「男女参画法」は「家族解体」法だ

「男女参画法」は「家族解体」法だ

過激なフェミニズムを下敷にして男女の別をなくし、家族よりも個人が優先――こんな法律を政府が準備していることを知っていますか。


 

 「家族解体基本法」ともいうべき危険な性格を秘めた法案の準備が進められている。といっても、法案の正式名称はまだ未定であり、目下、男女共同参画社会基本法などと仮称されている。総理府の男女共同参画審議会は、この十一月中にも法案の下敷となる答申をまとめ、来年の通常国会には法案が提出される見込みと言われている。

 しかし、大半の国民は「男女共同参画社会」という言葉を聞いたことはあっても、それがいかなる社会を意味し、そうした社会を作るための基本法までが作られようとしている現状は知らないに違いない。この件に関して総理府が行った最近のアンケート調査では、基本法について全く知らなかったと回答した者が、有識者の間でさえ過半数を超えた事実にもそれは明らかだ。

 こうした現状――すなわち、国民の大半が知らないうちに、「家族」に重大な影響をもたらす法律が準備されている現状――は、あの夫婦別姓制が導入されようとした時の状況と酷似していると言わざるを得ない。

 かくいう筆者も、迂濶にも、こうした動きをはじめて知ったのは、最近の朝日新聞の社説(8月23日)によってである。「男女平等法」という見出しを付したこの社説は、男女共同参画審議会が六月に公表した基本法の中間報告(論点整理)の概要を紹介しつつ、「日本の変革の背骨となる法律」「憲法の原則を根づかせるうえで極めて大事な法律」などと礼賛し、大きな期待感を表明してみせている。

 朝日が礼賛する法律であれば、警戒しておく必要がある。そんな思いから、この基本法についていささか踏み込んで調べてみることとしたわけである。

 そこで、いくつかの意外な事実がわかったが、結論は冒頭に示した通りである。くり返せば、この基本法の本質は「家族解体基本法」に他ならず、日本の家族に対し、夫婦別姓制に優るとも劣らぬ取り返しのつかない深刻な打撃を及ぼす恐れがある、ということである。それだけではない。おそらく、この基本法の土台にある構想を推し進めるならば、日本社会から父性や母性といった子どもを健全に育てるために必須の機能はもちろん、そうした言葉自体が消滅してしまう日もそう遠くはないであろう。

 「何を馬鹿なことを」と言われる向きがあるかも知れない。しかし、こうした危惧は決して誇張でもなければ杞憂でもない。

 以下、この基本法を「家族解体基本法」と見なさざるを得ない、いくつかの根拠を示してみたい。

 

◆過激なフェミニズム

 基本法を「家族解体基本法」と見なさざるを得ない最大の根拠は、この基本法の必要性をはじめて提言した社会構想、すなわち「男女共同参画ビジョン」と名付けられる政府審議会の社会構想のなかに潜んでいる。

 男女共同参画審議会が「男女共同参画ビジョン」(以下、ビジョン)なる文書を公表したのは、今から二年以上も前のことである。実は、そこには、おそらく国民の大半が容認しないであろう過激なフェミニズムとともに、いくつもの乱暴な方策が盛り込まれていたのである。当然ながら、問題の基本法には、そうした過激思想が盛り込まれる可能性があるし、この基本法によってビジョンに盛り込まれた愚かな方策が法的に正当化されかねない。

 まず、ここではビジョンに盛り込まれた「思想」から見ていきたい。同審議会委員としてビジョンの執筆作業に深く関わり、現在は基本法を検討する小委員会の五名のメンバーの一人でもある大沢真理・東京大学助教授の解説論文(『女性と労働21』平成八年十一月)は、ビジョンの「思想」を知るための絶好の手がかりとなる。

 《「男女共同参画ビジョン」の特徴と意義》と題する論文の中で、大沢氏はビジョンの意義が「ジェンダーそのものの解消を志向」した点にあることを指摘し、それは外国のフェミニスト学者による「ジェンダー論の到達水準を反映するもの」だったと誇らかに述べている。

 「ジェンダー」とは、一九七〇年代のフェミニズム運動が、文化や社会によって作られた性別を、生物学的性別(セックス)と区別して使い始めた用語である。簡単に言えば、「男らしさ」「女らしさ」に関する一般的な社会通念と言ってもよい。

 大沢氏によれば、このジェンダー論の発展に貢献したのがフランスのフェミニスト学者、クリスティーヌ・デルフィである。デルフィは、「男らしさ」「女らしさ」という社会通念が「タテ型の階層制そのもの」を意味すると指摘し、「ジェンダーという分割線」の解消なしに女性差別は解決できないことを示唆したと言うのだ。つまり、性殖機能以外の一切の男女差の解消なしには、男女平等は実現しないというわけだ。こうしたジェンダー論に「心酔」したのが、大沢氏である。

 勿論、世のフェミニストがいかなる思想を唱えようが、それは自由である。しかし、世の男女に関する一切の社会通念を敵視し、その完全解消を絶対善とみなす偏狭な思想が、日本社会のあるべき姿を描いた公的文書に盛り込まれたとなれば、話はまた別である。なぜなら、こうした思想が国の家族政策や教育政策に反映されていくならば、家庭の健全な営みにとって不可欠な父性や母性といった男女の特質を育んでいく余地は全く社会から消えてしまうからである。

 実際、ビジョンには、「この答申は、女性と男性が、社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)に縛られず、各人の個性に基づいて共同参画する社会の実現を目指すものである」と書かれている。この一文について大沢氏は、「控え目な表現」ではあるが、審議過程では「『男女共同参画』は、…ジェンダーそのものの解消を志向するという」趣旨をもつことまで確認されたと証言し、さらに「政府文書が、ジェンダーそのものの解消を展望するなどは前代未聞といえる」と自賛してもいる。

 ちなみに、基本法の中間報告によれば、そうした前代未聞の展望――ジェンダーそのものの解消――を、基本法の目的として規定すべきとの議論が現実に行われているのである。

 

◆家族よりも個人

 では、こうした過激なフェミニズムを基本理念にすえたビジョンには、いかなる方策が盛り込まれているのだろうか――。次に、基本法に関わるであろう点に絞って、ビジョンに盛られた方策を見ておきたい。

 ビジョンには、基本政策として、「性別による偏りのない社会システムの構築」「政策・方針決定過程への男女共同参画の促進」「性別にとらわれずに生きる権利を推進・擁護する取組の強化」など、五つの大きな柱がおかれ、さらに、それらを具体化するための十五の取組が打ち出されている。この十五の取組の第一が「性別による偏りにつながる制度・慣行の見直し・検討」という項目であり、実はこの項目こそが、基本法の制定が必要とされる取組なのである。

 この箇所には、まず「取組の視点」として、こう書かれている。

 「女性と男性の固定的な役割分担を前提とした制度・慣行を男女平等の視点に立って見直すことはもとより、様々な制度・慣行の中に残されている世帯単位の考え方を個人単位にあらため、個人がどのような生き方を選択しても、それに対して中立的に働くような社会の枠組みを確立していくことが必要」

 つまり、「家族よりも個人」という視点が明確に打ち出されたわけだ。

 さらに、そのための具体策として、①選択的夫婦別氏制などを内容とする民法改正を早期に実現する、②配偶者に係る税制、年金・健康保険などの社会保障制度、企業の配偶者手当等を、男女共同参画社会の形成の観点にたって検討・見直しする、③性別による偏りにつながるおそれのある各種慣行を見直す――等々、個別法令をも対象とした方策が提案されている。

 これらの方策の最大の特徴は、極端な個人主義であり、その裏返しとしての、家族という共同体への一切の配慮の切り捨てであろう。言うまでもなく、そこで専ら標的とされているのは専業主婦である。「配偶者に係る税制、年金・健康保険」などの見直しとは、端的に言って「専業主婦イジメ」以外の何物でもない。専業主婦から一切の制度的な配慮を奪い、半強制的に社会的労働へと駆り立てることで、「男女平等」を実現しようというのである。しかし、これは要するに、「男女平等」イデオロギーによる家族解体計画ではあるまいか。全く乱暴な話である。

 ビジョンが見直しを求めている「配偶者に係る税制」等々は、かねてフェミニストらが「間接差別」と称して、専業主婦イジメのやり玉にあげてきたものである。つまりビジョンは、フェミニストの要求に一方的に応ずることで、専業主婦への配慮を完全に切り捨てる内容となっているわけである。

 基本法の中間報告によれば、こうした専業主婦イジメを遂行するための条文が、基本理念の中に――「男女共同参画社会の形成を阻害する要因の除去」として――盛り込まれる方針だ。その「阻害要因の除去」の中には、具体的に「ジェンダーの偏りの是正」や、配慮事項として「間接差別」を盛り込むべきとの論点も、両論併記の形ながら記されている。

 勿論、こうした規定が入れば、専業主婦への税制や年金等での配慮や家族手当までもが「間接差別」として切り捨てられていくこととなる。仮に、こうした規定が入らなくとも、「世帯単位」の考えに基づく制度は、「男女共同参画社会の形成を阻害する要因」としていずれ排除されるのは時間の問題と言わなければならない。

 以上のようなビジョンの思想や方策を踏まえるならば、こうした社会構想を実現すべく制定される基本法が、「家族解体基本法」と言わざるを得ないのは明かなことであろう。

 

◆国際的「偏向」文書による圧力

 ところで、こうした問題含みのビジョンが作られ、今また、ビジョンに盛られた社会構想を実現すべく基本法までが作られようとしている背景には、大きく言って二つの動きがある。第一は女性の権利の拡張をめざす国際的な動きであり、第二はそうした国際的な動きをテコとして、政府に対して圧力をかけてきた国内の諸々の市民運動である。しかも、これらの動き自体が、基本法の中身にも深く結びついており、この基本法への危惧を深めざるを得ない別の根拠ともなっている。

 まず最初に、国際的な動きから述べてみたい。おもな動きとしては、一九七九年に国連で採択され、わが国が六年後の昭和六十年に批准した女性差別撤廃条約と、一九九五年に北京で開催された第四回国連世界女性会議で採択された行動綱領があげられる。

 まず前者の女性差別撤廃条約には、「男女の平等の原則の実際的な実現を、法律その他の適当な手段で確保すること」が明言されており、日本のNGO(非政府機関)の活動家たちは、この条項を根拠に政府に対して基本法の制定を求めてきたわけである。昭和六十年、わが国が男女雇用機会均等法を制定したのも、この条項を意識してのことである。

 一方、北京での世界女性会議では、女性の包括的な権利を人権と確認し、ジェンダーの視点から全ての法制度を見直したり、立案することを各国に義務づける行動綱領が採択された。現在、日本政府が基本法の制定を急いでいる背景には、この行動綱領への配慮があることはまぎれもない事実である。

 では、この行動綱領は、そんなに有り難いものなのだろうか。否、決してそうではない。というのも、この綱領には、人口妊娠中絶の容認や家族の軽視とも解釈され得る急進的な項目が含まれており、多くの国々が宗教的・文化的な観点から留保を表明しているからである。例えば、バチカン市国の声明書などは、行動綱領を「過度の個人主義」と厳しく批判し、「ジェンダー解消」という視点に対しても、「ある程度の役割の相違があることは、この相違が勝手な押しつけの結果ではなく、男性であることや女性であることの特有性の表れであるならば、女性にとって決して不利ではないと認めることもできる」とのパウロ法王の意見を付している。

 しかし、こうした諸国の態度とは対照的に、この過激な綱領に対して日本政府はいかなる留保も表明せず、そればかりか、この綱領を「成果」と讃え、綱領に盛られた思想に沿ったビジョンを作成し、今また基本法をも制定しようとしているわけである。

 つまり、わが国はいわば国際フェミニズム運動の「イデオロギー文書」に従って、社会の根幹に関わる改革をなそうとの愚を犯しているわけだ。それは、自国の歴史・伝統に根を持たない社会改造という意味では、占領政策をも髣髴とさせるものがある。

 一方、こうした国際文書の圧力をテコに、日本政府に対して基本法の制定を要求してきたのが、フェミニズムを唱える国内の諸々の市民団体である。「○○女性会議」「女性フォーラム○○」「○○市民の会」等々、名称はまさに百花繚乱。しかも、こうした市民団体の多くがNGOを自称しているが、本質は左翼団体と言っても過言ではないものが大部分を占めている。ほとんどが夫婦別姓の推進団体であり、さらに、中には明確な反日運動を展開している団体さえ存在する。

 とはいえ、こうした市民運動は、たまに新聞で紹介されることはあっても、その実態を普通の国民は知るすべがない。実は、そうした中で、これらの市民団体はNGOという衣裳をまとって、ビジョンや基本法の中身に対して深く関与してきたわけである。

 最後に、そうした市民団体による運動の実態と狙いについて見ておきたい。

 

◆裏口からの夫婦別姓導入戦略

 例えば、基本法の制定を推進している市民団体の一つとして、北京で採択された行動綱領の実現をめざして設立されたNGOの全国ネットワーク・北京JACと称する団体がある。代表世話人には参議院議員の小宮山洋子氏や部落解放同盟系人権フォーラムの代表も務める武者小路公秀氏、また参議院議員の大脇雅子氏や清水澄子氏なども参加者として名を連ねている。

 今夏、この北京JACは「男女平等基本法を私たちの手で」と銘打ったシンポジウムを開いている。その報告書によれば、基本法の制定に関して、彼らが取組んでいる運動は二つある。第一に基本法の中間報告への意見・要望の表明運動であり、第二に地方自治体における「男女平等条例」作りである。ここでは前者の運動について、少し踏みこんで見ておきたい。

 この意見表明運動は、「国民各層から広く意見を」求め、最終的な答申に反映させるとの政府審議会の方針に対応するものである。こうした審議会の方針に沿って、基本法の中間報告が自治体やNGO等に配布されたというが、一般の国民がほとんど知らなかった事実はすでに指摘した通りである。

 実は、同じ方針は二年前のビジョンを作成した際にもとられている。その結果どういう事態が起こったか――。NGO等からの多数意見を踏まえる形で、先に指摘したようなビジョンの問題点(ジェンダー解消や専業主婦イジメの視点)が最終的に確定したようなのである。すなわち、「国民各層から広く意見を」求めるというのは建前に過ぎず、NGOという特定集団のイデオロギーを反映するために利用されているのが実態だと言わざるを得ない。

 事実、北京JACのシンポジウムでは、「間接差別」や「ジェンダーの概念」の導入など、中間報告で両論併記となっている部分について、過激な意見を要望することが確認されている。

 しかし、両論併記ということは、審議会委員の中に、過激な思想に与しない良識派がいるということであり、審議会内部でさらに議論を尽くす必要があるということであろう。そうした議論もなく、仮に市民運動による多数意見によって最終的な答申が確定されるとすれば、それは審議会答申と言うよりも、NGO答申と言うべきである。

 らに、こうしたNGOの取組に関連して、疑問とせざるを得ないことがある。それは、審議会委員の大沢氏が、このシンポジウムに参加し、自説を後押しする意見表明を参加者に次のように求めている事実である。

 「『間接差別』『ジェンダーの概念』を盛り込むことについては、両論併記になっているので、積極的な方の意見を出して後押しして欲しい」

 「小委員会では積極的な意見にまとまっているが、各省、政治家への反応によって両論併記となっているので、積極的意見へ圧倒的支持が寄せられるとそちらへ固めていくことができる」

 大沢氏は、NGOの圧力によって審議会内部の異論を封じ込もうというのであろう。しかし、こうした審議会委員とNGOとの「通謀」が、果たして許されるものなのだろうか。

 いずれにしても、われわれは、政府審議会の内部と外部の通謀行為によって、占領政策にもなぞらえ得る日本人の意識と社会の大改造が着々と進められようとしている事実を厳しく認識しなければならないだろう。

 最後に、「基本法」の制定をめざす市民運動の狙いについても簡単に触れておきたい。

 むろん、市民運動家たちの中には、大沢氏が夢想する如く、「ジェンダーに囚われない社会をこの地上に創造するという壮大な事業」に賭けている人々もいるだろう。しかし、こうした「壮大な」目標以前に、もっと現実的な狙いがあるものと思われる。それを端的に表明して見せたのが、中央大学教授の広岡守穂氏の次の発言である。

 「男女平等基本法というのは、私は最終目的というよりむしろ民法改正に至る一つのステップではないかという気さえするくらいです。社会の骨格の一番基本的な単位を変えていくことがこれから本当は重要なのでしょうが……男女平等の基本法ができないとその先に進まないのではないかという印象をもったわけです」

 つまり基本法は、夫婦別姓制導入をはじめとする民法改正に向けた「迂回戦略」ということである。事実、基本法の土台とも言うべきビジョンには、先にも示したように、夫婦別姓制の早期実現が盛り込まれている。基本法ができれば、マスコミや市民団体が好機到来とばかりに、夫婦別姓導入論の大キャンペーンを張ることは今から目に見えている。

 本誌が読者の手元に届く時期と前後して、基本法に関する審議会の答申が公表されることだろう。これまで述べてきたような背景を念頭におきつつ、答申の内容と政府の対応を厳しく監視してゆくことが求められている。(日本政策研究センター研究員 小坂実)

〈『明日への選択』平成10年11月号〉