暴かれた「ジェンダー論の権威」の虚構

暴かれた「ジェンダー論の権威」の虚構

『ブレンダと呼ばれた少年』を読む

「ひとつの性から別の性に変えることもできる」――こうして少年を少女「ブレンダ」として育てる実験が行われ、それに基づいて、ジェンダーがセックスを規定するという理論が証明されたと性科学の「権威」が報告した。しかし、その報告はウソだった。


 

 男女共同参画関連の広報誌などにしばしば登場する「ジェンダー」なるカタカナ言葉――。生物学的性別(セックス)とは異なる「社会的文化的性別」とか「男らしさ・女らしさ」などと説明されている。今日、「ジェンダー・フリー」に対しては国民の警戒心が高まっているが、問題の根は実はこのジェンダーなる概念自体にある。それについて、フェミニスト自らがこう率直に吐露している。

 「『ジェンダー』はもともと性別を表す文法用語だが、七〇年代フェミニズムは、自然的とされ、したがって変えることのできないとされた性差を相対化するために、この用語をあえて持ちこんだ。…『ジェンダー』という用語は、性差を『生物学的宿命』から引き離すために、不可欠な概念装置としての働きをした。もし『性差』が、社会的、文化的、歴史的に作られるものであるなら、それは『宿命』とは違って、変えることができる。フェミニズムは『女らしさ』の宿命から女性を解放するために、性差を自然の領域から文化の領域に移行させた」(上野千鶴子『差異の政治学』)。

 つまり、ジェンダーは、もともと男女の性差を解体するための「概念装置」だったというのである。

 では、このジェンダーなる概念は、どのようにして誕生したのだろうか。この概念の生みの親として、フェミニストたちから教祖のように崇められ、論文等にも盛んに引用されている学者がいる。その名はジョン・マネー。米国の著名な性科学者だ。マネーについて、例えば小倉千加子は「ジェンダー概念の誕生に貢献した最大の人物」と讃え、また上野は「人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを明瞭に示した」と、その業績を評価する。

 ごく単純化して言うと、自分が男か女かの認識(性自認)は、生まれつきではなく生後の環境によって決まることを実証したとされる性科学者がマネーである。フェミニズムは彼のジェンダー理論を、「男と女は生まれるのではなく作られる」とする自らのイデオロギーを裏付ける科学的根拠として導入した。そして今日、マネーに依拠すると思しきジェンダー論は高校生の教科書にまで登場する。例えば『展開 国語総合』(桐原書店)には、「ジェンダーがセックスを規定しているという指摘さえある」と書かれている。

 しかし、実はマネーのジェンダー論はとうの昔に破綻が明らかになっていたと言える。なぜなら、そもそもマネー理論の最大の論拠となったのは、ある正常な少年を少女に変えることに成功したという事例だとされるが、実際は、少年は少女に成りきれず男に戻っていたのである。

 日本のフェミニストたちの多くは、この重大な事実に触れようとしないが、ジョン・コラピントが著わした『ブレンダと呼ばれた少年』(二〇〇〇年・無名舎)は、この事実を詳しく記している。この本は発行当初、一部で大きな話題となった。が、残念ながらすでに絶版となっており、手軽に読むことが出来ない。そこで、この本の概要を紹介し、改めてジェンダー概念の問題性を指摘したい。

 

◆マネー対ダイアモンド

 まずは、本書の主人公ブレンダに悲劇の人生を強いた張本人、マネーのジェンダー理論について、改めてコラピントの解説を参照しながら説明してみたい。

 先にも触れたように、マネーは性をセックスとジェンダーという二つの概念に切り離す一方で、人間の性認識を決定するのはセックスではなくジェンダーだと説いた。つまり性別の決定において、「氏よりも育ち」が優越するとの主張である。

 だがコラピントによると、この主張の根拠とされたのは、主に半陰陽(インターセックス)の症例研究であったという。例えば一九五〇年代、マネーは百三十一人の半陰陽者を検査し、「患者の九五パーセントは、男の子として育てられようが女の子として育てられようが、心理学上健全に成長した」と報告した。そして、「半陰陽者の子供の性のアイデンティティを決定づける主要因は生物学的なものではなく、その子供がどう育てられたかであり、彼らこそがその証拠であると主張した」。

 この自説を根拠に、マネーは自分が属するジョンズ・ホプキンス大学病院の医者たちに、半陰陽の新生児を外科手術とホルモン療法によって、「望むとおりの性に変えることができる」と請けあい、また実践した。

 ところが、驚くべきことにマネーは、半陰陽者の症例から引き出した理論を正常な性器を持つ全ての子供たちにも適用し始めたのである。例えば一九五五年に出版した著書の中では、性別は誕生時には未分化のままで、成長過程での様々な体験を通して、男であるか女であるかの差異が生じてくると説いた。

 これは名著として絶賛され、マネーは全米精神医学界協会の賞を受賞する。それを契機に彼の名声は高まり、性科学の「リーダー的存在」となっていくのである。

 一方、六〇年代半ば、マネーに異議を申し立てた人物が現れる。カンザス大学の若き研究者ミルトン・ダイアモンドである。彼は大学院の奨学金申請論文でマネー理論をはっきりと否定し、「ジェンダー・アイデンティティは胎児のときから脳に組みこまれている」と主張した。そして、半陰陽者ばかりか、正常な子供に関してもマネー理論が受け入れられている現状に異議を表明し、「完全な男性である正常な子供が女性として育てられ、成功したという実例はひとつも提示されていない」と、マネー理論の根本的欠陥を指摘した。

 

◆「実験台」とされた少年

 さて、ダイアモンドがマネーを批判した一年八ヶ月後、マネーはカナダに住む若い母親から一通の手紙を受け取った。息子である一卵性双生児の一人が被った、包茎手術での悲惨な事故を告げるものだった。その事故こそは、ブレンダの悲劇の人生の始まりであり、同時にマネーにとっては、自説の欠陥を補強するための千載一遇の人体実験を行う機会の到来でもあった。

 その事故は一九六六年春、カナダのウィニペグで起きた。レイマー家の生後八ヶ月の双子の男の子の兄のブルースが、包茎手術の最中、医者の過失でペニスを焼き焦がされてしまう。レイマー夫妻は幾人もの専門医に相談するが、「絶望的な診断」が繰り返されるばかりであった。

 事故から十ヶ月後のあるテレビ番組で、夫妻はある学者がジョンズ・ホプキンス大学病院で行われ「数々の奇跡」を起こしている性転換手術について語っているのを見た。その学者がマネーであった。マネーは言った。「赤ん坊がどちらの性を持って生まれてくるかは関係ない、その気になれば、ひとつの性から別の性に変えることもできる」と。その発言は夫妻には「心の痛みを和らげる鎮痛剤」のように受け止められ、妻のジャネットは早速、マネーに相談の手紙を書いた。

 レイマー夫妻がジョンズ・ホプキンス大学病院を訪れたのは六七年はじめのこと。マネーは夫妻に即座に性転換手術を勧め、「妊娠して出産することこそ不可能だが、精神的には女性として成長し、男性にたいして性欲をいだくようにもなるだろう」と請け合った。

 夫妻は考慮の末、マネーの申し出を受け入れ、息子を娘に変えることに同意、新しい娘をブレンダと命名する。以後、マネーの理論を信じた夫妻による涙ぐましい努力がなされることになる。ブレンダに女の子らしいガウンやドレスを与え、人形で遊ばせ、髪は巻き毛が耳の下まで伸びるにまかせた。半年後には睾丸切除の手術も受けさせた。さらに夫妻は、マネーによる「追跡検査」のため、年に一度、二人の子供――つまり「姉」のブレンダと弟のブライアンを連れて大学病院を訪問し続けた。

 だが、コラピントはこれらの処置について、マネーやジョンズ・ホプキンス大学病院の医師たちが、「正常な性器と神経系統を持って生まれてきた子供に性転換手術を行ったことは一度もなかった」として、「まったく実験的な試みであった」と指摘する。つまりブレンダは、マネーの理論を証明するためのいわばモルモットにされたわけである。

 

◆「双子の症例」のインパクト

 このマネーの実験は「双子の症例」と名付けられ、マネーによって性転換の「絶対的な成功例」として報告され、学問の諸領域に大きなインパクトを及ぼすことになる。

 マネーは自著『男と女、男の子と女の子』の中で、正常な赤ん坊に対して実験を行う「予想外の機会」が訪れたと報告し、双子の弟ブライアンと対比して、「ブレンダの行動が女性的な行動の典型に適合する無数の例」を紹介した。「『車やガソリンスタンドやさまざまな道具』にたいするブライアンの興味は、『人形や人形の家や人形用の乳母車』にたいするブレンダの熱心な興味と対比され、きれい好きなブレンダの性格は、そんなことにまったく注意を払わないブライアンの性格とは完全に異なるものとして断定された」。

 またマネーは、「双子の症例」が学会や社会の注目を浴びるよう「できるかぎりのことをした」と指摘した。七〇年代、彼が講演でこの話題を出さないことはめったになかったという。

 では、「双子の症例」は社会にいかなる影響を及ぼすことになったのか。コラピントは、その症例は「社会科学、泌尿器学、そして内分泌学にいたるまで、さまざまな分野のテキストに正式に記された」と述べ、その影響の大きさを記している。

 典型的なのは七七年に出版されたイアン・ロバートソン著『社会学』である。マネーの研究は、「子供たちが反対の性として容易に育てられることを示しており」、たとえ人間に生得上の性の違いがあるとしても、「それは確固としたものではなく、文化的な学習によってくつがえすことができる」と書かれているという。

 また「双子の症例」はフェミニズム理論の強化にも大きく貢献した。例えばフェミニストのバイブルとされた『性の政治学』の中で、ケイト・ミレットは既にマネーの五〇年代の論文を根拠に、「男性と女性の違いは生物学的な根拠ではなく、社会の期待や偏見を反映している」と主張していたが、「双子の症例」は彼女の主張に対し「さらにドラマチックで反駁の余地のない証拠を突きつけることになった」と指摘した。

 このように、性科学から生まれたジェンダー概念は、「双子の症例」の影響によって社会科学の分野にドッと流れ込んだと言える。日本のフェミニズムや「女性学」におけるジェンダー論の伝染病の如き流行が、この延長線上にあることは言うまでもない。

 

◆隠蔽されたブレンダの「真実」

 ところが、である。こうした事実とは全く裏腹に、正常な少年を少女に変えるという狂気の実験は完全な失敗に終わっていたのである。コラピントは、レイマー家の家族をはじめ、ブレンダの幼少期の先生や友人などを広く取材し、極めてリアルで生々しい証言をいくつも載せている。

 とりわけ印象的なのは、ブレンダの双子の弟であるブライアンの次のような証言だろう。

 「(ブレンダには)女らしさのおの字もなかったよ。歩き方も男みたいだったし、坐るときはいつも脚を広げてさ。話し方だって男みたいで、家を掃除したり、結婚したり、化粧したりなんてことには興味も示さなかった。おれたちはふたりとも、男友だちと城をつくったり、雪合戦をしたり、軍隊ごっこをするのが大好きだった」

 また幼稚園の先生も、「ブレンダは無鉄砲なまでに乱暴であり、有無を言わせぬほど強引で、女の子らしいことにはまったく興味を示さなかった」と当時を振り返っている。

 実際、ブレンダは去勢手術後も、おしっこを立ったままし続けたという。「(母親は)小便をするときは便器に向かって立ってはいけないと説得しようとした。しかし、おだてようがなだめすかそうが、ブレンダはまったく聞く耳を持たなかった」。

 当のブレンダ本人は、女性として生きることを強いられた当時の心の葛藤をこう吐露している。

 「みんながみんな、おれに言うんだ。おまえは女の子だって。だけど、おれは自分のことを女の子だとは感じられなかったんだ。とにかくしっくりこないんだよ。で、おれは思ったんだ。何かが間違ってるって」

 こうした一連の証言は、先に触れたようなブレンダの行動に関するマネーの報告が、全くの偽りであったことを示していると言えよう。

 驚くべきことに、こうしたブレンダの異様な行動は、母親からマネーに報告されていたという。しかしマネーは、「時間が経てばすべて解決する」などと請けあうばかりで、母親の心配や、性の認識をめぐるブレンダの心の葛藤を真剣に受けとろうとはしなかった。

 それどころかマネーは、ブレンダに女の子としての自己認識を植え付けるべく、膣形成手術を要求し続ける一方、ポルノグラフィを見せたり、弟のブライアンと性行為の真似事まですることを強要したという。コラピントが跡付けているマネーの姿は、まさに「マッド・ドクター」という言葉を彷彿とさせるものだ。

 こうしたマネーの常軌を逸した数々の要求に、ブレンダはついにノイローゼ状態に陥ってしまう。にもかかわらず、ブレンダは手術に最後まで同意しなかった。「手術を受けたら自分ではない性に閉じ込められてしまうと確信していた」からだ。

 結局、ブレンダは十四歳の時に両親から事の真相を全て告知されたのを機に、男に戻ることを決断する。

 

◆「心理ゲーム」の残酷な結末

 一九八〇年、ブレンダはデイヴィッドと名を改め、男としての人生を取り戻す。その頃からマネーは、「双子の症例」について直接的には言及しなくなる。同僚たちに対してマネーは、この症例は「追跡不可能」になったと主張し続けたという。しかし、それは真っ赤なウソだった。母親のジャネットは、「デイヴィッドが男に戻ったことや、あの子の日々の生活について、私は博士に手紙を書いた」と証言しているからだ。

 一方、八〇年代以降、ダイアモンドは独自にブレンダの調査を行い、ようやく九七年「双子の症例」の失敗を明らかにした論文を公表する。ブレンダが男に戻って既に十七年もの歳月が過ぎていたが、その論文は「マネーの研究に基づく臨床医学を根底から覆す」契機となる。

 真相の公表までに長い歳月を要したのは、ブレンダの治療に当たった精神科医たちがマネーの権威を恐れ、協力を拒み続けたためだ。この間、マネーが性懲りもなく同様の「人体実験」を繰り返した事実をコラピントは記しているが、こうした人物が九七年においてなお、「今世紀で最も偉大な性科学者のひとり」として「称賛」されたという。ただただ驚き呆れるばかりである。

 他方、デイヴィッドはその後、連れ子を持つ女性と結婚し、夫としてまた父親として人生を歩んでいく。だが今年四月、三十八歳の若さで自ら命を断つ。

 彼の自殺の真の理由は分からない。が、誤った理論に基づく人体実験によって少年期に被った心身の深い傷が無縁であるとは到底考えられない。今から七年前、彼は語っている。「あんな拷問はない。やつらが仕掛けてきた心理ゲームのおかげで、おれの頭んなかはめちゃくちゃになっちまったのさ」と。デイヴィッドの人生の悲惨な結末は、男か女かの性別は環境が決める、だから後天的に変えられるというマネー理論の虚構性、そしてその犯罪性をも如実に示しているように思われてならない。

 が、もちろん問題はマネーのジェンダー理論ばかりではない。今日の大脳生理学は、男か女かの性認識や男らしさ・女らしさを一義的に決めるのは、環境ではなく脳、すなわち生物学的要因であるとの結論に達していると言える。こうした最新の科学的知見を踏まえれば、ジェンダーなる概念自体が危険な代物と言うべきなのだ。なぜなら、それは「性差は育ちの結果である」との非科学的な錯覚に人々を誘い込み、自然が授けた自らの性別への憎悪を植え付けることにもなるからだ。そうした「自然への反逆」の帰結が悲劇でしかないことを、『ブレンダと呼ばれた少年』は、いかなる抗弁も許さぬ事実をもって突きつけているのではあるまいか。(日本政策研究センター研究員 小坂実)

〈『明日への選択』平成16年12月号〉