ジェンダーフリー流少子化対策の「欺瞞」

ジェンダーフリー流少子化対策の「欺瞞」

「参画会議」がたくらむ「統計」のウソ

「女性の就業率の高い国は出生率も高い」「男性の家事・育児分担が増えれば出生率は増える」「同棲を容認すれば出生率は回復する」。だから「少子高齢化を乗り切るためにも、男女共同参画は有効」――こんな統計に騙されてはいけない。


 

◆参画会議が示すデータはウソ?

 出生率の低下が止まらない。日本の女性が一生の間に生む子供の数の平均(合計特殊出生率)は一昨年、過去最低の一・二九を記録、このまま出生率の低下が続けば、あと百年足らずで日本の人口は三分の一近くに減少するとも推計されている。

 これに対して、政府は少子化社会対策基本法や同大綱を作り、少子化傾向に何とか「歯止め」をかけようとしているが、その一方でジェンダーフリーの推進者たちは、「少子高齢化を乗り切るためにも、男女共同参画は有効」(大沢真理氏)などと唱えてきた。

 だが男女共同参画は、男らしさ・女らしさや男女の役割分担を無くし、男女とも仕事と家庭を同等に担う社会を意味する。常識から言えば、そんな社会では結婚しない男女や子供を産まない夫婦が増えこそすれ、出生率の回復など望むべくもない。

 ところが、である。彼女たちは例えば「諸外国を見わたせば、二五~三四歳の女性の就業率が高い国で出生率も高い」(大沢氏)などと反論し、「男女共同参画社会の実現=出生率の回復」という図式を流布してきたのである。

 この種の国際比較データをちらつかせた論法は、今やジェンダーフリー派の常套手段とも言える。同様の論法で、例えば「男性の家事・育児分担が増えれば出生率は増える」とか「同棲を容認すれば出生率は回復する」などという首を傾げざるを得ない主張すら喧伝されている。

 こうした主張には、実は一つの出所がある。日本人口学の権威と言われる阿藤誠氏(国立社会保障・人口問題研究所所長)だ。氏は『現代人口学』(二〇〇〇年)という著書に、「女性の労働力率と出生率」「男性の家事・育児分担度合いと出生率」「同棲・婚外子の割合と出生率」が「正の関係」にあることを示す統計図を掲載し、「(先進国では)女性がリプロダクティブ・ライツをもち、男女共同参画の理念が浸透し、個人主義が徹底している国ほど出生率が高い」と主張した。その後、これらのデータは多くの論者に使い回され、前述したような「トンデモ少子化対策論」の格好の論拠となってきたのである。

 ちなみに昨秋、内閣府男女共同参画会議の下に、「少子化と男女共同参画に関する専門調査会」(以下、少子専門調査会)なるものが作られたが、その会議の配布資料にも、阿藤氏の著作に依拠したと思しきデータや主張が載せられた。そこでは世界の主要国が北欧やフランスなどの「少子化国」と日本やドイツなどの「超少子化国」に分類され、「少子化国」の特徴として、「女性の労働力率が高い」「男性の家事・育児分担度合いが高い」「同棲・婚外子が増加している」ことなどをデータで表示。日本の課題は「超少子化国から脱して、少子化国群のレベルに達すること」だとされる。今後、トンデモ少子化対策に内閣府のお墨付きが与えられる可能性は否定できない。

 しかし、こうした一見客観的データに支えられた少子化対策論に対しては、「控えめにいって、かなり疑わしい。あえていえば、ウソっぱちである」(赤川学『子どもが減って何が悪いか!』)との批判がある。赤川氏は男女共同参画自体には賛成で、少子化容認の立場にある社会学者である。記者とは考え方が根本的に異なるが、トンデモ少子化対策論の欺瞞に対する分析は傾聴に値する。そこで以下、主に氏の分析を参考にしながら、トンデモ少子化対策論の欺瞞を明らかにしたい。

 

◆女性が働くほど出生率が向上する?

 まず最初に取り上げたいのは、「女性の就業率が高い国は出生率も高い」との主張である。例えば内閣府の「男女共同参画社会の将来像検討会」が昨年まとめた『報告書』は、「OECD諸国のデータでみても女性労働力率と出生率は正の関係が見られる」と題した「相関図」を掲げ、「仕事と子育ての両立支援策が充実することで、女性の労働力率が高まるとともに、出生率の回復につながることが期待される」と記している。

この「相関図」は内閣府が作成し、昨年、男女共同参画会議で配布したもので、少子専門調査会の配布資料にも載っている。彼らにとっていかに重要なデータであるかが分かるだろう。

 先にも触れたが、男女共同参画がめざしているのは乳幼児の母親も社会的労働を担う専業主婦のいない社会である。そのための手段が「仕事と子育ての両立支援」に他ならない。その推進者にとって、「女性の就業率が高い国は出生率も高い」と結論付けるデータがいかに都合がよいかは言うまでもないだろう(注・就業率と労働力率はほぼ同じ意味)。

 では、果たしてこの「相関図」なるものは、彼らの主張を裏付けるものと言えるのだろうか。

 この「相関図」の水脈をたどっていくと、前記した阿藤氏の著書にある「女性の労働力率と出生率」を示す統計図にたどり着く。これは先進十三カ国について、横軸に女子(二五~三四歳)の労働力率、縦軸に合計特殊出生率(一九九五年)をとったグラフである。全体的に右上がり、つまり「女性の労働力率の高い国ほど出生率も高い」ことを意味している。この「統計的事実」が多くのフェミニストたちに利用されてきたことは先にも指摘した。

 しかし、赤川氏はこの統計図について、幾つかの重大な疑問を提示している。まず、選択された十三カ国の国々の出生率の幅は、何れも一・一から二・一の間であり、「全世界的規模でみれば、しょせん出生率が低い国同士を比較しているにすぎない」事実である。

 次に、「統計学的にみれば、一三カ国という少ないサンプルで相関係数を計算することにそもそも無理がある」と氏は言う。「相関係数」とは、二つの変数の関連性を示す統計学上の指標であり、サンプルが多いほど客観性は増す。現在、一応先進国と言われるOECD加盟国は三十カ国あるが、九五年時点でも二五カ国あった。それなのに、なぜ十三カ国のみが取り上げられたのか、という話でもあるわけだ。

 この点に統計学上の不審を抱いた赤川氏は、出生率が判明しないメキシコを除くOECD二十四カ国のデータを集計し直した。すると阿藤氏のグラフとは逆の結論――すなわち「女性労働力率が高ければ高いほど出生率は低い」ことになることが判明したと言う。これは、われわれの常識とも一致する結論と言えるが、「全世界の女性労働力率と合計特殊出生率が判明すれば、おそらくこの傾向は、もっとはっきり確認されるだろう」と氏は言う。

 では、なぜこんな矛盾する結果となったのだろうか。結局、阿藤氏の統計図には、「女子労働力率が平均より低く、出生率が平均より高い国々」が一つも選ばれていないということに行き着く。つまり、対象国が恣意的に選ばれた可能性が高いのだ。「サンプルの選び方次第で、これほど結論が異なりかねないデータを、統計的事実として公表することのほうに疑問を感じる」と赤川氏は批判する。

 もっとも、内閣府が作成した「相関図」の方は、対象国を二十カ国に増やし、データも新しい。だが、そこにもトルコやメキシコやルクセンブルグなど、「女子労働力率が平均より低く、出生率が平均より高い国々」は除外されている。やはり自らの主張に都合のよいサンプルだけを選んでいるとの疑念は免れない。

 とはいえ、こうした批判に対しては、「すでに人口置換水準を下回る低出生率に移行した先進諸国を国際比較した」との反論もあり得よう。が、こうした反論に対しても、赤川氏は「相関関係が存在することは即、その二つの変数に因果関係が存在することを意味しない。簡単にいえば、この二変数の相関関係は、単なる擬似相関(見かけ上の相関)の可能性もある」と指摘する。

 さらに百歩譲って相関関係を認めたとしても、国際比較から導かれる結果がそのまま日本にも当てはまるという保証はない。事実、国内比較に基づいた分析では、「女性が職場に出ると出生率が下がる」という結論が従来の経済人口学での「オーソドックスな知見」だと氏は言う。

 確かに、最近は国内比較においても、「妻の労働力率が高ければ高いほど出生率も高い」と結論する研究は散見される。しかし赤川氏は、「都市化の度合いが、女性労働力率を低め、出生率を低める」「都市化の影響を取り除くと、女性労働力率と出生率の間には、相関関係はほとんどない」と断じている。つまり日本の場合、農村地域であればあるほど、女性は多く働いている(=働かざるを得ない)ということであり、そこには子どもが多く産まれる社会だからこそ女性も働かざるをえないという「逆の因果関係」さえありうるという話なのだ。

 ともあれ、阿藤氏や内閣府が作った統計図は極めて作為的であり、しかも、そうした「統計的事実」はそのまま日本の社会に当てはまるものでもないことを知るべきだ。

 

◆夫が家事に励めば出生率は回復する?

 次に、「男性の家事・育児分担が増えれば、出生率は増える」という主張を取り上げたい。こうした主張はストレートに唱えられるというよりも、むしろ婉曲に述べられるケースが多い。例えば伊藤公雄氏は、「男性が家事・育児を分担するかどうか、ということが問題であることがわからなかったら、少子化は解決しない」(『超少子化――危機に立つ日本社会』)と述べ、また釜野さおり氏は少子化対策の一環として、「男性の家事、育児参加を促進する意識を培い、それを可能とする労働環境を含む社会環境を作っていくことの必要性」(『少子化のジェンダー分析』)を説く。何れも慎重な言い回しではあるが、要するに「男性の家事・育児分担が増えれば、出生率は増える」と示唆している。

 こうした主張の一つの論拠となっているのも、阿藤氏の著書に載った「先進諸国における男性の家事時間割合と出生率」の統計図だと言える。これと全く同じ統計図は少子専門調査会の資料にも、「(超少子化国よりも)少子化国の方が男性の家事・育児分担度合いが高い」ことを示すデータとして載っている。

 この統計図は先進十二カ国について、横軸に男性の家事時間割合、縦軸に合計特殊出生率をとったグラフである。先に見た女性労働力率のグラフ同様、全体的に右上がり、つまり「男性の家事・育児分担度が高い国ほど出生率も高い」ことを示している。しかし、果たしてこの統計図は、「男性の家事・育児分担が増えれば、出生率は増える」ことを示す資料と言えるのだろうか。

 まず、この統計図についても先に述べた疑問がそのまま当てはまる。つまり世界的規模でみれば、しょせん出生率が低い国同士を比較しているにすぎないし、また統計学的にみれば、十二カ国という少ないサンプルで相関係数を計算することにそもそも無理があると言えよう。

 さらに、国際比較から導かれる結果がそのまま日本に当てはまるのかという疑問がある。実際、赤川氏は日本人を対象とした調査データに基づき、「男性の家事・育児分担が増えれば、子ども数は増える」という命題の検証を試み、その結果をこう述べている。

 「夫が専門管理職であれば、また、妻が高学歴かつ常勤であれば、夫の家事分担は増加する。ただしそういう世帯であるからといって、子ども数が他の世帯と比べて多くなるわけではない。要するに、男性家事分担度を引き上げる要因(夫が専門管理職、妻が常勤かつ高学歴)は、子ども数を高める要因にはなっていないのである。むしろ、それらの要因は子ども数を低める可能性が高いといったほうがより正確だろう」

 こうした診断に基づき、氏は「夫の家事分担と子ども数の間にはほとんど関係がない。逆に、夫の家事分担の度合いが高い家庭ほど、子ども数が少ないとさえいえる」と結論づけるのだ。

 一方、こうした主張が唱えられるようになった背景には、「家事・育児への負担感が女性に結婚や出産を敬遠させている」との仮説がある。これは、今では半ば「常識」のように語られているが、実は「育児の負担感」については反証とも言うべき分析結果がフェミニズムの著作でも報告されている。すなわち先の釜野氏は「女性の生活意識に関する調査」(九一年)のデータを分析して言う。「育児コスト感、つまり結婚すると育児をする、ということをコストだと思うかどうかは、結婚意欲にも出産意欲にも関連を示さなかった。育児を結婚のコストであると感じていても、結婚したくないと考えたり、子どもを欲しくないと考えたりすることにはつながらない」と。

 この分析を一般化するつもりはない。ただ、「男性の家事・育児分担が増えれば、子ども数は増える」という主張が、かくも根拠薄弱なものであることを知っていただきたい。

 ここで想起すべきは、男性の家事・育児参画を唱導する人々の中には、父性や母性という言葉を退け、「育児性」などという造語を使う人が多いことである。結局、こうした主張の真の狙いは夫婦のジェンダーフリー化にあるのであって、出生率の向上にあるとは到底思えない。

 もとより、それぞれの家庭の実情に応じ、家事・育児を夫婦が適切に分担することは当然のことではある。とりわけ育児や子供の躾けを含む家庭教育の営みには、母親と父親の協力は欠かせない。しかし、そこには自ずと父性と母性の役割の相違があるべきなのである。

 

◆出生率回復のために同棲を容認?

 最後に、「同棲を容認し、婚外子への区別を撤廃すれば、出生率は回復する」との主張を取り上げたい。これはトンデモ少子化対策の最たるものと言えようが、昨年の「一・二九ショック」を追い風として、この種の主張がマスコミでも盛んに喧伝されるようになってきた。

 先日も、フジテレビ「報道二〇〇一」にゲスト出演した家族機能研究所の斎藤学所長が、「既存の少子化対策は全て失敗で、残された道はこれしかない」と婚外子を奨励。フランスが出生率を挽回した理由について、子供に対する手当を充実させたことと、家族形態で同棲と結婚とを同じにした点を氏は力説した。

 また日経新聞(平成16・6・17)は、今日のスウェーデンは出生率の「回復期」にあるとして、その背景にはサムボ(事実婚)法など「カップル形成の柔軟さがある」と讃える論者のレポートを掲載した。その論者は、「若い人たちにとってすごしやすいカップル形成の選択肢を増やすなど広義の子育て環境の整備こそ、出生率回復に有効」と説いた。

 さらに少子専門調査会の資料にも、「(超少子化国よりも)少子化国の方が、同棲・婚外子が増加している」とする統計資料が載せられた。それによると、婚外子率が四〇%以上のフランスやスウェーデン(約五五%)などの「少子化国」と比べて、ドイツ、イタリアなどの「超少子化国」の割合は低く(一〇~二〇%)、とりわけ日本のそれ(約二%)は極端に低い。しかし、だからと言って同棲・婚外子奨励策を唱えるのは、余りにも単純かつ無謀である。

 先の斎藤氏も「あまり健全な家族にこだわり過ぎるとダメ」と発言していたが、この主張の最大の問題は「家族」の視点が欠けていることだ。要するに同棲容認論の正体は一種の家族解体論と言っていい。

 確かに同棲と結婚を同等に扱い、婚外子を区別しない法的・社会的環境を整備したフランスやスウェーデンは、わが国やドイツと比べて出生率がやや高い。しかし忘れてならないのは、同時に両国ではシングル・マザーや離婚の比率も極めて高く、再再婚家族という形態すら珍しいものではないことだ。林道義氏は、日本やドイツなどの超少子化国とフランス、スウェーデンなどの少子化国との違いを、「離婚率の上昇など、家族が壊れつつある後者のグループに対して、前者のグループの国々では、子育てなどの家族機能をできるだけ保持しようとしている人々が相対的に多い。……家族がまだまだ健全に保たれている」と指摘する。

 また、こうした家族崩壊のツケとして、スウェーデンでは人口十万人あたりの平均犯罪(殺人は含まない)で、「日本の七倍、米国の四倍」とも言われる「犯罪王国」(武田龍夫氏)となってしまったことは周知の通りである。仮に同棲容認策によって子供が増えたとしても、子供を健やかに育てる基盤たる健全な家族と社会が壊れてしまえば、一体何のための少子化対策なのかと言わざるを得ないだろう。

 それだけではない。「こうした施策を行ったとしても、早急に出生率が回復することはない」と赤川氏は指摘し、その理由をこう述べる。

 「『わざわざ結婚しなければできないことは出産だけ』という状況が現実的な現在の日本社会では、恋人や同棲カップルに妊娠が発覚すれば、多くの場合、結婚というかたちを選択するからである(できちゃった結婚など)。同棲や事実婚というかたちを維持するためにあえて子どもを産まない選択をしているカップルがないとはいわないが、同棲はむしろ、子どもをもってはいけない共同生活と意味づけられている」
 
 そうであれば、同棲容認策が出生率回復に結び付かないのは極めて明らかだろう。それどころか赤川氏は、同棲容認策が結婚阻害要因となり、日本では子どもの数が減ってしまうことさえ示唆している。すなわち、同棲に法律婚と同等の手厚い法的保護を与えてしまえば、結婚することのメリットはなくなり、そうなればそもそも男女は結婚しなくなるのではないか、と氏は言うのである。的を射た指摘と言えよう。

 このように、同棲と結婚の敷居を低める同棲容認策は、わが国では結婚への動機づけを弱め、逆に少子化助長策なってしまう恐れが強いのだ。結局、この主張はわが国の文化的・社会的土壌を無視した暴論と言うしかない。

 

◆結婚・出産・育児の価値と意義を教えよ

 以上のように、男女共同参画絡みの国際比較データは恣意的に歪められたり、国内比較に基づいた分析結果と矛盾するケースが多い。「だからこそ近年、少子化対策や男女共同参画の分野では、国際比較データが多用されるのではないか。そうした疑念をぬぐいきれない」と赤川氏は指摘する。

 一方、先に紹介した釜野氏の日本女性を対象とした調査分析によれば、「出産意欲が高い人ほど、結婚をしたいという気持ちが強い」「結婚を必然と考える人ほど結婚意欲が強い」「結婚したら子どもを持つべき、という考えをもつ人ほど、出産意欲が強い」ことが判明したと言う。

 こうした事実を踏まえ、フェミニズムの立場から氏はこう結論づけている。

 「結婚と出産についての価値観が、意欲にかかわっていることが確認された。……一般的には、『昔と違って、いまや結婚や出産は個人の自由である』といわれているが、人々の結婚意欲や出産意欲は、根底では、規範に左右されているのである」

 それ故、こうした「価値観」や「規範」を無くせというのがフェミニズムの立場であり、実際、それらを壊してきたのが男女共同参画=ジェンダーフリーに他ならない。それは例えば、こうした考え方が浸透した現行の家庭科教科書の次のような記述を見ても一目瞭然であろう。

 「結婚するのが当然とされていたかつての社会に比べると、結婚しない生き方が選びやすくなっているといえる。今後は非婚という選択も、ライフスタイルの選択肢のうちのひとつとされるであろう」(教育図書『家庭基礎+』)

 これが男女共同参画の正体なのである。とすれば、やはり男女共同参画の推進と少子化の克服は氷炭相容れないものと言わざるを得ない。

 しかし、少子化対策という視点で先の釜野氏の分析を素直に受け止めるならば、少子化克服の根本が、命を次世代につなげる結婚・出産・育児の価値と社会的意義を若者にしっかり教えることにあることが改めて確認できるはずである。こうした真の少子化対策への道筋をつけるためにも、まずは心ある国民と政治家に、男女共同参画論者が唱える少子化対策論の欺瞞をしっかり認識してもらいたい。(日本政策研究センター研究員 小坂実)

〈『明日への選択』平成17年4月号〉