人権派はこの人権侵害に目をつぶるのか ラビア・カーディルさん来日に思う

人権派はこの人権侵害に目をつぶるのか

ラビア・カーディルさん来日に思う


 

 人権擁護法案の再提出に向けた動きが進んでいるようである。福田政権発足後、鳩山邦夫法務大臣が法案再提出への意欲を表明したのに引き続き、安倍政権下では空席だった自民党人権問題調査会の会長に太田誠一元総務庁長官が就任、再度の党内議論に向けた環境が整いつつあるといえるからだ。

 しかし、こうした動きを伝える報道を見つつ思うのは、「人権、人権」とこれらの関係者はいうけれど、本当にどれだけこの人権なるものについて真剣に考えているのか、ということである。というのも、「人権侵害」なるものを問題にするなら、同時に、まさに人間としての生存に関わるぎりぎりのところで、その人権を侵害されているもっと緊急度の高い人々について、もっと関心をもったり対策を考えたりしたらどうだ、と思わざるを得ないからである。

 というのは、例えば現在来日中のウイグル人、ラビア・カーディルさんのような人々の人権問題である。彼女はこれから全国で講演活動を展開予定とのことだが、参考までに彼女の紹介をかね、先日10日付の讀賣新聞の記事を掲げてみたい。

《人権活動家の在米ウイグル人ラビア・カーディルさん(60)が初来日し、9日、東京都内で記者会見した。

カーディルさんは、中国当局が「テロとの戦い」を名目に西部の新疆ウイグル自治区でウイグル族への弾圧、迫害を強めていると非難した上で、2008年8月の北京五輪開催に反対する運動を繰り広げる考えを表明した。

カーディルさんは会見で、ウイグル族と漢民族の同化政策が強化されていると批判。ウイグル族の16~25歳の未婚女性を沿海部都市に「安価な労働力」として強制移住させているほか、小学校から大学まで、ウイグル語を使わず中国語だけで授業を行っている現状を明らかにした。

今年5月からは、ウイグル族の海外渡航を制限。政治的迫害を受けて同自治区から逃亡したウイグル族は、「上海協力機構」などを通じて連携を強める中央アジアの近隣諸国によって中国に強制送還され、投獄されていると訴えた。

さらに、「北京五輪で人権侵害は強まる」と指摘し、各国の人権団体に呼びかけて開催反対運動を展開する考えを示した。

カーディルさんは同自治区アルタイ出身。共産党員だった時期もあるが、人権擁護活動を展開したため、1999年から2005年まで投獄された。同年3月に米国に亡命。現在は、米議会などで中国の人権侵害の実態を訴えている。》

 この「ウイグル人の人権問題」の詳細については、やはり最近出版された水谷尚子著『中国を追われたウイグル人――亡命者が語る政治弾圧』(文春新書)に譲るが、筆者はこれを一読して、もしわれわれが人権なるものについて今何か問題にすべきことがあるとすれば、まさにこうしたものこそがその対象ではないか、と思わざるを得なかった。

 強制移住だの海外渡航の制限だの、ということ自体が異常だが、更にそれに抗議する人々への迫害ぶりが言語を絶しているのだ。それゆえ、こうした「最低限の人権」のために戦う人々が、今どのような暴虐の下に置かれているかを考えれば、いかにわれわれがこうした人権問題に対して無知で、無関心であるかが痛感せしめられてならないわけだ。

 むろん、こうした人権問題はウイグル人の問題に限らない。チベット人の人権、脱北者の人権、中国における宗教者の人権、同じく権力の恣意や暴力にさらされる中国農民や民工たちの人権、そしてそれを支援しようとして投獄される人権活動家たちの人権……等々、われわれはこれらの人々に対し、余りにも無関心で、かつ傍観者的なのである。

 この日本においてもそれなりの人権問題があることは否定しない。しかし、人権問題は人権問題でも、外国のそれとはその深刻度と緊急度が違うと思うのだ。国内の人権問題に対し、法務省や自民党の調査会が前向きに取り組もうとすること自体に異論はない(むろん、筆者は人権擁護法案には反対だが)。とはいえ、もっと深刻な人間の生存そのものにも関わるこうした人権侵害にどうして無関心でいられるのだろうか。何かそうした人々に対する支援策なり懸念の声なりについて、考えたことがあるのだろうか。

 人権擁護法案それ自体の是非についての議論は一応措くとしても、そんなに人権問題にご執心な意識高い関係者が、こうした人々の生存をかけた人権の叫びに対し、かくまで無関心なのは全く解せない。人権問題をいうなら、同時にこうした人権問題についても声を挙げ、日本人としてできる支援策を考えるべきではないだろうか。