バカな消費者がマグロを滅ぼす

バカな消費者がマグロを滅ぼす

鯨問題の論理でクロマグロを語るなかれ!


 

 この一カ月は、クロマグロの問題が連日マスコミで取り上げられ、ちょっとした騒動となった感があった。

 これだけ注目を浴びたのは、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約、CITES)の締約国会議で、高級なト ロがとれる大西洋クロマグロを、パンダやシーラカンスなど「絶滅危惧種」が記載された「付属書1」に加えるよう提案されたからだった。もしこれが通れば国 際取引が全面禁止となり、マグロが食べられなくなるということで騒がれたのだ。

 しかも、間の悪いことに、締約国会議までの一、二カ月は、日本の調査捕鯨についてオーストラリア政府が国際司法裁判所に提訴する方針を固めた り、シー・シェパードの船長が逮捕されたり、日本のイルカ漁を批判する映画が米アカデミー賞で受賞したりといったことが重なって、メディアでは鯨・イルカ の問題とマグロの問題があたかも同様の問題、要するに「日本叩き」の道具としての側面が強調された感があった。

 最終的には、国際取引の禁止を提案したモナコの原案も、禁輸まで一年の猶予期間を設けるとしたEUの修正案も大差で否決され、この騒動は収束して行った。しかし、これがわが国にとって果たしてよかったのかどうか、答えを留保せざるを得ない。

 外交的側面から見れば、当初伝えられた不利な状況を跳ね返し、最終的に否決まで持っていったことは一定の成果を収めたと言えるかもしれない。と りわけ「日本叩き」を跳ね返したとなれば、本来は喝采すべき話だろう。だが、この問題の本質はあくまでもマグロという限りある漁業資源に対して、日本人が どう付き合って行くかという問題のはずである。むろん国際交渉は正論がそのまま通るような甘い世界でないことは百も承知だが、この本質を脇に追いやったま までは同じことを繰り返すだけと思えてならないからだ。

 これまで本誌では日本漁業をめぐる問題について何度か専門家にインタビューを試み、冨岡一成氏の連載「日の本に魚食文化あり!」(『明日への選 択』平成21年10月号)ではまさに今回の問題が論じられていたが、ここでは今回の騒動で飛び交った情報の混乱を整理し、改めてマグロ問題を考える視点を 提供したい。

 

◇クロマグロ問題の本質

 そもそも、なぜ今、クロマグロがCITESの議題に上がったかといえば、早い話、クロマグロが減っているからである。大西洋まぐろ類保存国際委 員会(ICCAT)によると、大西洋クロマグロの資源量は一九七四年に約三十万トンあったのが現在は八万トン弱にまで減っている(九六年には国際自然保護 連合のレッドリスト入り)。そのためICCATは国別の漁獲枠を設けているが、この規制は密漁等により有名無実になっていて、効力を発揮したことがない。

 水産資源学の専門家、勝川俊雄三重大学准教授は言う。

 「管理機関ICCATは、科学者の提言を無視してきた。2006年の会合では、科学者が1万5000㌧の漁獲枠を勧告したのに対して、 ICCATが設定した漁獲枠は3万㌧。実際の漁獲量は、漁獲枠をはるかに上回る5万~6万㌧と推定されている。保全の必要性が叫ばれてから20年近く経過 しても、事態は悪化する一方であった」(みなと新聞3・24)

 そこで業を煮やした諸外国が騒ぎだし、CITESで全面禁輸にしないとクロマグロは絶滅してしまう恐れがあるということで、モナコによる提案となったわけである。

 もっとも、この資源悪化の直接的な原因は、イタリアやスペインなどの畜養マグロ業者が過剰漁獲したことにある。しかし、その畜養マグロ業者がな ぜ過剰漁獲していたかといえば、それは日本の消費者の胃袋を満たすためである。現在、日本人は世界全体のマグロの四分の一、クロマグロだけでいえば世界の 七~八割を食べている。つまり、耳の痛い話だが、日本人が余りにもクロマグロを食べ過ぎたことこそ、資源悪化の元凶なのである。

 しかも、蓄養は弊害だらけである。冨岡一成氏は連載でこう述べていた。

 「畜養とは、魚にエサを与えて全身トロという状態をつくりだす養殖漁業の一種。九〇年代に地中海ではじまり、日本の商社を通じてビジネスとして 広まりました。養殖といっても天然のマグロをつかまえるし、大量の小魚をエサとするので、天然資源に大きなダメージを与えてしまいます」

 冨岡氏によると、蓄養マグロを一キロ増量するのにはエサになるイワシ、サバ、イカなどの天然魚が約十五キロも必要だという。養殖場は狭いため、 海流による浄化作用が効きにくく海洋環境の汚染につながりやすい。病気にかからないよう薬品も投入するため、海洋環境ばかりか人体への影響も懸念されてい る。「これが、かたっぱしから日本へ送られ、回転寿司などでガンガン消費」されているというのだ。

 

◇ぼかされた本質

 しかし、この一カ月の騒動の間、ICCATの規制が「尻抜け」になっていることや、蓄養の問題点も、ほとんど指摘されることがなかった。その代 わりに前面に出てきたのは、「環境団体の陰謀説」「近大マグロ」「マグロ食文化論」等々である。これらによってマグロ問題の本質が「資源管理」にあること がぼかされてしまった。

 ここに挙げた三つに絞って紹介すると、「環境団体の陰謀説」の典型例は、産経新聞に載った二人の専門家のコメントである。

 「大西洋・地中海産クロマグロの禁輸を求める団体は動物保護だけを訴え、それにかかわる人間の生活を守ることには注意を払わない」「クロマグロ保護は寄付金集めの象徴になった」(元ワシントン条約事務局長のユージン・ラポワント氏)

 「環境問題というより政治そのもの。クロマグロはポリティカル・フィッシュにされた」(水産ジャーナリストの梅崎義人氏)

 マグロに限らず、野生生物の保護をめぐる問題の背景で、環境保護団体が暗躍していることはつとに知られた事実であり、それに対して注意を払い毅 然と対応しなければならないのは言うまでもないことである。しかし、だからといって、世界のクロマグロの八割近くを消費する日本が何もしなくていいという ことにはならない。

 それゆえマグロ問題を知悉する梅崎氏もこう続けている。「日本はこれまで食文化・習慣を守るため、と自分の立場だけを主張することが多かった。地球の食糧問題を考えると、海洋生物の持続的利用しか人類の生き残る道はないなど大きな視点で訴えることが重要」と。

 このことを日本の消費者は確認しておく必要がある。

 二つ目の「近大マグロ」とは、近畿大学が世界で初めて成功した「完全養殖」で育てられたマグロのこと。完全養殖では、一度人工孵化から成魚まで 育てたら、その後は養殖された魚を親魚にして卵をとる。この繰り返しであれば天然資源を使わずに養殖を続けることができる。テレビ番組ではどういうわけ か、この近大マグロがやたらと紹介されていた。海に泳いでいるマグロが減ってきて獲れないならば、養殖すればいいじゃないか、ということなのか。

 だが、水産問題の第一人者、小松正之政策研究大学院大学教授によれば、完全養殖の技術はまだ天然の種苗に比べて生存率が低く、企業化するには克 服すべき点があるという。また種苗をほとんど天然の子マグロに依存するため、近年、日本近海での小型クロマグロの漁獲が急増し、乱獲が心配されているとい う。海洋汚染の恐れがあるのは言うまでもない。

 

◇マグロと鯨は別問題

 そして三つ目は本来は別々であるはずのマグロ問題と鯨問題が、なぜか同様の文脈で語られたことである。

 先に鯨問題をめぐる事実を確認しておくと、わが国は伝統ある捕鯨国であり、数百年にわたって鯨を食べてきた食文化をもつ。また反捕鯨国は鯨の 「絶滅の危機」を叫ぶが、これは科学的根拠に基づかない思い込みだ。わが国は科学調査に基づいて、鯨が三~五億トンもの魚を消費して魚が減っている事実を 明らかにし、商業捕鯨再開の正当性を訴えてきた。国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会もその正当性を認め、IWCに対して商業捕鯨再開を求めているが、 反捕鯨国の政治的理由により再開されていない。

 また、わが国が現在行っている調査捕鯨は条約で認められた合法的な行為であるが、これに異を唱え不当な妨害活動を行ってきたのがグリーンピー ス、そしてグリーンピースからも爪弾きにされFBIからエコ・テロリスト扱いされているシー・シェパードである。これらに対して日本政府が法に基づいて毅 然と対処すべきことは言うまでもない。

 不可解なのは、今回、日本政府もマスコミもこの鯨問題の構造をそのままクロマグロに当てはめて語っていたことだ。その典型的な一例は、CITESでの否決直後、筆者も尊敬する高名な「食」の専門家のコメントに見られる。

 「今回の大西洋クロマグロをめぐる欧米の議論は科学的根拠に基づいたものではなく、大いに政治的な色彩を帯びていた。
 日本人は稲作民族であると同時に魚食民族でもある。中でもマグロの占める位置は大きく、その食文化を否定されていれば、クジラの問題と同様、大きな文化的損失になっていた」(毎日新聞3・19)

 前半の欧米の議論が政治的色彩を帯びているとの指摘に異論はない。だが、鯨とは正反対に、クロマグロの減少は各種科学調査にも明らかであり、い ま大事なことは、政治的な問題であろうとなかろうと、日本が「尻抜け」は断固許さないという姿勢で、資源管理に積極的に取り組むことではないのか。

 後半は「弘法にも筆の誤り」と言いたくなるようなコメントである。

 日本人が魚食民族で古くからマグロを食べてきたことは事実であるが、そうした伝統的なマグロの食文化と、マグロの「トロ」に偏った近年の嗜好とは別物だ。

 築地魚河岸でマグロ仲卸業を営む生田與克氏によると、マグロはもともと下魚で、クロマグロの別名であるシビは「死日」に繋がるから縁起が悪いと して、特に武士には見向きもされなかったという。今日のようにトロが好んで食べられるようになったのは、食生活が変化し且つ冷凍技術が発達した戦後も高度 経済成長期以降のことで、「ウチのオヤジの若い頃は大トロの部分は魚河岸では捨てられていたそうだ」(『たまらねぇ場所 築地魚河岸』)。

 このように歴史の浅い「トロ嗜好」をご大層に「食文化」などと呼べるかどうかは疑問である。少なくとも数百年続く「鯨の食文化」と同列に論ずるのは、智慧と工夫を重ねて世界に冠たる魚食文化を築いてきた先人に対し失礼という気がする。

 しかも、その歴史の浅いトロといえども、バブル期まではキロ五千円もしたため、一般の消費者はなかなか口にできなかった。それが九〇年代以降、 蓄養によってキロ二千円にまで値段が下がり、回転寿司等で簡単に口にできるようになった。表面的にはトロが安く食べられるようになったことはいいことのよ うに見えるかもしれない。だが、それにより資源状態が悪化し、今ではむしろ価格高騰が避けられない流れに逆転しつつあるばかりか、全面禁輸までもう一歩と いう所まで追い込まれた。その張本人は回転寿司、スーパー、消費者自身に他ならない。この事実をどう考えるかということである。

 

◇「日本の魚」を食べ、「日本の海」を守れ

 結局、マグロが減っているのであれば、しばらくは我慢して、他の魚を食べればいいだけの話ではないのか。

 小松正之氏は「本来、くろまぐろは『晴れの日』のご馳走だった。『まぐろは日本人の食文化だ』と言う前に、くろまぐろの大量漁獲を止めさせるこ とだ」(「まぐろ危機と魚食の改革」)と述べているが、かつて秋田県でハタハタが全滅しそうになったとき、三年間禁漁することによってハタハタが戻ってき たという有名な話もある。

 だいたい、わざわざ地球の裏側の大西洋からマグロを輸入しなくても、日本近海には「うまい魚」が沢山いる。わが国は陸の面積は小さいが、排他的 経済水域をふくめた海の面積は世界第六位の広さを誇る。特に日本近海は「世界三大漁場」と言われ、昔に比べれば漁業資源は減って来てはいるものの、国民の 食料を賄うのには困らないだけの量がある。

 ところが、現在わが国では漁業生産量の約三割は「未利用魚」になっている。加工に回すのはまだいい方で、捨てられるものも少なくない。しかも、 サケは「高い」、サバは「小さい」「形が揃わない」と日本の消費者や外食産業が見向きもしないから、中国やアフリカに輸出されている。

 自国の周辺に十分な資源がありながらそれは食べずに輸出し、逆に世界中からマグロを買い漁って「日本叩き」の材料を自ら作り出している。こんな愚かなことがあろうか。

 わが国では古来、海の拾い物を「寄りもの」と喜び、幸運をもたらす「えびす」であると信じられてきた。だから漁法もやさしく、延縄漁、一本釣り などで魚を根こそぎ獲ってしまうようなことはなかった。獲った魚は決してムダにせず、煮る焼く蒸すと様々な智慧と工夫を重ねて美味しくいただいてきた。さ らに鰹塚、鮟鱇塚、蛤塚などの碑を建立して魚に感謝し、供養を怠らなかった。今回のマグロ騒動を通じて再確認されるべきは、むしろそうした「日本の魚食文 化」ではなかったか。

 蛇足だが、そのことが分かれば、日本の島・海・資源を中国に奪われないようもっとしっかり守ろうという気になるはずだ。本来はこうした死活的な問題をふくめ、総合的に国益を追求すべきだろう。消費者の欲を満たすだけが、「歴史と伝統の国・日本」の外交ではない。

〈初出・『明日への選択』平成22年4月号〉