あの復興構想会議とは何だったのか

 東日本大震災から7カ月の10月11日から13日、宮城・岩手の被災地を再び訪れた。前回の訪問から丁度5カ月、果たして被災地の復旧はどの程度進んだか、というのが今回の訪問の目的だった。しかし、実際に現地を視察してみての印象は、がれきは確かに整理されたとはいうものの、復興どころか本格的復旧に向けての動きもまだほとんど始まっていない、というのが実態だった。どうしてまだこんなレベルなのか、われわれなりに関係者に色々取材してみての感触では、要は政治における対応の遅れ、その一点に尽きるように思われた。日経のコラムの見出しに「復興邪魔する『政治ごっこ』」というのがあったが(10月2日)、まさにそれである。

 具体的な話は本号22頁以下の現地レポートに譲るが、要は国家としての全体方針が固まらなければ県も市町村も動けず、さらにいえば被災者たちもどうにも動けない、ということなのである。

 例えば陸前高田市では、国が防潮堤の高さを決めてくれなければ、市としては二次堤防の役割をもたせることとなる町の基幹道路を設定するコースを決めることができず、それが決まらなければ最も基本的なゾーニングもできず、それゆえに市の復興プランを今日まで正式決定できなかった、という話を聞かされた。更にいえば、町の全体像が描かれなければ、JRも新たな線路と駅の設置場所を決定できないのだという。

 そんな説明を受けつつ、筆者としてはまずあの復興構想会議というのは一体何だったのか、という怒りにも似た疑問をもった。率直にいえば、あの報告書は被災地関係者にとっては何の意味ももたず、われわれも取材中、その報告書に対する何らの言及も耳にすることはなかったからだ。とすれば、4月から6月にかけての約3カ月間、政治は最も大切な時間をいたずらに「復興構想ごっこ」のために浪費したということなのである。「創造的な復興」だとか「高台のエコタウン」だとか、われわれは夢のような話を毎日のように聞かされたが、今やそんなものは誰も話題にさえしないのだ。

 仙台市では、被災した農家の方々より現状に対する感想を聞いた。しかし、5カ月前に取材した時は被災のショックにもかかわらず、これでこれまでの農業のあり方が改革されることになるのであれば、希望をもってそれには協力したいし、今後頑張りたい、とむしろ夢をさえ語っておられたその方々が、今回は絶望的とはいわないものの、かなり深刻な戸惑いに直面しておられることに、強いショックを覚えたのである。というのも、未だにこうした方々には被災農地がどうなるのか、農業が続けられるのかどうなのかさえ、何らの見通しももたらされていないという話だったからだ。

 新聞などを見ていると、政府はTPP参加を見据え、「農業再生の基本方針」と称し、「農山漁村の豊富な資源を活用し、6次産業化を推進することで付加価値を向上。雇用と所得を生み出し、農林漁業をさらに成長産業化する」だの「平地で20~30㌶、中山間地では10~20㌶の規模の経営体が大宗を占める構造をめざす」だのという計画を決めたらしい。しかし、被災地さえ未だにこのような状況に放置されているのに、一体どうやってそんな「農業再生」が可能なのかと思わざるを得なかった。

 気仙沼市では、満潮になると未だに水没になる無惨な市街地を見た。全体的にこの土地を嵩上げするには約二年かかるという。関係者は果たしてその間、この町の水産業者がそれを待っていられるか、と苛立ちを隠さなかった。しかし、その嵩上げ計画すらまだ正式には未決定なのである。

 政府は「机上の議論」を即刻やめ、この現実に向き合うべきだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成23年11月号〉