

 そして最後に、この日本国民の「まとまり」について指摘したい。天皇陛下は自ら御所の電気を消され、被災者と苦難をともにされようしておられるやに承る。と同時に、此の度の国民へのお言葉では、「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも永く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」とお呼びかけになっておられる。この被災者に「心を寄せ」といわれる陛下の大御心がどんなにか被災者の心の支えになり、国民団結の力になっていることか。

 「日本国家の始めは君徳に基づく」と明治憲法の起草者井上毅は書いた。ここにいう「君徳」とは、まさに国民の生活に心を寄せられる天皇陛下の大御心であろう。再建へ向けて様々な苦難はこれからも続こうが、陛下は常にそれを案じ、見守っていて下さるのだ。これこそがこの日本の力であり、誇りであることを改めて実感する。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成23年4月号〉