無知は国を滅ぼす

 昨年11月の与党議員団による訪朝の評価については、本誌先月号でも触れさせていただいたが(佐藤勝巳氏への巻頭インタビュー)、ここではもう一点、その際触れられることのなかった問題について、筆者の考えを記させていただく。

 それは北朝鮮との拉致問題での応酬の際、自民党代表から発せられたという「〈償い〉の問題は正式な国交正常化交渉の場で」との発言についてである。

 報道された所によれば、拉致疑惑の解明を求める日本側に対し、北朝鮮側は「それでは戦前の従軍慰安婦強制連行の問題はどうなるのか」と反論したとされる。問題の発言はその際、森喜朗団長より発せられたとされるのだが、要はこの発言の中にある「償い」という言葉の致命的な誤りについてである。

 周知のように、かつての金丸訪朝団では「戦後に対する償い」という馬鹿げた要求まで呑まされた。その意味では、「戦前に対する償い」は至って常識的な話であり、何ら問題とするには当たらないとする向きもあろう。しかし、そう話は単純ではない。戦後だろうが戦前だろうが、そもそもそこに「償う」べき問題が果たしてあるのか、ということこそが問われるべき話だからである。

 かつて日本は韓国に対し、かかる「償い」を行った――と人々は気楽にいったり書いたりしている。しかし、これはきわめて不正確な表現である。日本が韓国との国交正常化に当たり行ったのは、その時の「協定」の名称にもあるように、「財産権及び請求権に関する問題の解決」並びに「経済協力」に過ぎないからだ。これを「償い」を行ったのだと解するとすれば、日韓関係はもう一度、30年前に戻らなくてはならないという話になろう。

 昭和26年9月8日、わが国はサンフランシスコ講和条約において朝鮮の独立を正式に認めた。それによって日本と韓国は、正式な国交関係樹立のための話し合いに入ることになるのだが、そこで最初にもめたのが、「約四十年の破壊と国民の犠牲」に対し「賠償」を要求する――との韓国側の主張であった。

 「(韓国側は)過去四十年間にわたる朝鮮における日本の行動に対して毒づき、これを起訴でもするかのような調子の演説をやった。この演説のなかで、彼らはさらに、日本を破産させてしまうほど巨額の賠償支払いの要求を含めていた……」

 第1回予備会談の際、この話し合いの仲介役の立場にあった連合国軍総司令部外交局長のウィリアム・シーボルトはこう証言しているが、韓国側はまずこうした激しい主張から日本側の「償い」への要求を始めたということなのである。

 とはいえ、日本側がこんな主張を認める筈もなかった。日本による韓国統治は合法的な行為であり、「賠償」しなければならないいわれは何らない、というのがその立場であったからだ。両者は譲らず、対立は続き、結果的に話し合いは13年間の長きにわたることとなった。

 むろん、その中では様々なやりとりが行われた。当初の「賠償」の要求は次第に「請求権」の主張へと穏和化され、それはいつの間にか、日本側のそれと「相殺」すべきか否かという話になり、更に両者がそろって「請求権」を放棄する代わりに日本側からの「経済援助」を韓国側が受ける、という話になっていったのである。その結果が、日韓基本条約とともに締結された前記「協定」であった。同「協定」第二条1は次のように規定している。

 「(両国は)両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」

 つまり、わが国が行ったのはこうした合意の確認のみであり、韓国に対しわが国は「償い」など一切していない、ということなのである。韓国側がそれを要求したことは事実だが、わが国はそれを全く認めなかった。日本の朝鮮半島統治には、何ら「償い」に値する非合法な事実はないという立場を最後まで貫いたのである。

 自民党の実力者とまでいわれる人物を、単純に「素人」呼ばわりするつもりはない。しかし、これは単に「知らなかった」というだけでは済まされない問題であろう。無知は国を滅ぼすというが、これはそうした外交の典型といえる。もっと用意周到な責任ある外交を望みたい。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)

〈今月の主張/『明日への選択』平成10年1月号〉