なぜ、「家庭崩壊」の根っ子から正さないのか

 大阪府岸和田市で、中学3年生の男児に父親と継母が食事を与えず、昏睡状態になるまで放置するという事件があった。その少年は今もなお意識不明のままだが、その両親の信じがたい残虐ぶりに改めてショックを覚えたのは筆者だけではあるまい。「家庭崩壊」と一口にいうが、その深刻さは想像を絶するものがあるようだ。

 ところで、2月13日の東京夕刊にこの問題を論ずる「再婚家族を孤立から守れ」と題する文章が載っていた。筆者は「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」の副理事長を務めるという白石淑江氏。氏はこの問題を離婚→子供を連れての再婚、という所謂「再婚家族」(ステップ・ファミリー)特有の問題として位置づけるとともに「『血がつながっていないから、そんなひどいことができる』と考えるのではなく、どうすれば、そこまでエスカレートする事態を防げたかを考えることが重要である」と指摘するのである。大切なのは、専門性のある相談機関を充実させることで、こうした親子関係や夫婦の離婚・再婚問題について適切なアドバイスができる機関を拡充すべし、というのだ。

 要するに、自分がやっているような社会活動にもっと目を向けよという主張でもあろうが、筆者はこの文章を読みつつ「またか」と思わざるを得なかった。彼女も認めるように、この事件は「再婚家庭」に特有の問題だといえる。であるならば、こうした家庭が最近激増し始めている現状をまず問題とし、それを何とかするという対策が論じられるべきだと思うのに、逆にここではそうした現状を当然の前提とした相談機関の充実が唱えられているからである。これでは、例えば洪水が激増している時、その洪水防止それ自体には取り組まずに、洪水による被害者救済の制度充実だけをいっているようなものではないだろうか。

 問題があるならば、まずそうした現状への対処が先である、という主張はたしかに一面その通りだとはいえる。しかし、だからといって、その由って来る所を問題にしなければ、問題は更に起こり、その場その場の対策など結局は追いつかなくなるのではなかろうか。

 この種の主張は他の問題に関しても主張されることが多い。曰く、家庭内暴力が多いから、そうした被害者たちの相談相手となる機関充実が必要である。子どもたちの性行動がエスカレートしているから、子供たちに避妊教育を考えることが必要である。問題児が激増しているから、学校内には専門のカウンセラーを置く対策をとって行く必要がある……等々。一見もっともとはいえ、しかし筆者にはむしろ問題の本質究明を妨げ、問題解決を阻害する主張ではないかと思わざるを得ないのだ。

 冒頭の児童虐待の問題でいうならば、問題はなぜこのような「再婚家庭」が増えているかということではないか。その奥には最近の離婚の激増という問題があろうし、更にその奥には、そうした父性、母性を欠落させたカップルを生まざるを得なくさせている今日の社会風潮、そして何よりも教育の問題があろう。そこから問題を考えるということは確かに迂遠なことではあろうが、しかしここに遡るほか、真の問題解決の道はないのではなかろうか。昔はこんな信じがたい児童虐待はめったになかったし、それゆえそんな相談機関も全く必要なかったのだ。

 ところで、このことは国が今進める少子化対策についてもいえる。少子化の流れを何とかしようとする対策が、いつの間にか「少子化社会」対策にされてしまうという現状があるからである。なぜ少子化ということになってしまったのか、というその原因を考え、その対策を考えるのではなく、むしろ「少子化社会」の問題を考えようということになり、やれ保育所の充実だの、やれ子育て支援に関わる民間団体への助成だの、という話にすり替えられてしまっているのである。その結果が、保育所で預かる子供一人当たりの公費負担額が、ゼロ歳児では何と1ヶ月60万円にも上っている、という驚くべき現実でもある。

 もっともらしい詭弁論理に惑わされずに、今この国で起こっている問題の根元を明らかにし、抜本的な対策を考え、実行して行くことが必要なのではなかろうか。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)

〈今月の主張/『明日への選択』平成16年3月号〉