「人権迫害・中国」の共犯者となるな

 最近、クラーク・ラント駐中米国大使が母校のエール大学で行った講演なるものを紹介する記事をあるウェブサイト(大紀元)で読んだ。米国外交については理念よりも現実の利益を重視するネオ・リアリストの台頭なるものが最近各方面で指摘されているが、筆者には「人権」という米国外交の魂はまだまだ死んだわけではない、との印象が残った。

 ラント大使の講演は中国司法の現状を紹介するものだったが、大使は特に中国農民たちの中国政府への陳情問題や、法輪功への集団迫害、人権派で知られる高智晟弁護士の当局による拘束などに関心をもち、これについて中国当局に頻繁に抗議を繰り返してきたことを語ったという。このような迫害を容認する当局の指導者とは深い信頼関係を構築するのは不可能であり、「真の友にはなれない」と言ったというのだ。わが福田首相は「相手の嫌がることはしない」というのが対中外交のモットーだと広言してやまないが、大使はそれでは外交の原則が立たず、「深い信頼関係」が築けないとするわけだ。

 それだけではない。大使はこれ以外にも色々考えさせられることを語っている。まず中国当局者の口癖「法律に基づいて国家を治める」との言葉について、大使はそれは「法律を守る」との意味ではなく、「法律を利用して民衆を制御することを意味する」と解説する。かかる法律の対象には発言をする本人と中国共産党員は含まれていない、と言うのだ。

 次に全国各地の人々が北京にやってきて政府に陳情を試みることについて、大使は当局には彼らの問題を本気で解決しようなどという誠意はなく、ただ彼らを地方に強制送還することしか考えていないという。その上で「多くの陳情者が米国大使館の前で抗議と嘆願を試み、私の助けを要請するが、しかし私のできることは非常に限られている。そのことに私は深い悲しみを感じる」と述べている。この言葉を眼にした時、筆者は恐らく日本大使館などにはこれらの陳情者はやってはこないのだろうが、それにしても日本の外交官はこうした問題をどう考えるのだろうか、と思わずにはおれなかった。

 報道によればこの12月、民主党は小沢代表直々の肝いりで、500人を超える党使節団を中国に派遣するとのことだ。現地では、恐らく原理も原則もない「友好、友好」の眼も当てられないような光景が繰り広げられるのだろうが、せめてそれと同時に、大使が指摘するような人権弾圧や迫害といったもう一つの現実が、この国に確実に進行中であることくらいは忘れないでいてほしい、というのが筆者の叶わぬ願いである。

 この10月に行われた中国共産党大会では、「和諧社会の構築」なるものが胡錦濤総書記の重大方針として提示されたとされる。「経済の発展を基礎として社会の公平と正義を促進する。全国民が教育、就業、医療、老後の生活、住宅などで保障を受けられるよう努める」というのがその内容だというが、ならばその共産党指導部が最低限の「公正と正義」を求め、はるばる北京に出てきた陳情者たちを無慈悲に捕らえたり、暴力を振るったり、地方に強制送還させたりするのはどういうことなのかと、そのことくらいは問うてみるのが人間としての務めではなかろうか。

 大使は「残念ながら、私は多くの兵士を指揮できる将軍ではない」と力の限界を口にする。しかし、併せて「このような人権迫害は両国関係の更なる発展を妨げる」と繰り返し高官たちに訴えているとも言うのだ。まさにその通りで、にもかかわらず、そんな中国と「東アジア共同体」なる太平楽を築き上げて行けると考える政治家や学者たちの感覚がわからない。そんな連中とこのまま一体になれるとでも言うのだろうか。

 この11月、在外ウイグル人の国際組織「世界ウイグル会議」の主席、ラビア・カーディルさんがこの日本を初めて訪れたが、残念ながらマスコミの扱いは小さなものでしかなかったし、それもあってか国民の関心も今一つであった。「アジアでは最も民主主義の発展した日本の人たちに私たちウイグル人の非民主的な抑圧の悲惨を是非とも知ってもらいたいのです」というのが彼女の切なる願いだったというのだが、その眼に映ったアジアの国・日本の姿は期待に足るものだったのだろうか。

 改めてラント大使の貴重な努力を思わずにはおれなかった。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)

〈今月の主張/『明日への選択』平成19年12月号〉