「国の無策」が復興を遅らせる

 東日本大震災から一年経った被災地を見るべく、再び宮城・岩手の町を歩いてみた。五カ月前に較べるとがれきは整理され、見た目はすっきりとはなっていたが、復旧・復興への力強い動きというものはまだまだ見られなかった。

 むろん、何も動き出していないのではない。各自治体の復興計画はようやくまとまり、いよいよ住民との話し合いが始まっていると説明された。しかし、それは要するに堤防はどうするとか、新たな町のゾーニングはどうだとか、集団移転の候補地はどこにするかといった話で、幸いにそれがまとまり、いよいよ土木工事となったとしても、更に個々の住民の暮らしや仕事が今後どうなっていくかという話になると、更に最短でも二年はかかるであろうという話だった。その間、この町の産業はどうなるのか、どうしてこんなに作業が手間取るのか、視察の間中、常にそのことを考え続けた。

 震災直後、政府は「創造的復興」というスローガンを掲げた。単なる復旧ではなく、新しい創造的な町をつくるのだ、と約束したのである。しかし、このままでは「創造的復興」どころか、町が土木的に再建されたとしても、町はその間にすっかり空洞化していた、という話にさえなりかねない。

 筆者にはその根因が、要は「国家の無策」であると思われてならなかった。被災地復興は、日本の中に突然出現した「3・11後の東北」という新しい「国」の経済発展の問題だ、と指摘する人がいた。とすれば、そんな事業は国にしかやれない。国はまさに開発独裁にも似た手法でこれに対処しなければ事は成就しない、というのが当然であるにもかかわらず、その国が逡巡してしまったのである。

 国は自治体主導で、といい、責任を丸投げしてしまった。ならばその代わり、自治体に権限を移譲したかといえば、国は事業の枠組みだの、最終的な査定権限だのは相変わらず握り続けたままなのである。むろん、縦割りの体制もそのまま。予算だって、ともかく復興債をというのではなく、まず償還をどうする、だったのは記憶に新しい。こんなことで「創造的復興」などやれるはずがない。

 「いざ戦争」という時に、償還財源を考えてやる国がどこにあるか、といった人がいたが、国になかったのはこの「非常時の感覚」でもあった。いかに現地の主体性を重んずるといわれても、平常時の権限しか与えられないなら、非常事態に直面している現場は立ち往生するしかない。かくて当初の計画は次々と後退し、現実との妥協が進行するしかなかった。

 被災地を歩いて感じたのは、やはり地場産業の役割であった。これが壊滅してしまったために、この春卒業の高校生たちは、ほとんどが都会へ出ていってしまった、という話を聞かされた。この現実を何とかするためには、企業誘致もいいが、ともかく地場産業を一日も早く復興させることであろう。そのためには、ともかく経営者を立ち直らせる施策が必要なのではないか。というより、ただこの一点に視点を集中させた緊急施策が求められるのではないか。

 しかし、意外なことに、こうした施策が実は手薄なのである。国はこの一、二年、六次産業化ということをいってきた。しかし、今石巻や気仙沼で求められているのはまさにそうした新たな産業基盤の創造であるのに、国の動きというものは全く見られない。つまり、この六次産業化を推進させるための関連産業の全体像を見据えた絵が全く描かれていないのだ。

 国とはもっとしっかりしたものだと思っていた、という関係者の失望の声を聞いたが、この言葉の意味するものは重い。自治体主導も住民の意思尊重も結構だが、しかし国がやるべきことは厳然としてある。それをやってほしい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成24年4月号〉