御所の「自主停電」

 大震災から四日目の三月十五日、読売新聞社会面の片隅に「御所で自主停電」という一段見出しの小さな記事があった。

 前日の十四日から首都圏などで「計画停電」が始まっていた。皇居のある千代田区などは、首相官邸や国会、各省庁があるため、停電地域には含まれていないのだが、天皇陛下は、その初日から最初に停電となる地域の時間にあわせて、お住まいの吹上御所において「自主停電」なさっているという記事である。

 この「計画停電」、実態は「無計画停電」とも言われ、予告されていても電力消費が予定より少ないときは停電にならないケースも多いのだが、後に宮内庁長官が記者会見で明らかにしたところでは、天皇陛下は、実施されない場合でも時間をあわせて停電を実施されているとのことであった。

 ご高齢でご病気治療もなされている天皇陛下にご体調が心配されるが、天皇陛下は「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう」と仰せになられたという。

 この記事を読んでとっさに思い起こしたのは、以前この頁に書かせていただいたことだが、明治天皇のエピソードである。日清戦争開戦の折、大本営が広島に設けられ、明治天皇の御座所も皇居から広島城内の第五師団司令部の会議室に移された。

 この会議室には昼間は机と椅子しかなく、夜になると寝台が持ち込まれたという殺風景な一室だったという。明治天皇は食事も就寝もこの一室でなされた。侍従がお体を心配し、安楽椅子をお使いになられたらと申し上げたところ、「戦地に安楽椅子はあるか」とおっしゃられ、許されなかった。冬になっても手あぶり火鉢一つしかなかったため、ストーブを持ち込もうとしたところ「戦地にストーブはあるか」と、これもお許しにならなかった。

 戦地にある将兵にお心を寄せられる大御心が、こうしたエピソードを通してうかがうことができよう。

 昭和天皇にも、同じようにエピソードが残されている。その一つをあげると、昭和天皇お住まいであった御所は昭和二十年五月の空襲で、明治宮殿とともに焼失した。その後、宮殿は宮内庁庁舎の四階を仮宮殿とし、昭和天皇は御文庫と呼ばれる防空施設を仮住まいとなされた。

 ところが、昭和天皇は戦後長い間、宮殿と御所の再建をお許しになられなかった。それは「国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、新しい宮殿を造ることは出来ぬ」とのお考えからであった。

 新宮殿建設の動きが始まったのは昭和三十年代に入ってから。完成したのは昭和四十三年、終戦から二十三年後のことである。お住まいである吹上御所が完成したのが、それより前の昭和三十六年。昭和天皇は十五年以上も仮住まいされておられたことになる。

 明治日本は、前線の将兵の境遇に御心を寄せられる明治天皇のもとで、日清・日露の大戦を勝ち抜くことができた。戦災で痛手を被った国民に御心を寄せられた昭和天皇のもとで、戦後の日本経済は復興を果たした。

 今上陛下は被災者に御心を寄せられ、「自主停電」をなされておられる。また、異例のビデオ映像を通してお言葉を発表され、被災者の苦難に心を痛められ、その救済を心から願われ、暖かく励まされた。すべての国民に対して被災地に「これからも長く心を寄せ」、被災者と共に「復興の道のりを見守り続けること」をお呼びかけになられた。

 平成の今も、天皇陛下のもと、必ず日本は復興できる、こう信じるのである。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成23年4月号〉