本来の「魚食」に戻ろう

 あまり良いニュースをきくことのない昨今、スーパー大手のイオンが島根の漁協と直接取り引きをし、魚を網ごと買い取る試みに乗り出したとの報道(東京9・30)は、筆者にとっては久々のグッド・ニュースだった。「巨大スーパーが日本の町づくりをダメにした」と日頃講演などでは巨大スーパーの悪口をいっている筆者だが、今回ばかりは率直に評価できるニュースだと思った。

 通常の産地セリ価格に一割ほど上乗せした価格、獲れた魚はそのまま網ごと買い上げ――となれば、安い漁価、高い流通マージン、燃油高といったトリプル苦に悩む漁民たちにとっては、いいことずくめの話以外の何物でもないと思われたのだ。

 とはいえ、筆者はそれとともに、この試みが日本人の魚食のあり方を変える切っ掛けになってくれるのではないか、との期待もまたこのニュースで抱くことになった。というのも、魚を網ごと買い上げるということは、イワシやサンマ、アジやイカといったスーパーの定番魚のみならず、これまでなら売り物にならないとして捨てられたり、養殖魚のエサに回されていた小魚や見慣れない魚も、同時に丸ごと買い上げられるということにもなるからだ。

 となれば、スーパーとしてはそれを売らないわけには行かない。

 「ジャスコ鶴見店では、養殖魚のエサにしかならなかった小サバを三枚におろし、カレー粉をつけ、ソテーや空揚げ用に販売した。価格は三枚九十九円で好評だった。松本マネージャーは『様々な方法で魚を売るノウハウを高めることで、現場の力が向上し、魚食も増えるはず』と強調する」

 これはこのニュースを後追いした十月十日付けの日経の記事だが、当然この試みはそういう方向に行くことになるはず、と筆者はその時、同時に期待をもったのである。

 今は魚といえば、スーパーでパック入りの切り身を買うしかないのがご時世である。しかし、これが日本人本来の好ましい魚食文化を変えたのではないか、というのが筆者の認識でもある。いわば業者押しつけの出来合いが全て、という「罰当たりの文化」を身につけてしまったということだ。築地でマグロ仲卸業を営む生田與克氏は次のようにいう。

 「海が荒れたら漁はできないのに、スーパーが作る一カ月後の広告には既に魚の値段が入っている。机の上で魚の価格が決まってしまっている。身の大きなサンマを返品されたこともあった。それではトレーに入らないというのが理由だった。
実はスーパーは、マグロやシャケ、エビ、カニなど売れる魚をそろえて商売しているだけだ。日本近海の青魚は人気がない。売り場には輸入品がずらっと並んでいる」

 いつの間にか日本人は、魚といえばマグロやサケ、エビやカニにしか眼が行かない国民になってしまったといえる。それも大きさがどうの、見た目がどうの、値段は一円でも安くということになり、先月号の本誌でも紹介したように、国産のサケよりチリ産の養殖サケということになってしまったのだ。その結果が、そうした尺度に合わない日本近海の魚が簡単に捨てられるという現実となり、それを獲る日本の漁業者の生活が成り立たないという現実にもなっているわけだ。生田氏は更にいう。

 「漁業の将来は、消費者の動向にかかっている。国産の魚をもっと食べれば、価格維持のために魚を捨てる必要はなくなる。需要が底上げされていけば、燃油代が高くなった分を相殺できる価格での取引も可能になる。(中略)サンマやアジ、サバなど、日本の近海でとれる魚はまだいっぱいある。その時々にとれる魚を、工夫して食べていけばいい。レシピを見てアジフライにするのではなく、魚屋にアジがあったからフライにして食べるというように」

 筆者は海の近くに生まれたこともあり、子供の頃から魚をよく食べさせられた。今でも覚えているのは、漁師のおかみさんが売りにきた、その日地引き網でとれた小魚を母がフライにして食べさせてくれたこと、近所の魚屋さんが「今日はこれが美味しいよ」と山と積まれた近海魚を母などに勧めていた光景である。

 魚食は日本の文化だという。それを自ら壊してきたのが消費者であるとともに、巨大スーパー等の売り手でもある。今回の試みがそれを見直す方向に動くことを祈りたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成20年11月号〉