少子化対策の優先順位を間違えるな

 今、全国各地で「産科」がどんどん消えていっているという。この事実はこれまでテレビの特報などでも時々取り上げられてきたが、先月11日、東京新聞の特集記事(「地方格差を問う」)を読み、改めてその深刻な現実を認識せしめられた。

 取り上げられていたのは、青森県下北半島の付け根に位置する野辺地町の唯一の公立病院である野辺地病院――。近隣地域の患者も受け入れる僻地医療の中核施設だという。前記記事はこう問題を指摘する。

 「待合ロビーは午前中から患者であふれる。だが、年間二百件余りの出産を受け入れていた産科は医師不在のため二年前から休診。産科通いには、青森、三沢両市などに車で一時間かかるようになった。小児科も昨年から常勤医がいなくなり、夜間の急病や入院対応はできない」

 たしかに、生まれてくる子供の数が少なくなれば、このような困った現実になってしまうのは当然の流れでもあろう。しかし、この病院はここで生まれる子や親にとっては命綱の病院なのだ。これは仕方ないで済ませられる問題なのだろうか。

 政治の場では、少子化対策、少子化対策……と、政治家も官僚も機会さえあれば、もっともらしい対国民アピールに余念がない。かつて鳴り物入りで作られた少子化社会対策基本法にも「次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てることができる環境を整備し」といった言葉が麗々しく掲げられている。にもかかわらず、産科も小児科もなくなってしまった地域で、どうして「子どもを安心して生み、育てることができる環境」などといったものが実現できるのか、ということなのだ。

 むろん、産科や小児科の数を整えたからと言って、産まれてくる子供の数が増えるわけではない。しかし、産科や小児科がどんどん消えていく中で、その地域の若者たちに、積極的に子を生み育てる前向きな意識をもってほしい、などと訴えても所詮それは空しいということなのだ。そんな最低限の安心も将来性も感じられない所で、誰が自分の子供を進んで生み育てようとするだろうか。

 その意味では、こうした地域での産科、小児科の復活は、国と地方自治体挙げての緊急課題だと言っても過言ではないが、とはいえ、筆者がここで言いたいのはそんな型にはまった結論ではない。そうしたことは当然の前提として、むしろこうした根本的な地域対策を、前に触れた少子化社会対策の中心に据えるべきではないか、ということである。

 現在、政治の場で論じられる少子化社会対策の中心におかれているのは、いわゆる「仕事と家庭の両立支援」に関わる施策である。それどころか、これが転じて「男女共同参画社会の推進」ということになり、更には「ジェンダーフリー推進」とさえいっても過言ではない怪しげな政策メニューへと変質せしめられているのが現状だと言える。この現状を正し、むしろここで提起する対策を中心メニューに据えるべきだ、というのが筆者のいいたいことなのだ。

 あいにく、今筆者の手元には、いわゆる「仕事と家庭の両立支援」に関わる施策に、どれくらいの予算がつけられているかについての資料がない。そこで、これはある程度推測で言うしかないのだが、それが単なる数百億レベルに留まる話ではないとすれば、その一部をカットして転用するだけでも、各地の産科と小児科の不在問題は即座に解決できるのではないかということである。そもそも医者の絶対数が不足しているのが根本原因との指摘もあるが、これだって何らかの予算措置が施されれば自ずと解決する問題なのだ。

 「子どもを安心して生み、育てることができる環境」などと言いながら、実際には「仕事と家庭の両立支援」という特殊なフェミニズム施策にしか眼が向けられてこなかったのがこれまでの少子化社会対策であった。また、年金といえば確実に年金を給付することが全ての全てであるのに、逆にそのお金で特殊法人を作ったりハコものを作ったりして、自分たちの食い物にしてきたのが今問題の年金行政でもあった。つまり、全く似たようなことを行ってきたのが、この少子化社会対策と年金行政だったのである。とすれば、即刻本来の施策に戻るべきではないか。

 野辺地町の産科、小児科の不在問題は、まさにそんな根本的な問題の所在を筆者に改めて印象づけた。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)

〈今月の主張/『明日への選択』平成19年8月号〉