フェミニズムに牛耳られた国連

フェミニズムに牛耳られた国連

男女共同参画社会の国際的背景

国連が、母親による子育てを非難し、同性愛や中絶を推進する?


 

 わが国の男女共同参画行政の中には密かにジェンダーフリー思想の「毒」が注入されていた。そうした恐ろしい事態に立ち至ってしまった背景に、フェミニストの狡猾な「戦略」と保守派の「無関心」があったことを前号で指摘した。

 が、それだけの理由でこのような企みが実現したのではない。当然ながら、そこにはより大きな背景があったと言えるが、とりわけ見逃せないのは国連の女性政策の影響だ。

 男女共同参画行政が、女子差別撤廃条約や北京世界女性会議の「行動綱領」など、国連の女性政策に連動しつつ進められてきたのはまぎれもない事実である。その際、一役も二役も買ったのが日本のフェミニストたちだ。彼女らは、国連の条約や約束事を最大限に利用して政府を突き上げ、自らの過激な主張をわが国の法制度に反映させてきたのである。男女共同参画社会基本法はその最大の「成果」ともいえる。

 この事実からもうかがえるのは、今の国連の女性政策はフェミニズムに侵されてしまっているということである。国連はフェミニズムに権威を与えるための「道具」と化しているといっても過言ではない。仮に国連が存在しなかったとすれば、男女共同参画行政がかくもフェミニズム思想で歪められるということもなかったかも知れない。

 国連の女性政策をフェミニズム化してきた先導役の一つが「女子差別撤廃委員会」(以下「委員会」)である。この委員会は、女子差別撤廃条約の実施状況を監視するために設けられた機関であるが、今やこの機関はフェミニズムの事実上の推進機関となり果ててしまっている。

 そんな恐るべき現実を数々の証拠を挙げて指摘したのが、米国の有力シンクタンクであるヘリテージ財団のパトリック・ヘイガン氏である。氏は委員会がこれまで公表した報告書の中に「母親役割の否定」「売春の奨励」「中絶の促進」などの勧告が多数含まれていることを発見し、今の国連が社会の基礎である家族、また結婚や性についての伝統的モラルを崩壊させることによって、各国の社会的・文化的規範と国家主権を損なおうとしていると厳しく批判した。

 今日、日本人の「国連信仰」はさすがに崩れつつあるとはいえ、未だに多くの国民は国連を正義の象徴と素朴に思い込んでいる。また、だからこそ日本のフェミニストたちは、国連の権威をテコに自らの主張を正当化できたのだ。しかし、今こそ日本人は、国連が家族や伝統的モラルの「敵対勢力」と化している現実をしっかり認識しなければならない。

 以下、ヘイガン氏の論文「女性と子供の権利に関する国連条約は家族、宗教および国家主権を毀損している」に拠りつつ、フェミニズムに侵された国連の現実を示したい(なお、同論文は「児童の権利条約」にも言及しているが本稿では触れない)。

 

◆「男は仕事、女は家庭」を否定する条約

 先にも触れたように、女子差別撤廃委員会とは、一九七九年に国連で採択された女子差別撤廃条約の実施状況を監視するために設けられたものである。では、そもそも女子差別撤廃条約とはいかなるものなのか。

 この条約は一般に、「あらゆる形態の女子に対する差別を撤廃すること」をめざす条約といわれている。その最大の特徴は、あらゆる分野における法制面での男女平等の確立にとどまらず、男女の定型化された役割に基づく偏見や慣行を改めることを求めた点である。それは例えば次のような条約の文言に示される。

 「社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要である」(前文)
「男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること」(第五条)

 一読、フェミニストの主張と間違いそうだが、れっきとした国際条約の文言だ。要するにこの条約は、男女の性別役割意識の解消を叫ぶフェミニストの要求を条約化したものといってもよさそうだ。

 ちなみに、日本でも過激フェミニストとして知られる上野千鶴子東大教授は、かつてこんな感想を述べている。「条約の文言を読んで日本の現実とのあまりの落差に茫然自失しました。こんなものに署名してきた日本政府代表って、おいおい、本気かよ、字が読めなくて署名してきたんじゃないのか(笑)と思うぐらいの大きなショックがありました」と。

 条約に先立つ十二年前の一九六七年、国連は「女子差別撤廃宣言」を採択しているが、同宣言には家庭責任は女性がもつのが当然(前文で「家族、特に子の養育における女子の役割に留意し」と規定)という性別役割の考え方が明確にうかがえる。つまり、この宣言と先の条約の考え方の落差には、その十二年の間に国連のフェミニズム化がいかに進んだかも示されているわけだ。

 とはいえ、誤解してならないのは、この条約といえども、「家庭や社会における具体的な男女の在り方まで規定しているものでは」なく、「家庭にとどまることを希望する女子に対しそういった希望を捨てて社会に進出することまで要請しているものではな」いことである(外務省編『女子差別撤廃条約』)。つまり、この条約は決して家庭での母親の役割や母性を否定するものではない。それどころか、余り注目されてはいないが、この条約には母親の役割や母性を擁護しているとみなし得る次のような文言まで存在する。

 「家族の福祉及び社会の発展に対する従来完全には認められていなかった女子の大きな貢献、母性の社会的重要性並びに家庭及び子の養育における両親の役割に留意し………」(前文)

 ところが、例えば『女子差別撤廃条約注解』(国際女性の地位協会編)は、この前文の記述について、「従来型の女性の貢献と、育児における母親の役割(文面では、不明確)を強調しすぎないように」などと注意を促している。要するに、この条約がフェミニズム色の濃厚な条約であることは否定できないのだが、それ以上に無視できないのが、条約がフェミニストたちによって恣意的に解釈され、彼らの運動に利用されてきたということなのだ。

 

◆攻撃される家庭と母親の「役割」

 そうした条約を歪めた形でのフェミニズム運動の先導役となっているのが、ヘイガン氏が厳しく批判する女子差別撤廃委員会なのである。この委員会は、「徳望」が高い二十三名の専門家で構成され、条約の実施状況に関する各国からの報告書を審議し、総会において提案・勧告する権限を有している。委員会は経済社会理事会からも総会からも指示を受けない独立した機関で、九九年には委員会に調査権を認める選択議定書も採択されるなど、その権限はますます強化されつつある。

 ところが、である。この「徳望」高き専門家で構成されているはずの委員会が出す報告書や勧告の内容が、普通の人々が仰天するような代物なのである。ヘイガン氏は、これらの報告書や勧告を詳しく分析した上で、この委員会は「母親役割の否定」「結婚に基づく家庭の否定」「中絶の促進」「ジェンダー概念による社会規範の変革」といった方向に各国の制度・政策を動かそうとしていると指摘している。

 まず、「母親役割の否定」から見てみよう。ヘイガン氏は、委員会は母親が家庭で果たしてきた役割を否定する一方、母親が外で働くように仕向けるよう各国政府に要求していると指摘する。例えば氏はこう述べる。

 「委員会は家庭で子育てに専念する母親を非難するとともに、より多くの母親が外に働きに出られるように、また出産後より速やかに職場復帰ができるように、新生児を含む、できるだけ多くの子供たちが利用できる公設の保育機関を作ることを各国に要求している」

 「国連の報告書は各国に対し、家庭における母親の役割を支える文化的規範を法律で排除することを指示している。国連の委員会は、女性の地位向上と差別の減少といった名目で、母親としての女性の地位を軽視するよう勧告している。なかんずく、母性は社会的構成員として重要ではなく、母の日は憂慮すべきものと考えるよう各国に勧告している」
また、委員会が「結婚に基づく家庭」を否定しようとしていることについて、氏はこう述べている。

 「社会科学の研究成果があるにもかかわらず、国連は国家が結婚を安定させ、家庭を強化することを支援するような政策をとらない。それどころか、国連の委員会は結婚に基づく家庭を最終的には破綻せしめる政策を遂行している」

 委員会は「特に十代の子供たちの間で婚外子の出産を増加させる政策を奨励している」と氏は言う。要するに国連は、「出産と育児を結婚に基づく家庭の中で行うことを保護してきた文化的・法的構造を撤廃しようとの意図を持っている」というのである。
 むろん先にも見たように、女子差別撤廃条約は母親の役割や結婚に基づく家庭を否定するものではない。

 

◆同性愛と中絶の「推進」

 では、「中絶の促進」とはどういうことなのか。氏は例えば委員会が「中絶を拒否する宗教関係の病院は、女性差別を行っている」と信じていると指摘しこんな事例を挙げている。

 「国連のイタリアに対する報告書では、蕫医師および病院関係者による良心的中絶反対が頻発する結果、南イタリアにおいては中絶を受け得る機会がきわめて限られていることを特に憂慮する﨟と表明している」

 また委員会は、「中絶は十代の女子に何ら制限されることなく許される権利として国内法および国際法により保護されるべきであり、またいかなる場合であっても、たとえ良心にもとづく理由であっても、中絶の禁止は犯罪とすべきであると要求している」とも氏は指摘している。これは事実上の「中絶の促進」に他ならないと氏は批判するわけだ。

 さらに重大な問題は、委員会が「ジェンダー」概念を強調することによって、「社会規範を作り直す政策を遂行している」ことだという。ヘイガン氏はこう述べる。

 「委員会が勧告しているのは、伝統的な性別役割および行動様式と戦かうこと、性(ジェンダー)を生物学的区別ではなく、単なる社会的に形成されたものとして再定義すること、このジェンダー定義を広めるために、全ての学年の教科書を見直し、カリキュラムを変えること、このために、ジェンダー研究に予算を付けること、ジェンダーの問題とジェンダー平等に関する専門職を再教育すること、そして宣伝活動を行うことである」

 驚かされるのは、こうした「性の再定義」には、(性別に基づく)社会的制約の排除という意図とともに、「同性愛およびその他の伝統的には認めがたいライフスタイルを正常なものとして受け容れる枠組みをつくる」という意図が含まれているとの氏の指摘であろう。

 当然、こうした中絶や同性愛の事実上の促進ともいうべき委員会の志向は、各国の宗教的価値観と衝突せざるをえない。ヘイガン氏は、委員会が「宗教の自由」に「敵意」を燃やしていることは、例えばインドネシアへの次のような「助言」にも明らかだと指摘している。

 「女性の普遍的権利を侵害する文化的・宗教的価値観は許容されるべきではない。……女性の社会参加を禁止している最も顕著な要因は文化的価値観と宗教的信条である」

 これまで見てきた委員会の報告は、ヘイガン氏が挙げている事例のほんの一部に過ぎないが、いかに国連の委員会がフェミニズムの先導役を務めているかはすでに明らかだろう。

 では、一体どうして国連の委員会は過激なフェミニズムに侵されてしまったのだろうか。その背景としてヘイガン氏が指摘するのは「急進的社会政策を推進しているNGO」の地位が国連の条約制定や世界女性会議において高められてきたことだ。「このような仕組みが……国家の公式な外交官の役割を狭めるとともに、各国の政府が国内政策を決定する権能と権威をも弱めている」のだと氏は批判している。

 かくして、ヘイガン氏は国連の現状を次のように結論付けるのだ。

 「国連は、社会構造の根本的な変革をじっくり進めている強固なフェミニスト・社会主義者連合の道具となり果てている。国連の基本理念から見て国連の法的権限に属さない政策を各国に受諾することを強要しているのが、この連合である」

 要するに、今の国連の女性政策は、家族解体をめざす「フェミニストと社会主義者」によって牛耳られているということである。

 

◆国連を利用する日本人フェミニスト

 最後に、女子差別撤廃委員会と日本人フェミニストたちとの関わりにも触れておこう。

 さる二月三日、十三名の日本女性がニューヨークの国連本部に乗り込んだ。何れも「日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク」のメンバーだ。今年七月、日本政府の報告書が委員会で審議されるに当たり、事前の委員会作業部会に、自分たちの要望を伝えに行ったのだ。要は、一種のロビー活動というわけだ。

 では、彼女たちはニューヨークで一体何を訴えてきたのだろうか。例えば「国際女性の地位協会」のメンバーは、「男女共同参画社会基本法へのバックラッシュについて話したい」と切り出し、こう訴えたという。

 「基本法の制定以降、多くの地方自治体が男女平等を実施していくための条例を制定しております。しかし、保守的な人々からの『女らしさ、男らしさを否定せず』といった、法の価値を無にするような意見が条例に書き込まれたり、主要新聞でも、こうした動きを支持する論陣を張るものも出てきています。……是非、これらのバックラッシュという障害を除去し、地方自治体が真の男女平等に基づく条例作りをできるような環境をつくるために、政府がどのような措置をとろうとしているのか確認していただきたいと思います」

 今日、各地の自治体が作り始めた男女共同参画の推進条例に対して、ようやく良識派市民の間から強い批判の声が出始めた。これを脅威と感じたフェミニストが、国連の委員に日本政府に圧力をかけるよう訴えたというわけだ。

 また、日弁連のメンバーは夫婦別姓と「従軍慰安婦」問題を取り上げ、例えば夫婦別姓についてこう述べた。「夫婦別姓について反対する人よりも、賛成する人の数は上回っています。従って民法の改正を行わない理由はありません。政府に、いつ政府は……婚姻後の同氏強制制度における男女差を撤廃するために民法を改正するのか、民法の改正について何が障害となっているのか訊ねて下さい」と。

 このブリーフィングが終わった後、ある国連委員は、「NGOの質問項目をそのまま採り入れるわけにはいかない」と述べ、こう助言したという。「政府に対して問題を指摘するときは、政府を責めるのではなく、成果・功績を認めた上で、実質的な改善策などを示しながら対話することが重要。これは、NGOなどが問題点を政府に訴えるときの『戦略』でもある」のだと。

 このように今日、国連と日本のフェミニストたちは綿密に連携しながら、日本の家族と社会規範の解体を押し進めようとしているわけだ。これは考えるだに恐るべきことである。こうした企みを阻止するためにも、日本人はフェミニストに牛耳られた国連の正体を直視し、今こそ長年の国連幻想から脱却すべきである。(日本政策研究センター研究員 小坂実)

〈『明日への選択』平成15年4月号〉