官は何もするな 男女共同参画で税金のムダ使い

 今、全国の自治体で男女共同参画社会の実現に向けた取り組みが行われている。平成十一年に制定された男女共同参画社会基本法を出発点とし、各自治体での様々な取り組みが始まっているわけだ。

 ところで、この動きがいかに危険な性格をもつものであるかは、最近に至ってようやく関係者の間でも認識されるようになってきた。まずこの問題の主管官庁たる内閣府そのものが「男女共同参画はジェンダーフリーをめざすものではない」との見解を明らかにし、一部の過激な動きに距離を置く姿勢を示し始めているからだ。「男らしさ・女らしさ」の否定とまでなれば、これでは心ある国民の反発は必至――との状況判断から軌道の修正を図ったものだろう。また、これと表裏一体の関係にある学校現場での過激な性教育実践に対しても、首相自らが「これでは余りにも行き過ぎだ」と見直しの必要を表明したというニュースも、つい先日報じられている。

 とはいえ、これが各自治体となると、未だに絶望的なほどの無認識な段階に留まっているのが現実だ。あえて図式的にいえば、一部の確信的な運動家たちに思うままに操作されつつ、首長や担当者本人は全くこの問題の本質に無知で、ただいかにもものわかりのいい良心派を装わんと、飛んでもない条例だの行動計画だのを作らされているという現実である。むろん、多分過半数を占めるであろう保守系議員たちも、何のことかわからないまま、ていよく丸め込まれているというのが実態なのだろう。税金を使って社会解体の運動装置を作り、そこに皆で挙って拍手しているという笑えない話である。

 となれば、一刻も早くことの危険性の啓蒙が必要だということになるのだが、最近はもう一つ、別の観点からの対応も必要なように思えてきた。というのは、首長とか役人とか、議員とかいう種族は、ことのいかんを問わず、とにかく何か公費を費消してみたいという欲求に取り憑かれている人々ではないかということだ。そうした種族に、いかにももっともらしいテーマだの口実だのが与えられれば、まさに猫に鰹節で、ともかく何か予算をつけてみたいという本能的欲求にかられること必然だという現実である。

 聞くところによると、既に豪華ホテルかと見紛うばかりのハコものづくりがあちこちで始まっているという。おそらくそこを運動家達が根城としつつ、教育だの啓発だのと称する活動を展開しているのだろうが、要は役所側にとっては予算執行そのものが目的なのであり、それが利権でもあるということなのだ。

 かつてわれわれは行政や政治に対し、何かすることを求めてきた。しかし、そんな時代はもう終わったのではないか。今なすべきはむしろ何もせぬことを求めること、それが時代相応の対応ではないかと思われてならないのだ。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)

〈平成15年7月25日発行/『世論』第156号掲載〉