何が震災後に論じられるべきか

何が震災後に論じられるべきか

「戦後レジーム」を脱却し「国家と共同体」の復興へ

これまでは戦前・戦後という時代区分がなされてきたが、東日本大震災は震災前・震災後という時代区分をしなけれはらない「歴史を画する出来事」だった。ここから日本を復興させるには、戦後日本の問題を総括し、震災後はどうあるべきかという根本的な見直しが語られねばならない。


 

 あの東日本大震災から百日が過ぎた。東北復興は遅れに遅れ、ようやく端緒に就いたばかりである。一日も早い本格復興が望まれるが、その先頭に立つべき政府は自己の延命にだけ力を発揮する菅首相のもとで動きは鈍いと言わざるを得ない。

 一方、復興のグランドデザインやその財源、防災・危機管理、さらには原発事故の結果としてもたらされた電力不足によるエネルギー政策の大転換などが政治テーマとして論じられている。むろん、そうした課題の重要性は否定しないが、大震災は、政策レベルよりもさらに根本的な問題を提起しているのではあるまいか。

 というのも、今次の震災は「歴史を画する出来事」だと考えるからである。今後、政治や経済はむろんのこと、教育においても社会政策や家族政策でも、さらには外交・安保政策においても、この大震災の影響抜きには語れない時代に入ることは誰も否定しないだろう。これまで大東亜戦争の戦前と戦後という時代区分がなされてきたが、今後は震災前、震災後といった時代区分をしなければならないほどの出来事だったと言える。

 だからこそ、政策転換といったレベルではなく、さらに根本的な政治理念やビジョンといったレベルにおいて、震災前、つまりは戦後日本の問題を整理・総括・反省し、震災後はどうあるべきかという根本的な見直しが語られねばならないと考えるのである。

 まだ震災復興と原発事故収束の目途が立たないために、そのすべてを整理できるわけではないが、とりあえずいくつかのポイントについて考えてみたい。

 

◇国家を実感させた自衛隊の姿

 震災前と震災後を大きく分けるものは何か。それは「国家」という視点ではなかろうか。大震災が明らかにしたのは、国家が強力でなければ被災者を救うことすらできないという冷厳な現実だったからである。

 例えば自衛隊である。自衛隊は、震災発生当初に約一万九千名を救助し、その後も物資輸送や被災者への給食・給水支援、瓦礫の撤去、不明者の捜索に至るまで、十万人の隊員が献身的活動を展開した。「十万人派遣」などという正常な部隊運用を阻害するような菅内閣のパフォーマンスもあったが、隊員の献身的な活動によって多くの生命が救われ、被害拡大がくい止められた。真っ先に出動した「郷土の部隊」のなかには、家族が被災した隊員も少なくなかったが、それでも隊員たちは地震直後から被災地救援の最前線に立った。その奮闘ぶりに多くの国民が感銘を覚えたのも当然だろう。

 言うまでもなく、そうした活動を可能にしたのは、自衛隊が有事に備える組織だからである。部隊の迅速な展開、長期の活動を可能にする自己完結性、明確な指揮系統、不断の訓練……いずれも軍事組織だからこそ有していた機能である。まさに国家の防衛機能が、戦争にも匹敵するこの非常時に生かされたと言えよう。日本人は、大震災に出動した自衛隊の姿を通して国家というものを実感したと言っても過言ではなかろう。

 

◇戦後日本は自衛隊を正当に位置づけたか

 そうしたなかで、自衛隊の活躍ぶりを讃える声が多くの国民の中から起こってきている。しかし、それだけで済ませてよいのだろうか。戦後の日本は、その自衛隊を正当に位置づけ、自衛隊員を正当に処遇してきたのかという問題こそ、震災を経た今、問うべきだと考えるからである。

 ここで憲法九条の解釈論を繰り返すつもりはないが、日本国憲法は国防規定をすっぽり欠落させている。そこに左翼政党や左翼マスコミが自衛隊は違憲だとして付け込む隙も生まれたのだが、能天気にもそれを平和主義憲法などと言い換えてきたのが戦後の日本人ではなかっただろうか。

 一方、憲法は自衛権を否定していないとの前提に立って、「戦力」には至らない「必要最小限度の自衛力」として自衛隊を位置づけたのが歴代政府だった。戦力不保持を規定する九条と自衛力との矛盾のうえにたった苦肉の解釈だったとしても、そこから「自衛隊は軍隊ではない」というゴマカシが生まれたことも事実である。その結果、自衛隊には国家を防衛する軍隊として処遇されることなく、活動においても装備においても様々な制約が課されることとなった。

 違憲論は論外だが、政府の合憲解釈においても、自衛隊を正当に位置づけることを阻んでいるのは、やはり憲法だと言わざるを得ない。

 そうした憲法の欠陥が、様々な弊害を引き起こしてきた事実も見逃せない。中学校の公民教科書は未だに自衛隊違憲論に偏った記述をし、教育現場には「違憲の自衛隊」というレッテルばりが今も横行している。また、朝日新聞などの左翼マスコミは、今でこそ「自衛隊十万人奮闘」などと見出しを掲げて自衛隊の活躍を報じているが、震災前は違憲論を煽り、国際貢献どころか災害派遣にまで疑問を呈してきた。

 大震災での自衛隊の活躍はもっと讃えられ感謝されるべきである。と同時に、彼らの奮闘ぶりに応える意味でも、自衛隊の主たる任務である国家防衛の組織として、つまりは軍として自衛隊を正当に位置づける作業が震災後の今、始められるべきだと考えるのである。

 

◇誰が国家を支えたのか

 それと同時に、国家を誰が支えていたのか、という現実も震災は明らかにした。

 今回の大震災では、自衛隊だけでなく、消防、警察、海保など、まさに犠牲をいとわぬ人たちの姿に感銘を受けなかった国民はいないであろう。原発への放水活動に従事した東京消防庁のレスキュー隊の任務は「必ず帰ってくる」と奥さんにメールしなければならないほど危険で過酷なものだったが、敷地への進入まえに尻込みする隊員はいなかったという。仙台市の若林区では、最後まで津波から避難する住民を誘導して殉職した警察官がいた。避難を呼びかける防災放送のマイクを握り続け、自分は避難しなかった南三陸町の女性職員。高齢者を避難させようと地域を巡回している最中に津波に呑み込まれた民生委員……。

 そうした「公」のために自己犠牲を厭わぬ勇気によって何人の生命が救われたことか。こうした献身ぶりは職務だからという理由だけで説明できるものではない。少なくとも、国家とはそうした勇気ある国民の尊い献身があってこそ初めて成立するものだということを多くの国民は思い知ったと言える。

 その意味で、他者の命を救わんとした数々の行為は優れて価値あるものであり、その結果亡くなった方々の死は決して無意味なものなどではなく、実に尊いものであったことが先ず確認されるべきであろう。

 しかし、こうした「公」のために自己犠牲を厭わない精神を顧みることのなかったのもまた、戦後日本の最大の特徴ではなかっただろうか。日本国憲法は個人の幸福追求を最も基本的な人権だと規定しているが、「公」のために献身することの価値は断片的にさえ触れていない。世界中ほとんどの憲法は国民の「国防の義務」を様々な形で明記しているが、日本国憲法は「国防の義務」は一般的な精神的規定としてすら存在しない。

 教育においては、勇気ある国民の尊い献身があってこそ初めて国家が成立するということを教えられることはなかった。中学校社会科にある「公民」とは自らを「公」の一員として自覚し、行動する人を指すはずだが、そこで教えられているのは「自分らしく生きるため、みんなが幸せになるための学習」(日本文教出版)でしかなく、国民としての自覚すら語られることはない。

 一般にも、国家のために自己を犠牲にすることは価値のない行為と見なされ、むしろ「これまでは公共のために危険を冒す行為は、軍国主義の復活みたいに捉えられていた」(猪瀬直樹・『中央公論』六月号)のである。

 それゆえ、戦後日本では、長い歴史の中で日本を守るために命を捧げた先人たちを貶める教育がなされてきたと言えよう。とりわけ、日本を一方的に断罪する近現代史教育は、靖国神社に祀られている英霊を単なる「犠牲者」として貶めるものだった。

 「公」のために自己犠牲を厭わぬ人たちが国家を支えていることを目の当たりに見せてくれた大震災は、そうした戦後教育の風潮こそ根本的に問い直すことを求めていると言える。

 

◇顧みられなかった「共同体の価値」

 もう一つ、震災が明らかにしたのは共同体、とりわけ家族の重要性である。

 子供を助けようと津波に呑まれた父親、行方不明になった親、子、夫、妻を探し続ける人たち……そんな悲しい事例が数多く報じられている。家族の死を認めることになるからと言って弔慰金支給の手続きをしない人さえいるという。

 一方、津波で亡くなった子供が悲しむからと生活を立て直そうとする夫婦、亡くなった祖母のために看護師になりたいと言う中学生……。大震災は家族のなかでこそ人は人たり得るという厳粛な事実を明らかにし、日本人をして家族の価値にも目覚めさせたと言えよう。

 同様のことは地域の共同体についても言えよう。今回の大震災では、救援の手の及ばなかったなかで地域単位で共同して避難し被害の拡大をくい止めたケースがいくつも見られたという。これは東北にはまだ伝統的な地域の絆が残っていたからこそ可能だったのであり、無縁社会が拡がる都市部が同じ災害を蒙ったら被害はこの程度では済まなかったとも言われる。民主党がいう「新しい公共」とは逆の、「伝統的公共」が、多くの人々の命を救ったとも言える。

 一方、家族や地域といった共同体の価値を顧みることなく、むしろ積極的に否定してきたのが戦後の日本だったのではあるまいか。

 教育では、個人の選択が何にもまして価値あるものとして、逆に家族の絆は個人の選択に制約を加えるものとして教えられてきた。夫婦別姓や男女共同参画といった政策論議では、「家族単位から個人単位へ」こそが時代の流れだと語られてきた。

 むろん、そんな雰囲気の根底には憲法がある。日本国憲法は家族尊重の規定を持たず、「すべて国民は、個人として尊重される」と、「個」の尊重こそが最高の価値だと規定した。「『個人の尊厳』の行き着くところは、場合によっては『家族の解体』にまでつながっていく論理を含んでいる」(樋口陽一)と、「個の尊重」という憲法の論理を貫徹するためには家族の解体が望ましいと明言する憲法学者すらいる。

 また、匿名で生活できる都会こそ、しがらみのない自由が満喫できる空間だと考えられ、地域の共同体などは専ら煩わしいものとして顧みられることはなかった。民主党が主張する「新しい公共」政策は、そうした地域共同体は「古い公共」だとして解体・再編の対象としている。

 しかし、大震災が明らかしたのは、家族の絆や地域共同体の重要性であった。「個」がいかに強調されようと、「個」だけでは生きられないという厳粛な事実であった。その意味で、大震災はそうした戦後日本の価値のあり方に根本的な反省と総括と、「共同体の価値」の再興を迫っていると言えよう。

 

◇「戦後レジーム」の正体

 ここまで、ごく大まかではあるが、国家と共同体の視点から大震災が明らかにした問題を整理してきたが、いかに戦後の日本がバカげた雰囲気のなかにあったかという事実が、震災が見せてくれたものとの対照のなかで、鮮明となったと言えよう。まさに渡辺利夫氏が言うように「大震災以前、多くの日本人は国家と共同体に価値を求めず、自由な個として生きることを善しとする気分の中に漂っていた」(産経新聞・四月二十一日)のである。

 また、既に述べたように、そうした「気分」を生み出してきたのが戦後の憲法であり、教育であり、マスコミであった。そんな空気のなかで日本人は「国家と共同体の価値」が見失ってきたと言える。「戦後レジーム」という言葉があるが、日本人をして「国家と共同体の価値」を見失わせたものこそ「戦後レジーム」の正体と言えよう。

 その意味で、そうした「戦後レジーム」から「国家と共同体の価値」への転換が震災後の根本的テーマであり、憲法や教育、さらにはマスコミ論調などが総括され見直されねばならない。そこに「日本復興」の出発点があると言えよう。

 

◇「国家とは何かを考えたことのない」首相

 では、その「日本復興」は先ず何から手を付けるべきなのだろうか。それは菅内閣と民主党政権による「人災」の進行をくい止めることではあるまいか。

 まだ大震災は進行中である。しかし、進行中なのは何も原発事故だけではなく、「人災」もまた進行中である。「国家と共同体の価値」という視点から真っ先に問われねばならないのは、まさにその「人災」だと考えるからである。

 いまだ八万人余りが避難所生活を余儀なくされ、原発事故の収束見込みも立っていない。義援金もまだ配分されず、瓦礫の本格的撤去もまだ始まったばかりである。ライフラインの復旧も進んでおらず、水道の復旧率が三%という地域もある。

 この惨状をもたらしたのは菅内閣である。安全保障会議や中央防災会議を開かず、国家として全力を挙げる意思統一を怠り、その後は、対策会議を二十一も乱立させ、指揮命令系統を混乱させた。さらに、復興の基本プランを復興構想会議に丸投げし、復興のための日時を三カ月も浪費した。復興基本法の成立も専任大臣の決定も、震災から三カ月以上経ってからのことだった(ちなみに阪神大震災の際、担当相は四日後に決まっていた)。その意味で、原発事故だけでなく、復旧・復興の大幅な遅れも、菅首相によって引き起こされた現在進行中の「人災」と言える。

 こんなバカげた「人災」が何故起こったのか。「誤った政治主導」がその原因だとの解説がなされているが、政治手法のレベルよりももっと根深い原因を考えた方が分かりやすい。

 山内昌之氏は、菅首相には「未曾有の災害に向き合うリーダーとしての意識」が欠け、「国と国民の危機を救うという使命感」も欠如していたと分析し、そこには「国家とは何かを本格的に考えたことのない人間がリーダーになった時の恐ろしさがある」(読売新聞・六月二十六日)と指摘する。

 国家が機能しなければ、国を挙げての救命活動も出来ないし、被災者の支援も、東北の復興もあり得ない。この当然の事実からすれば、「国家とは何かを考えたことのない」菅首相に、まっとうな復旧・復興は出来ると考える方が間違いだろう。

 被災地の復興は瓦礫の撤去から始まるが、「日本の復興」はまず、菅首相という「政治の瓦礫」撤去から始められねばなるまい。

 

◇「日本復興」の最初の一歩は?

 しかし、問題は菅首相個人に止まるものではない。というのも、政権を担う民主党がそもそも「国家とは何かを考えたことのない」どころか、国家の相対化、国家の否定をめざすリベラル政党だからである。

 平成十七年、民主党憲法調査会は「憲法提言」を公表したが、前年に「中間報告」という文書を作成している。その「中間報告」は、憲法論議と絡めて、国家の在り方を次のように述べている。

 「日本国憲法は、国連を軸とした国際秩序に信を寄せて立国の基本を定めたという点で画期的なものであり、国家主権それ自体を相対化する試みとして実に注目すべき内実を備えている。
 二一世紀の新しいタイプの憲法は、この主権の縮減、主権の抑制と共有化という、『主権の相対化』の歴史の流れをさらに確実なものとし、これに向けて邁進する国家の基本法として構想されるべきである」

 つまり、現状の国家主権は相対化、さらに縮減、抑制、共有化されるべきであり、それを憲法に規定すべきだというのである。

 最近でも、鳩山前首相のスピーチライターだった平田オリザ氏は、二十一世紀は「近代国家をどういう風に解体していくのか」という時代だと「鳩山さんとも話をしている」と、公開の場で述べている。

 つまり、民主党という政党は、国家の相対化、さらには国家の否定を志向するイデオロギーがDNAに刻み込まれた政党とも言える。

 既に小誌で何度も紹介してきたことだが、民主党は国民を「市民」と言い換え、国家主権ではなく「地域主権」を推進し、また社会政策において「家族単位から個人単位へ」という流れを主導し、また伝統的共同体を「古い公共」だと貶めてきた。

 これらはみな、こうした国家否定の文脈で読み取ることができ、しかもこれまで指摘した戦後日本の雰囲気とも深く重なる。まさに、民主党こそ「戦後レジーム」そのものを体現した政党と言える。

 その意味で、菅内閣の「人災」の原因は、やはり菅首相の「誤った政治主導」というレベルではなく、国家の相対化、否定の志向を持った民主党そのものにあると言える。

 しかも、民主党政権による「人災」は、単に被災地復興を阻害しているというだけではない。というのも、菅内閣によって、震災前から国家の安全保障、経済、対外的信用を大きく毀損し、震災の結果として日本の「国力」の低下が予測されるなか、その「人災」は更なる問題をひきおこすと考えられるからである。

 震災を期にロシア大統領と閣僚が北方領土にはじめて足を踏み入れ、韓国は閣僚が次々と竹島に入っている。また中国海軍は艦隊を南西諸島のラインを越えて西太平洋での演習を実施した。これらは「国力の低下」を見込んでの行動であることは明らかであろう。同様のことは為替問題など経済についても言える。

 震災被害が乗り越えられたとしても、次にはこうした民主党政権による「二次災害」が待ち受けているということである。この二次災害の深刻さを考えれば、国家否定を志向する政党が今後も政権政党であることは、震災発生時の首相が菅直人だったことと同様の悲劇をもたらしかねない。

 「戦後レジーム」から脱却し「国家と共同体の価値」の再興をめざす「日本復興」は、そうした二次災害を防ぐ意味を含めて構想されるべきであり、その第一歩は菅内閣と民主党政権の退陣から始まると考える。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成23年7月号〉