日本には「聖なる空間」がある

日本には「聖なる空間」がある

◆「勅旨を奉じて」定める神宮祭主

 天皇皇后両陛下のお子さまである黒田清子様が、先頃、伊勢神宮の「臨時神宮祭主」に就任された。

 五月十三日には、その奉告参拝が執り行われ、真っ白なドレスを召し玉砂利を踏み進み行く清楚なお姿がテレビに映し出されていた。翌十四日には、神嘗祭(かんなめさい)に次いで古い由緒ある祭典「神御衣祭」(かんみそさい)に、臨時祭主として初めて奉仕された。

 この臨時祭主御就任について、神宮司庁は五月七日、鷹司尚武大宮司の名で次のように発表している。

 「神宮祭主池田厚子様には年中恒例祭並びに式年遷宮祭に御奉仕いただいてをりますが、御高齢につき神宮祭祀の万全を期すため池田様のお支へとして遷宮完遂に至る間、臨時神宮祭主として黒田清子様に四月二十六日付を以て御就任いただくこととなりました」

 また、神社新報(5・14)では、こう説明されている。

 「神宮規則では、『祭主は、皇族又は皇族であった者とし、勅旨を奉じて定める』とされてをり、『祭主に故障があるときは、勅旨を奉じて臨時に祭主を定めることができる』となってゐる。
 過去には第六十回式年遷宮を直前に控へた昭和四十八年三月、当時の北白川房子祭主の御病状に鑑み、鷹司和子様(昭和天皇第三皇女子、後に昭和六十三年まで神宮祭主)が臨時祭主となられてゐる」

 神宮規則とは、伊勢神宮の内部規定だが、そこには祭主は「勅旨を奉じて」定めると規定されているというのである。これを素直に読めば、今回の臨時祭主御就任は、天皇陛下の思し召しによって実現したものと理解されよう。

 一方、臨時神宮祭主を務められるのは「遷宮完遂に至る間」という。

 現在、伊勢神宮では「第六十二回式年遷宮」の諸祭・諸行事が執り行われているが、そもそも式年遷宮は、準備の始まりから主な祭事の期日の決定まで、天皇陛下の御意向を仰いだ上で行われる。第六十二回式年遷宮は、平成十六年に神宮大宮司が陛下の御言葉をいただき、準備が進められることになった。

 そして今回、黒田清子様の臨時神宮祭主御就任である。天皇陛下がいかに式年遷宮を大事に考えていらっしゃるのかが窺える。

 

◆祭主とは?

 ところで、神宮祭主とは、そもそもどのようなお務めなのだろうか。

 『神道史大辞典』(吉川弘文館)によると、「祭主」の起源については諸説あるが、文献上の初見は『続日本後紀』で、平安時代初頭に設置されたと考えられるという。また『延喜式』の一文書には、次のように規定されているという。

 「その職務は、祈年祭、六月・十二月の月次祭、神嘗祭に際して幣帛使となり祝詞奏上を勤仕することであった」

 皇族・旧皇族が、神宮祭主を務めるようになったのは、近代になってから。

 「明治四年(一八七一)の神宮改正以降は、近衛忠房、三条西季知が華族として祭主に任じられたが、明治八年に朝彦親王以来、皇族が祭主に任じられるようになり、第二次世界大戦後は昭和二十二年(一九四七)の北白川房子(明治天皇第七皇女)以来、旧皇族の女性が祭主に任じられている」

 いずれにしても、歴史的には由緒正しい血筋の方々が、祭主に任じられてきたわけで、その伝統が今も続いている。日本の精神世界の核心中の核心である伊勢神宮のようなところは、やはりそうでなければならないと思う。

 

◆「しづかなるみまつりの朝に母と立つ」

 かつて江藤淳は、この国の中心には「権力者にとっての立入禁止の空間」があると指摘したが、権力やビジネスでの成功といった世俗的な世界を超越した「聖なる空間」が、この日本には存在する。宮中においては、天皇陛下が祭祀を厳修され、神宮においても二千年にわたってお祭りが行われている。その意味を最も理解されているのが皇族・旧皇族の方々であり、「日本人の総氏神」と言われる神宮の祭主にそのような方々を戴くことができる有り難さを、この機会に確認したいものだ。

 ちなみに、黒田清子様は内親王当時、「皇后さまがこれまで体現なさってこられた『皇族のあり方』の中で、私が深く心に留めているものは、『皇室は祈りでありたい』という言葉であり、『心を寄せ続ける』という変わらないご姿勢です」と述べられたことがあるが、次の歌も詠まれている。

 しづかなるみまつりの朝に母と立つ凍てる大地に初日さしたり(平成四年)

 元日早朝、天皇陛下は宮中・神嘉殿の南庭にお出ましになり、天下太平・万民安寧などを祈る「四方拝」に臨まれるが、その際、皇后陛下は御所の戸外で陛下に合わせて御拝なされる。この歌はその時のことを詠まれたものだという。

〈『明日への選択』平成24年6月号「知っておいてためになる話」〉