改憲のための時代認識

改憲のための時代認識

われわれは、いかなる時代に改憲を論議しているのか

この十年余り、憲法のもつ国家否定・社会解体の「毒」が完全にまわってしまった日本。だとすれば、改憲論議とは、単に条文の欠陥是正をどうするかという議論で終わるはずがなく、日本再生に向けてこうした流れをいかに克服していくのかということこそ、改憲の主要な論点となるはずである。


 

 小誌前号では湾岸戦争以来今日までの十年を安全保障について振り返り、改憲の道筋としてはまず九条問題に絞って論議すべきではないか、ということを提起させていただいた。

 そこで紹介したように、冷戦終結以来、日本が問われ続けてきたのはまさに第九条の問題であり、その意味で、九条改正は喫緊の課題といわねばならない。それと同時に、今日の九条改正問題は、単に条文の欠陥や解釈問題に由来する改正論議の域を超え、政治のテーブルにのりつつあるように思えるのである。例えば、最近、民主党の鳩山代表が「集団的自衛権を憲法のなかでしっかりうたった方がよい」と発言し、民主党内で議論が起こっている。九条改正問題がひとつの政治的争点となりつつある証拠と言っても過言ではなかろう。

 もちろん、九条に限ったとしても改正への道筋が平坦だと考えているわけではないが、少なくとも九条改正を巡っては現実問題として論じる枠組みが生まれつつあると言ってもよいのではあるまいか。こうした改憲問題の新たな環境は、まさに冷戦後の国際的環境がもたらしたものなのだが、では、九条以外の憲法問題はどうなのだろうか。

 本稿では、安全保障以外の問題について、前稿同様に、この十年を振り返り、今後の改憲論の展開について考えてみたい。ただし、ここでは時代状況の大筋を明らかにするために問題関心を「国家の基盤」と関わる基本的問題に絞って時代状況をスケッチし、改憲のための時代認識について考えてみたい。

 

◆「歴史否定」の十年

 まず、この十年を特徴づけるのは、なんと言っても歴史認識の問題であろう。冷戦後の安全保障問題では平成三年(一九九一年)の湾岸戦争が一つのエポックとなったが、歴史認識問題もほぼ同時期に起こっている。改めてその流れを大まかに描いてみると次のようになる。

 平成二年五月、韓国の盧泰愚大統領が訪日し、海部首相と会談。この際、いわゆる「朝鮮人強制連行」を韓国側がとりあげた。今でも使われる「共通の歴史認識」なる言葉が使われ始めたのはこの時のことであった。また、海部首相は翌平成三年五月、東南アジア訪問の際、「(先の戦争を)厳しく反省する」と発言し、日本の首相が東南アジア諸国向けに「反省」の意を表明した最初のケースとなった。

 そして、この年の暮には、いわゆる「従軍慰安婦」問題が起こる。翌平成四年一月に訪韓した宮沢首相は、盧泰愚大統領に対してこの問題の政府調査を約束し、「謝罪」を繰り返した。この政府調査が、翌平成五年八月の、あの「河野談話」へとつながっていく。「河野談話」では、政府が調査した文書には「強制」の証拠は皆無であったにもかかわらず、「従軍慰安婦」の募集には「本人の意に反した」「強制」があったと結論付けたことは周知の事実である。

 この慰安婦問題を契機に、歴史認識問題は政治の重要テーマとして展開していく。「河野談話」が出された直後に宮沢内閣は退陣し、「非自民」を掲げた細川連立政権が成立するが、就任直後に細川首相が「先の戦争は間違った戦争。侵略戦争」との発言をし、いわゆる「侵略戦争発言」問題が起こった。言うまでもないが、日本の首相が「侵略戦争」だったとの歴史認識を表明したのはこの細川首相が初めてのことである。

 こうした「侵略戦争」問題は、平成七年、つまり終戦五十年の年に、「終戦五十年国会決議」が行われ、「村山談話」が出されるに至って一つのピークを迎える。とりわけ、「村山談話」では、「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。……疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明」するとの見解が閣議決定され、以後、この「談話」が政府の公式見解として用いられることになる。

 村山談話の登場までは、政府が過去の戦争を「侵略戦争」と定義付けたことはなかった。例えば、昭和四十七年の日中共同宣言でさえ、中国国民に対して「損害」を与えたことの「責任」を痛感し「反省する」と表明したが、それでも中国との戦争を「侵略戦争」と定義付けることはなかった。

 しかも、そうした「侵略戦争」の歴史認識は当然新たな「反省」と「謝罪」を生み、現実政治にも大きな影響を及ぼすこととなった。外交では中国・韓国に対する外交姿勢は一層「弱腰」姿勢となり、さらには終戦処理を見直せとの主張を生み、「強制連行」や「慰安婦」問題、さらには「捕虜虐待」という個別問題での新たな謝罪や補償要求が内外から主張されるに至る。

 さらに、甚大な影響を受けたのは教育である。こうした雰囲気のなかで、平成六年に検定を受けた高校日本史教科書、平成八年に検定を受けた中学歴史教科書のすべてに、いわゆる「従軍慰安婦」記述が入るなど、「自虐教科書」問題が起こった。

 こうした意味で、まさにこの十年間は日本の歴史を断罪する「歴史否定」の十年だったということができよう。

 

◆社会の解体を進めた「自由と人権」

 一方、「個人の価値」「個人の権利」というものが異様に強調された十年だったということもできる。というのも、今日問題となっている子供の人権、夫婦別姓、男女共同参画社会、女性の人権(フェミニズム)、ジェンダー・フリーの主張が、「人権」という名を冠して、初めて現実の政治に反映していったのはまさにこの十年においてであったからである。

 例えば、日本が「子どもの権利条約」に加入したのがちょうど十年前の平成二年。この条約を国会が批准して正式に発効したのが平成六年のことであった。

 また、社会的性差の解消という考え方(ジェンダーフリー)を含む男女共同参画社会という議論が起こり、平成六年には政府が男女共同参画推進本部を設置、十一年には男女共同参画社会基本法が成立している。

 さらに、夫婦別姓の問題も起こった。法務省が夫婦別姓を含む民法改正試案要綱を発表し、はじめて夫婦別姓の方向性を出したのが平成六年のこと。平成八年二月に発表された民法改正案のなかでは、選択的夫婦別姓案が採用される。この法務省案は、自民党内の合意が得られず政府提案としては国会に提出されなかったが、その翌年からは国会の度にこの選択的夫婦別姓法案が議員提案として出されている(現段階まではいずれも廃案になっている)。

 では、こうした「個人」の絶対化とも言える流れは日本に何をもたらしたのだろうか。

 子どもの権利条約は、本来は発展途上国の子どもを保護することを目的とした条約であったにもかかわず、左翼勢力の管理教育批判と相まって子どもの「自由と人権」として喧伝され、児童・生徒にも教育に対する意見表明権などがあるという解釈が横行するようになった。こうして「子どもの自由と人権」が教育現場に持ち込まれた結果、「強制」を必然的に伴う「教育の論理」は崩壊せざるを得なかった。今日、社会問題となった「学級崩壊」現象は、当然の結果として起こったとも言える。

 また、男女共同参画社会の発想は、ジェンダー・フリー(性差解消。つまりは男女の「らしさ」の否定)という考え方を根底に持つものである。それが今や企業社会だけでなく、家庭にまで広がって「父性」「母性」の否定へと、さらには教育現場へと、その発想を拡大しつつある。

 夫婦別姓の狙いもまた、「個人の自由」の絶対化にあると言えよう。別姓推進論者は個人のライフスタイルの「選択の自由」「家族の多様化」を主張するが、それは、とりもなおさず「選択の自由」の名の下に家族の絆を断ちきることであり、結局は「家族の解体」へとつながる。

 まさに「自由と人権」絶対視のなかで、伝統的価値観・倫理観、道徳、規範意識が崩壊させられ、それが教育、家庭、さらには社会の解体へと進みつつあると言っても過言ではないと思う。

 こうした流れと関連して、少年犯罪の凶悪化の問題にも触れておきたい。平成九年に神戸で小学生連続殺人事件が起こったが、この頃から少年による異常事件、凶悪事件が多発するようになる。個々の事件には様々な背景があろうが、少なくとも少年法の影響があることは言うまでもなかろう。少年の人権を絶対視する少年法が、こうした「自由と人権」を絶対視する時代状況と相まって、少年には社会秩序を守らなくてもよいとの風潮を作り出した結果だと言えよう。さらに、異常事件が起これば、その原因を社会に求め、犯罪を犯した少年を被害者だとして、その人権を守れと主張する勢力さえ生まれてきた。そして、そうした風潮がさらに次の凶悪犯罪、異常事件を生むという悪循環に陥っていると言える。

 

◆国家否定・社会解体へ向かう時代の風

 では、この十年の動向をどう捉えるべきなのだろうか。一言で言えば、社会解体、国家解体の様相が深まった時代だということである。

 日本の歴史を断罪する「歴史の否定」は、日本という国家の存立基盤を突き崩しかねない。国家は、国民の共通の記憶ともいうべき歴史の共有の上に成り立つ。その共通の記憶を否定したなら、国家としての日本は成立しないからである。

 また、「人権」「個人」は、夫婦別姓推進派の主張に典型的に見られるように、あくまでも家族や社会と無縁なもの、さらには対立するものとして強調されてきている。だとすれば、それは民族、国民、社会、家族といった共同体を個人という砂粒に解体するものと捉えるべきであろう。

 さらに、前項では触れなかったが、この十年は政治システムの危機と政治改革論の時代でもあったということを合わせて考えれば、この流れが「国家否定」に行きつきかねないことはより明らかになるだろう。

 平成七年に自民党長期政権が終焉して以来、いくつもの政党が離合集散し、連立の組み替えが起こった。冷戦終結とともに、日本にとって都合のいい国際環境が経済成長を支えるという時代は終わり、そうした環境を前提とした「アメリカ追随、官僚主導、経済一辺倒」の政治システムが行き詰まりを見せたのは当然の結果だと言えるのだが、そうしたなかで政治改革論が盛んに主張されたのもまたこの十年の特徴であった。

 しかし、そうした政治改革論のほとんどは、「地方分権」「住民投票」「市民主権」といった言葉に代表されるように、「国民」ではなく、「住民」「市民」を強調するものであった。つまり、国家の役割を削減し、否定する方向をもった論議でもあったということである。

 いずれにしても、この十年の流れは社会の解体、国家の否定というベクトルをはらんでいるということができよう。

 現在、定住外国人地方参政権法案が問題になっているが、この法案こそ十年の時代状況の行き着いた先ということができる。この問題は、平成六年頃から在日韓国人団体が提起しはじめたのだが、当初は「強制連行」されたという歴史的問題を背景に打ち出され、今は在日外国人の人権、住民としての権利ゆえに参政権が付与されるべきだと主張されている。つまり、歴史否定を背景に、「人権」の絶対視、「住民としての権利」の強調が複合して起こっている問題なのである。当然の事ながら、そこには国民としての義務や、運命共同体としての国家はない。そして、自公連立の合意というだけで国会での審議が始まろうとしている。まさにこの十年がもたらしたものを象徴する問題だと言っても過言ではないのである。

 

◆憲法の「毒」がまわった戦後日本

 しかも、実は、こうした流れは実は日本国憲法の論理のストレートな現実化でもある。

 「個人の絶対化」「人権尊重」は「すべての国民は、個人として尊重される」(憲法第十三条)を根拠として主張され、ジェンダーフリーは、「性別」によって差別されないとする第十四条が根拠であるという。また、別姓制導入が根拠としているのは、憲法第二十四条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」である。

 憲法が前提とする歴史認識はどうかというと、憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し……」と規定されている。また、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を維持し……」とも書かれている。要するに、日本の行為によって戦争の惨禍はもたらされ、日本が戦争を起こさない限り世界は平和であるとの認識である。つまり、戦前日本は「悪」であり、その日本を断罪するのが憲法の歴史認識ということができる。その意味で、歴史否定の流れは憲法の論理の現実化ということもできるのである。

 つまり、われわれが今日目前にしている様々な悪しき現象は、いわば日本国憲法からの逸脱でもなんでもなく、むしろ憲法が予定していた事態というべきなのである。換言すれば、この十年において日本国憲法のもつ「毒」がそのまま現象化したとも言えよう。

 だとすれば、改憲論議とは、単に条文の欠陥是正をどうするかという議論で終わるはずがなく、こうした国家解体、社会解体の流れをいかに認識するのか、また日本再生に向けてこうした流れをいかに克服していくのかということこそ主要な論点となると言えよう。

 ちなみに、同じ憲法下にありながら、こうした事態は九〇年代まではほとんど政治課題となることはなかった。ここでは改めて検証しないが、それまで社会の全面にわたって活躍していた明治憲法的感覚をもった世代が社会からリタイアし、現憲法下で教育を受けた新世代が、社会の前面でこの憲法を運用することとなった事実がその背景にあることは見逃せない。簡単に言えば、それまでは、「戦後」憲法は「戦前生まれ」の人たちによって運用されていたが、今から十年ほど前になって、「戦後生まれ」の人たちによって「戦後憲法」が運用され始め、その結果が先に紹介したこの十年の流れとなって表面化してきた、ということではないかと思うのである。

 

◆主導権を握る国家否定・社会解体側

 ここで注目しなければならないのは、こうした国家否定・社会解体の流れのなかで、改憲論議が行われているということである。確かに、安全保障については、冷戦終結後の国際環境の激変のなかで起こった様々な事件によって、国民の憲法意識は変化した一方、人権意識や歴史認識といった面では極めて深刻な事態が起こっているというのも、また現在の改憲問題の見逃せない一面だということである。

 しかも、この問題の深刻さは、こうした流れが当初は左翼運動として展開されていたものが、今日では政府の政策として推進されるようになっているという事実にある。

 歴史認識問題で言えば、既に「村山談話」が政府の公式見解として定着してしまっている。例えば、現在進行中の日朝交渉もこの「村山談話」を基本線として、さらに朝鮮統治に対する「謝罪」が追加されるという報道がなされている。また、国連などで慰安婦問題が論議される際には、必ず「河野談話」が最大の根拠として登場する。また、教科書について言えば、昭和五十七年以来、「近隣諸国条項」という検定基準が機能している。さらに、各地には自治体の手によって偏向した戦争資料館が作られ、こうした歴史認識が子どもたちに刷り込まれるという事態も起こっている。

 一方、人権について言えば、ジェンダーフリーの発想は男女共同参画社会基本法によって法的裏付けをもって推進されているし、政府は男女共同参画社会の基本計画の策定を進めている。これは地方自治体にも波及し、推進機関の設置をはじめている自治体もある。夫婦別姓制度はまだ法制化に至っていないが、政府の男女共同参画社会審議会が十年以内の別姓導入を答申するといった具合である。

 教育については、こうした国内法の制定にまでは至っていないが、そもそも文部省・中教審が唱えた「個性尊重」「ゆとり教育」路線が、子どもの「自由と人権」を助長したきたことは明らかであり、その意味では、文部省そのものが「自由と人権」を陰で支えた張本人と言ってもよいくらいなのである。

 つまり、国家否定・社会解体の流れは、当初は左翼運動として出発したのであるが、今日では法律、政策、行政のなかにいわば「拠点」を構築しているということである。すでに民間の運動としてではなく、こうした流れの一部は確実に政府の政策として推進されているのである。その意味では、こうした局面では国家否定・社会解体のサイドが主導権を握っているということができる。国家防衛の確立という局面とはまったく逆の、極めて深刻な事態が起こっているということである。

 とはいえ、彼らがすべての面で主導権を握っているわけではない。

 例えば、歴史認識の問題では、終戦五十年国会決議は盛り上がった国民運動によって事実上骨抜きになったし、慰安婦問題も事実関係という面では、「河野談話」の事実認識はほとんど否定され、マスコミからも「河野談話」を全面肯定する主張は今はほとんど見られない。また、平和記念館問題などの問題についても、民間の反対運動が盛り上がり、新規の建設が延期に追い込まれたケースも出ている。

 とりわけ、歴史教育については、新しい教科書をつくる運動が四年前から大きく前進し、いま検定・採択という段階を迎えている。この運動は、明らかに国民に大きなインパクトを与え、新たな局面を切り開きつつある。

 さらに、教育現場での国旗・国歌問題では、昨年の国旗・国歌法の成立によって、学校での指導の根拠法がつくられた。また、現在は頓挫しているが、森内閣が「歴史・伝統」を重視する教育基本法の改正を打ち出したことも、政府としては初めてのことであった。

 人権などにおいては、定住外国人参政権問題や夫婦別姓問題で法案の成立を阻んではいるものの、総じて国家否定・社会解体側が主導権を握っているという事実は否定できない。しかし、ようやくこのように「せめぎあい」の段階にまで盛り返している局面もある、ということである。

 

◆まずは九条改正をめざそう

 こうした事実を踏まえて言えることは、人権や歴史認識を巡る改憲状況は深刻であり、それを克服する意味で、改憲に至るまでには中間的なステップを踏まねばならないということである。その意味で、新しい教科書の普及、教育基本法改正、家族基本法を新たに制定するといった個別課題が非常に重要な意味を持つことになると思う。

 最後に、これまでの議論を憲法に即して改めて整理してみると、次のようになる。

・九条改正(特に九条二項の削除)については、論議としての帰趨が見えつつあるといってよい。また、改正を論議する政治的枠組みも生まれはじめている。

・しかし、その一方、憲法全般の議論については、特に、人権、国民主権、そして憲法が前提とする歴史認識といった面については、戦後憲法の「毒」が行き渡り、既に政治的、法律的レベルで既成事実が出来上がりつつある。つまり、改憲論として展開するまでには、例えば教育における教育基本法改正のように、まだ踏むべきステップが数段残されているというのが現実である。

・従って、当面、とるべき改憲の方策としては、憲法調査会における議論は、まず喫緊の課題である国家の防衛に関する九条改正に絞り、全面的な見直しは、その次の段階においてじっくりと論議すべきということになる。

 もちろん、九条改正問題に限っていっても、政治的な具体化の過程では様々な曲折があるだろう。また、それ以外の局面では教科書問題など個別課題と憲法論議が併行して続けられるということにもなるであろう。こうした道筋は階段を一歩ずつ上っていくのと同様、どこか迂遠に見えるかもしれない。しかし、憲法の問題は、条文の文言だけの問題ではなく、こうした現実の法律・政策や国民の意識状況までを含めた国家の現状そのものだと考えれば、こうした道筋をとるのが最も確実ではないかと思うのである。(『明日への選択』編集長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成12年12月号〉