「人権擁護法シミュレーション」を実施せよ

「人権擁護法シミュレーション」を実施せよ

映画『靖国 YASUKUNI』をめぐる議員バッシングに思う


 

 前回の本欄では人権擁護法案是非の議論に関連して、稲田朋美議員へのいわれなきバッシングについて言及した。ところが、このバッシングは更に有村治子議員に対しても向けられている。そこで今回はこの有村議員の例を引きつつ同様の問題を考えてみたい。

 まず最初に断っておきたいのは、ここで論じたいと思う主題はあくまでも人権擁護法案の是非ということである。2人の議員の主張、及びそれに関連する事実関係そのものについてはそれを専門に扱っているブログがあるので、そちらの方をご覧いただきたい。

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1393.html

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1388.html

 さて、問題となっているのは、有村議員が映画『靖国 YASUKUNI』のメインキャストである刀匠・刈谷直治氏に政治家として圧力をかけた、という李纓監督らの有村議員に対する攻撃である。つまり、同映画への出演を了解していた彼を「変心」させ、更には「(映像)削除の希望」を出させ、映画上映の動きに「政治介入」した、と彼らはいうのである。一方、それは全くのいいがかりであり、自分はあくまでも国会質問の正確さを期すため問題の刈谷氏に事実を電話で確かめただけ、というのがこれに対する同議員の反論である(有村議員「一部報道をうけて、真実をお伝えしたく私・有村の見解をご報告致します」)。

 まず結論じみたことからいえば、このどちらの主張に分があるかといえば、これはどう見ても有村議員の方、というのが大方の感想だろう。というのも、ここ1、2日の新聞報道もまた、刈谷氏への直接取材でそれを証明しているといえるからだ。例えば、毎日新聞4月11日付朝刊記事によれば、刈谷氏は「李纓監督はもう信用できない」「出演場面をカットしてほしい」と、同監督への不信感を同紙記者にも語ったとされる。

 さて、こうなると、これは明らかに李監督ら(それを大々的に報じたマスコミも含め)による、有村議員に対する重大な「人権侵害」ということになるはずだ。政治家にとっては、このように大新聞に一方的に報じられるということは、ことによっては政治生命を断たれることにもなりかねない大問題で、有村議員にとっては夜も寝られないような事件であっただろうからだ。幸い、肝心の刈谷氏が有村議員の主張の真実をはっきり証明されたことにより、いわれなき嫌疑は晴れつつあるとはいえる。とはいえ、実はこのような場合は往々にして関係者によるこのような言葉がとれないことが多く(マスコミの過剰な取材の対象となることを嫌って)、ひょっとすると有村議員は自らの潔白を証明できずに窮地に立たされる可能性も大いにあったということなのだ。

 そこで、こうした明らかな「人権侵害」に対して、人権擁護法なるものは一体どういう役割を果たすことになるのかを、一度シミュレーションしてみてほしい――というのが先日来のこの欄での筆者の願いだといえる。果たしてこの人権擁護法に基づく人権委員会なるものの働きにより、有村議員の名誉は晴らされるのか、一方、李監督は率直に自らの非を認めるのか、認めない場合はやはり訴訟で決着をつけるしかないのか、またその場合、その人権委員会は訴訟援助をしてくれるのかどうか……等々。

 いや、もっと問題なのはマスコミが相手になった場合かもしれない。マスコミがこの「人権侵害」を自らの責任と認めない場合は果たしてどうなるのか、法案では「マスコミ除外」が問題になっているが、果たしてマスコミが相手の場合は人権委員会も匙を投げ、被害者は泣き寝入りするしかないのか、あるいはマスコミに対しても人権委員会はキチンとけじめを付けてくれるのか、あるいはその場合、マスコミはその審判を素直に受け入れるのかどうか……等々、こうした具体的な問題を通して人権委員会の機能、あるいはその是非が論じられてこそ、真の問題が明らかになると思えてならないからだ。

 それだけではない。この映画には文化庁からの助成が行われたとされるが、この映画は結果的に刈谷氏の人権を侵害し(刈谷氏は監督に「だまされた」とさえいっている)、更に靖国神社のいうところによれば、靖国神社の人権(?)をも侵害しているらしい。

http://www.yasukuni.or.jp/img/1207900481.pdf

 また、この映画チラシ正面にはヒットラーを連想させるようなショッキングな軍人とおぼしき男性の写真が使われているが、実はこの写真の当人には全く何の断りもなしに写真が使われたとの話さえある。ということは、文化庁はそうした一連の人権侵害を「助成」したことにもなるわけだが、果たして被害者は文化庁をそうした人権侵害の「助成」で訴え、その「助成」を撤回させることはできるのか。

 いずれにしても、こうした具体的なケースを一つひとつ検証してこそ、人権擁護法の本当の機能や是非が明らかになるのであり、法務省がいうような安易で単純な理屈では到底判断などできない、というのが筆者のいいたいことなのである。人権委員会なるものを作るのは簡単だが、結局、作っても全く役に立たなかったでは税金の大浪費であるし、相変わらず、声の大きいものがその結果を支配するというのでは、被害者にとっては「二重の人権侵害」にさえなりかねない大問題だということでもある。

 是非こういう問題も、具体的に議論してはもらえないものだろうか。