米国「保守」の危機意識に学ぶ

米国「保守」の危機意識に学ぶ

『病むアメリカ 滅び行く西洋』を読む

アメリカは神を失い、家族は解体し、価値観は分裂した――それに抵抗しなかった保守派は敗北したと断ずるパット・ブキャナン。しかし、それは日本の現状への指摘でもある。


 今日、ジェンダーフリーや夫婦別姓の導入など、従来の道徳や家族のあり方を破壊しようとする運動が猛烈な勢いで進んでいる。こうした運動が政府や自治体をも巻き込んで展開されるようになる中で、今や日本の文化・伝統に対する国民の愛着や常識が根本的に覆されつつあるようにも思われる。しかも目下、こうした動きに対する個別的な抵抗はなされているものの、今日の事態に対する抜本的な「見定め」と「処方箋」が日本の保守派の中にあるとは到底思えない。

 冒頭からこんな反省めいたことを述べるのは他でもない、最近読んだ一冊の本に理由がある。『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(成甲書房)という昨年末に出た本である。

 その中身を記者の問題意識から要約すると、今のアメリカは「移民の激増」と「反キリスト教文化の台頭」という内外からの攻撃に見舞われ、「自分はアメリカ人である」という国民的確信が崩れ、国家分裂の危機に陥っているということだ。とりわけ興味を引いたのは、アメリカ人の国民的確信が崩壊してしまった根本的な背景には、左翼勢力による「文化闘争」という明確な革命戦略があると筆者が論じている点である。この本を読んで記者は、今の日本で起きている事態の本当の意味も理解できたように思われた。

 この本の著者はパトリック・ブキャナン氏。アメリカでは知らない人のない保守派の大物だ。ニクソン、レーガンの両共和党大統領の下で、外交政策のスピーチライターとして活躍し、九二年と九六年に共和党の大統領指名予備選に参戦、二〇〇〇年には自らが改革党の候補として大統領選本選に出馬した。外交政策的には「アメリカ第一主義」を信条とし、冷戦終焉後はアメリカの非介入主義の伝統を説き、日米安保条約の破棄を訴えたことは今も記憶に新しい。『病むアメリカ、滅びゆく西洋』は、そうした信念ある米保守主義者による現代アメリカ社会と西洋文明の「病理分析」なのである。ちなみに、原著は一昨年の刊行直後から、わずか三ヶ月で数十万部に上るベストセラーになった。その翻訳が本書であり、またブキャナン氏の著作の初の邦訳書でもある。

 一体、アメリカの代表的な保守主義者は、祖国の危機をどう捉え、その原因をどう分析し、何を国民に訴えかけているのだろうか。

 

◆「一つの国」の民ではない

 最初に、今のアメリカが直面する二つの「国家分裂の危機」の実態から見てみよう。

 まずは「移民の激増」がもたらしたいわば外からの「国家分裂の危機」である。この問題については約十年前、米国歴史学界の第一人者であるアーサー・シュレジンガーが『アメリカの分裂』という本で、黒人を先頭とする少数派民族集団の自己主張によって、「人種の坩堝」といわれてきた多民族国家アメリカのアイデンティティが揺らぎつつあることを指摘した。十年後の今、事態はますます深刻化していることを、ブキャナン氏は数多くの証拠をあげて指摘している。

 とりわけ氏の懸念は、「前代未聞の凄まじさ」で急増するメキシコ系移民(ヒスパニック)に向けられる。「ヒスパニック層の増えるさまは他を圧している。全米のヒスパニック人口は一九八〇年に六・四%だったのが九〇年には九%、二〇〇〇年には一二%を超えた」からである。そして現在、約二千七百万人のヒスパニックが、特にアメリカ南西部に集中して存在するというのである。

 ヒスパニックの最大の問題は、その多くがアメリカ社会への同化を拒んでいる点にあるという。「伝統的移民と違い、メキシコ人の母国はすぐ隣」にあるからであり、彼らの多くは英語を覚える気もなければアメリカ市民になる気もない。それどころか、「独自のラジオ・テレビ局、新聞、映画、雑誌を持つ彼らヒスパニック社会は、国家のなかの別な国家になろうとしている」ともいう。例えばテキサス南部のある町は、町の公用語をスペイン語に定めてしまったという。つまり「国家分解」の動きは今やまぎれもなきアメリカの現実と化しているわけだ。

 むろん、問題はヒスパニックばかりではない。アジアやアフリカなど、非ヨーロッパ系民族の「制御不能な移民の増加」が「祖国を分解の脅威にさらし」ていると氏は訴える。「アメリカは共通の価値観――歴史や英雄、言葉、文化、信仰、あるいは祖先――をほとんど持たない、ただの寄せ集め的集団に変わろうとしている」と。

 

◆文化と価値をめぐる「モラルの溝」

 こうした外からの「分裂の脅威」に加え、今日のアメリカ社会はいわば内からも分解しかけているという。宗教・道徳・価値観の上で相容れない「二つの国民」に分裂しているからだ。要するに、キリスト教的な文化・道徳を擁護する国民と、中絶や同性愛などの「反キリスト教主義文化」を擁護する国民との間に「国を二分するモラルの溝」が出来ているというわけだ。もちろん、多くのアメリカ人は自分はキリスト教徒だと考えているのは確かだが、しかし、「キリスト教徒にとってのアンチテーゼが賛美される今の世の中は、すでにポスト・キリスト教主義、あるいは反キリスト教主義文化に席捲されている」と氏は断じている。

 この「反キリスト教主義」の席捲を示す一つの象徴が例えば人工妊娠中絶の増加である。中絶は一九六六年には年間六千件に過ぎなかった。しかし現在は「年間百二十~百四十万件と西側諸国で最も多く」、「扁桃腺摘出を抜いて外科手術件数トップの座に躍り出」、「胎児の三〇%は中絶医の処置台の上で命を終える」事態にまでなっているという。

 また同性愛に対する国民の認識の激変にも、反キリスト教主義の台頭がうかがえる。一昔前は盛り場で若者を口説けば、前途有望な政治家も議席を失った。しかし二〇〇一年、ジョン・アシュクロフトは司法長官ポスト承認のための公聴会で、同性愛者の大使の指名に反対したとの理由で袋叩きにあったという。これは旧来の倫理観が「完膚なきまでに叩きのめされた」雄弁な証拠であるという。また、氏は次のような現状も指摘する。

 「テレビも映画も同性愛を合法的ライフスタイルと謳いはじめた。…大手出版社はゲイ革命に批判的な本の出版から手を引いた。ゲイ認知の声は性教育をも左右し、ゲイ活動家が大学当局まで支配下に収め、多くの州が同性間性行為禁止法を破棄した」

 要するに、今のアメリカでは驚くなかれ、「カトリックの労働者階級のほぼ一〇〇%が中絶賛成、ゲイ賛成」といっても過言ではない現実があるというのである。

 さらに、反キリスト教主義は今や芸術の分野にも浸透しつつある。「神を冒涜し、キリスト教的道徳を真っ向から否定するものが芸術としてもてはやされる風潮」について、氏は数々の具体例をあげて紹介しているが、ここでは紙数の関係で省略せざるをえない。

 いずれにせよ、こうした反キリスト教主義が蔓延する中で今日、多くのアメリカ人が「母国にいながら異邦人のような気分を感じはじめ」「文化の廃墟、モラルの掃き溜めと化したこの国にはもはや生きる価値も戦う価値も見出せず、帰属意識を失っている」と氏はいうのである。

 

◆文化マルキストの新「革命戦略」

 ブキャナン氏は、こうした二つの危機以外にも、欧米諸国全体の問題として、「少子化の危機」についても論じている。しかし結局、氏が今のアメリカ社会の最も本質的な危機として深く分析しているのは、アメリカ社会の道徳的・価値観的な崩壊現象だといえる。

 そこで注目されるのは、こうした事態に立ち至ってしまった背景についての氏の分析である。戦闘的な保守主義者たるブキャナン氏の政治感覚と知的洞察に満ちた分析は、単なる学者や評論家の追随を許さない「凄み」がある。

 まず氏は、反キリスト教主義が社会に根を広げるに至った直接的契機として、一九六〇年代に全米の大学に広がった学生運動、そして性革命やドラッグ革命などに象徴される当時の文化的な大変革を指摘する。大量のベビーブーマー(団塊の世代)を巻き込んで「全米のキャンパスを席捲した文化大変革は、紛れもない革命だった」というわけだ。

 この「文化大革命」の洗礼を受けたベビーブーマーが今日、社会のさまざまな中枢に入り、政治・文化・マスコミ・教育など「社会の一般通念や共通の価値観」を形成・伝達する制度を仕切ることにより、「新たな階層」「新たなアメリカ」を創りだしていると氏は見るわけだ。ブキャナン氏はこう指摘する。「レーニンの革命は終焉を迎えたが、六〇年代にアメリカ中のキャンパスで勃発した革命は終わらなかった。社会の隅々まで根を張り、新たなアメリカを創出した」と。

だが、ブキャナン氏の分析の真のユニークさは、この「文化大革命」の正体を共産主義者の新種の「革命理論」と結びつけて理解している点にある。この「革命理論」を簡単にいうと、資本主義の温床はキリスト教であるから、共産革命のためにはまず西洋の非キリスト教化が必須だという考え方である。換言すれば、マルクスが唱えた「階級闘争」よりも、「文化闘争」を優先する考えともいえる。こうした革命理論は、第一次大戦の勃発によって、「万国の労働者よ団結せよ」とのマルクスの予言が裏切られた後に出てきたものであるという。

 この革命理論の代表的なイデオローグの一人であるイタリア人共産主義者のアントニオ・グラムシはこう訴えたという。「まずは文化を変えよ、そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる……ただし、文化革命には種々の制度――芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、さらにラジオという新媒体――転換のための『長い長い行程』を要する。それらを一つひとつ慎重に攻め落とし革命に組み込んでゆくことが肝要だ。そうすればやがて人々は徐々に革命を理解し、歓迎さえするようになる」と。

 また、ハンガリーのジェルジ・ルカーチは「文化闘争」の一環として過激な性教育を実施したという。「子供たちは学校で自由恋愛思想、セックスの仕方、中産階級の家族倫理や一夫一婦婚の古臭さ、人間の快楽をすべて奪おうとする宗教理念の浅はかさについて教わった」というのである。彼の思想は六〇年代のアメリカで、「性革命」真っ只中のベビーブーマーたちに「熱烈に受け容れられることとなる」とブキャナン氏は指摘する。

 ちなみに、「文化闘争」理論の拠点となるのがフランクフルト学派である。同学派はマルクス思想を文化用語に翻訳し、「勝利の大前提は西洋人がキリスト教精神を捨て去ること。それは文化教育制度が改革派の手中に握られてはじめて実現する」という趣旨の新しい革命マニュアルを執筆したというのである。

 アメリカ人にとって何とも皮肉な結果となったのは、ヒトラー登場によって、同学派がアメリカへ移住したことだ(同学派の中心層はユダヤ人マルクス主義者たち)。彼らは、「総力を結集して自分たちに避難場所を与えてくれた国の文化破壊にとりかかった」からである。かくして、彼らの影響下で大量の「文化マルキスト」がアメリカに現れ、アメリカ社会の文化破壊、とりわけ非キリスト教化が着実に進んでいくわけだ。

 

◆標的となった家族と学校

 では、アメリカの文化マルキストたちが「文化闘争」の最大の標的とみなしたものは何なのか。あらゆる社会制度が対象といえようが、特にブキャナン氏が強調しているのが家族と学校の破壊である。

 まず家族破壊の動きからいうと、「文化マルキストにとって何はさておき最大の目標は、独裁制の根源、性差別・社会不正の温床たる家族制度の崩壊だった」と氏は指摘し、例えば次のような文化マルキストたちの「活躍」を記している。

 「エーリッヒ・フロムは性差は固有のものではなく西洋文化によって創出されると主張し、フェミニズムの始祖となった」

 「家族から父親を追放するため、フランクフルト学派は別な選択肢――母親が一家を支配する家母長制、さらに家庭のなかで男女がときに役割を交換、あるいは完全に逆転させる『両性具有』制――を推奨した」

 「ルカーチ同様、ウィルヘルム・ライヒも、家族の破壊は革命的性政策と早期の性教育を通じて達成されると考えていた。アメリカで小学校から性教育を行うようになったのは彼らのおかげである」

 こうした中で、例えば伝統的な「家族賃金」が終焉し、女性の社会進出が進む一方、離婚率と女性の非婚率が急増する。そして今日、「子供の三人に一人は片親家庭」「白人女性から産まれる子供の四人に一人は非嫡出子」といわれるような「家族崩壊」状況が出現したわけだ。

 一方、文化マルキストは公立学校の非キリスト教化にも全力で取り組んだ。「子供たちはみなそこで信条、価値観、生き方考え方を学ぶ」からである。そして今日、「キリスト教は乞食か何かのように学校から追い払われつつある」という。

 特にブキャナン氏が強調しているのは、連邦最高裁の過去五十年にわたる次のような判決の影響だ。公立学校での任意の宗教教育禁止(一九四八年)、学校での祈祷禁止(六二年)、聖書朗読の違憲判決(六三年)、教室の壁に十戒を張るよう求めたケンタッキー州法の破棄(八〇年)、アラバマでの始業前の「黙祷」の違憲判決(八五年)、卒業式でのあらゆる祈祷の禁止(九二年)。

 かくして、公立学校からキリスト教は追放され、代わって児童たちに教え込まれるようになったのは、例えば一九七三年版『ヒューマニスト宣言』の次のような「世俗的ドグマ」であったという。

 「神への祈りは……効果の立証されない時代遅れの信仰」「伝統的倫理規範は……現代の差し迫ったニーズには合致しない」

 家族が崩壊し、公立学校からキリスト教が追放されてしまえば、社会全体の非キリスト教化は時間の問題だといえよう。結局、今のアメリカ社会における反キリスト教主義文化の台頭は、「文化闘争」における革命派の「勝利」を物語る事態ということなのである。

 

◆なぜ保守派は敗北したか

 だが多くの日本人は、ここで一つの疑問を抱くに違いない。アメリカは建国以来のキリスト教国家であり、今も保守的宗教勢力は強い政治的影響力を有しているはずだ。それなのに、なぜ文化マルキストの文化破壊を許してしまったのだろうかと。

 そんな疑問に対してブキャナン氏はこう応じている。実はキリスト教徒は「抵抗らしき抵抗も見せずに」「文明という神殿から彼らの神と信仰をみすみす放逐させた」のだと。つまり、アメリカ保守派は自らの信仰と文化を脅かす「文化闘争」に敢然と立ち向かわなかったために、「完敗」し、そればかりか今や「退却を始めた」というのである。

 では、アメリカ保守派が文化闘争に敢然と立ち向かわなかった理由は何か。いくつかの理由を氏は指摘しているが、最も根本的な問題は保守派自身がキリスト教的な文化・伝統への「確信」を失ってしまったことにあるという。「今の彼らは大衆に、この人たちも偏屈じゃない、思いやりある心優しい人たちなのね、と認めさせようと躍起になっているかに見える」と氏は指摘している。

 それとともに、氏は文化闘争に対する保守派の「無関心」を指摘してもいる。要するに、外交と経済にエネルギーを注いできた冷戦時代の惰性から脱けきれず、結局、「政治・ジャーナリズム・放送各分野において、歴史や哲学、論理学よりも圧倒的に経済と外交に詳しい保守派が大勢を占めるようにな」り、「倫理・社会・文化論争に直面した保守派は総退却、居心地の良い税と国防の地に転進した」というのである。

 さらに氏が強調するのは、保守派が「文化闘争」の持つ宗教戦争的な非妥協的体質を見抜けなかったことである。「文化戦争は宗教戦争と同根だと信じぬ者は考えが甘い。そのうち和平が仲介されるとの見方は自己欺瞞にすぎぬ。革命派はいかなる休戦協定も即座に破棄するに違いない。目指すは絶対権力、旧アメリカ全壊なのだから」と氏は分析する。

 

◆保守派に求められる「反革命派」の自覚

 さて、こうした祖国の危機的現状とその背景分析を踏まえ、ブキャナン氏がアメリカ人に訴えていることは何なのだろうか。端的にいえば、それはキリスト教的な信仰と西洋文明に対する「確信」の回復といってもよい。それを訴えるために、氏は幾人かの識者たちの洞察に満ちた言葉を繰り返し引用しているが、特に次のような引用は印象的である。

 「どれだけ過去を遡ろうと、いつの世も宗教は栄華を誇る社会の礎だった」「宗教とともに文明は興り、その伝統的信仰の腐食とともに国家は滅びる」(ジム・ネルソン・ブラック)

 「もしもキリスト教が滅んだら、私たちの文化もすべて滅びる」(エリオット)

 ブキャナン氏自身は、「このまま信仰心の復活がなければ、あとは残った人々がそれぞれの人生をまっとうしておしまいだ」とまで断じている。ここには、米国の真性保守主義者の典型的な素顔が浮き彫りになっている。

 こうした主張とともに、保守主義者ブキャナン氏の面目が躍如としているのは、「保守派」という意味の再定義を氏が訴えていることである。つまり、従来の「保守派」という言葉には「謀反を起こさぬ者」という意味が込められていた。しかし、眼前の「文化闘争」に勝利するには、かかる意味で保守派であり続けることはむしろ「欠点」だと氏はみなす。反キリスト教文化が支配的となってしまった以上、保守派は自らを「反革命派」と自覚し、闘争心を燃え立たせ、支配的文化の打倒に立ち上がれと氏は呼びかけているのである。

以上、『病むアメリカ、滅びゆく西洋』におけるブキャナン氏の分析と主張のポイントを記者の問題意識にそって紹介させていただいた。恐らく多くの読者は、ブキャナン氏の指摘が決して他人事ではなく、今の日本で起きている事態にもピッタリと重ね合わさることを感じたのではなかろうか。すなわち、夫婦別姓・ジェンダーフリー・男女共同参画といった運動の正体が、「日本版文化マルキスト」による日本の文化・伝統を打ち壊すための「文化闘争」であることに。また、例えば家族崩壊に直結する男女共同参画社会基本法の成立や教育現場でのジェンダーフリー教育の既成事実化など、日本の保守派もこの「文化闘争」において一歩一歩後退し続けてきたことに。

 こうした現状認識に立てば、まず今の日本の保守派に必要なのが、革命勢力との「文化闘争」が展開されているという状況認識を持つということにあることは極めて明らかだろう。さらに、ブキャナン氏が米保守派に訴える「反革命派」への自覚転換が、日本の保守派にも強く求められているといえよう。「文化闘争」において革命勢力が着実に地歩を占めている今日、単なる現状維持派はもはや保守派ではあり得ないことを知るべきだ。(日本政策研究センター研究員 小坂実)

〈『明日への選択』平成15年2月号〉