東北被災地視察レポート② 「復興の槌音」はいつ聞けるのか

東北被災地視察レポート②

「復興の槌音」はいつ聞けるのか


 

 東日本大震災の発生から七カ月を経た十月十一日〜十三日、本誌は五月に続き宮城県、岩手県の被災地を視察した。

 テレビや新聞を見ていると、復旧・復興への動きが進みつつあるかのような印象を受けるが、実際には瓦礫が片付けられただけで、ほとんど何も進んでいない現実があった。

 以下、われわれが見た震災七カ月後の被災地の実情を報告する。

 

◇宮城県視察

仙台市
 十月十一日夜、仙台市宮城野区で、田村稔仙台市議、地元農家の芳賀正さん、遠藤林保さん、遠藤喜伸さんに話を聞いた。五月時点ではまだ避難所生活を送っていたが、六月中旬に仮設住宅に移ったという。

 「避難所に比べ、仮設住宅は非常に有り難い。ただ、夏は蒸し暑かったし、この頃は朝晩は冷え込みます。屋根も玄関もないのでドアを開けると風や雨、これからは雪も入ってくる。灯油や衣類の置き場所もないので、厳しい冬になりそうです」

 田村市議によると、現在、市は津波対策のため、防潮堤の高さを従来の六メートルから七・二メートルに嵩上げする方針を打ち出し、浸水地域の宅地については国の防災集団移転促進事業の支援を受けて、土地を買い上げた上で集団移転を検討している。だが、地価は震災前よりかなり下落すると想定されている。移転先の土地取得や住宅建築費用は自己負担となるため、住民の間では「とてもじゃないが無理」と不安が広がっているという。ちなみに、農地については買い上げの対象ではない。

 大きな被害を受けた農業インフラは、その後どうなったのだろうか。

 仙台市では農地の三〇%が浸水し、用排水路や排水機場などの農業用施設も大きな被害を受けた。だが、現状では農地の瓦礫撤去が行われただけで、排水すらできていないという。また水利施設の仮復旧も来年六月まで待たねばならないという。むろん、農業インフラがこのような状況では、作付けはとてもできず、三年程度は待たねばならないと言われている。

 では、農業の再生・復興についてはどうなのか。

 「仙台市復興計画中間案」では、浸水地域に「農と食のフロンティアゾーン」をもうけ、農地の集約化や法人化など農業経営を見直し、市場競争力のある作物への転換や「六次産業化」などを促進するとしている。だが、これは絵空事のようだ。芳賀さんが言う。

 「この機会に、なんとかして『食える農業』にして行かないといけないけれども、ゾーンの中で具体的に何をするかという話は全然聞こえてこない。農業については、農家に対しても一度アンケートをやっただけで、実情を見に来るわけでもない。たぶん国の対応が遅れていることが影響しているのだと思いますが、とにかく早く方針を示してほしい」

 遠藤喜伸さんも言う。

 「この地域の農家はみんな津波では流された。もう年だから、単独ではベンツ三台分の農機を買ってまでやり直す意欲はない。大規模化して集落営農とかにした方がいいと思う。ゾーンの中のこの区域は水田にする、この区域は畑にするといった方針が示されれば、集落営農の組織をどう区分するかとか、ある程度は話し合ったりできるけれども、何も示されないからどうしようもない」

 農業は収益の低下、高齢化、担い手不足など、震災前から衰退傾向にある。本来は震災を機に「食える農業」への転換を急ぐべきだが、それに着手すらできていない現状に愕然とするほかなかった。

 

石巻市

 十月十二日朝、仙台市から石巻市へ。石巻が一望できる鹿島御子神社で、石巻青年会議所(JC)の窪木好文理事長に話を聞いた。

 被災自治体の中で十万人以上という最多の避難者が出た石巻市では、前日の十一日にようやく最後の避難所が閉鎖。市内百十三カ所にできた仮設住宅や周辺自治体の賃貸アパートなどに移ったという。

 市の復興計画は八月に骨子が提示され、十一月半ばには正式に決定される見通し。

 ボランティアは当初、団体・個人の両方が活動していたが、現在は個人による活動は終息し、団体による漁業復旧支援が中心になっている。

 現在、石巻JCでは「復興市」の開催に向け、準備に当たっている。窪木理事長が言う。

 「小規模な復興市は各地で実施されていますが、われわれは石巻を含めた二市一町が集まった大規模な復興市を計画しています。実行委員体制を作り、JCはその事務局役を担っています。この取組を通して、復興の気運を盛り上げて行きたい」

 ところで、石巻は産地別水揚量で全国第四位と全国有数の漁港である。特に約二百もの水産加工会社があった屈指の水産加工拠点だ。しかし、これら水産インフラは大津波で壊滅。五月の視察時点では、流された漁具を回収する程度の動きしか見えなかったが、現状はどうか。

 窪木理事長の案内で、石巻漁港を視察した。港では岸壁の修復工事が行われていた。地盤沈下で満潮時は周辺が冠水するという。しかし、無事だった隣接の石巻西港では、小規模だが水揚げが行われていた。近くのプレハブ事務所で、石巻魚市場の須能邦雄社長に話を聞いた。

 「うちの事務所を含め、この辺の加工場や冷凍冷蔵庫はみんなやられた。だけど、七月十二日から水揚げが再開し、今はサケとかスルメイカとかが入っている。量は例年の二割ぐらい。魚の出荷には氷が不可欠で、最初は塩竃などから調達していたが、最近は石巻でもボツボツ氷ができるようになった。冷凍保存も一部できるようになってきたけれど、加工場はまだ殆ど再開できない。加工場の復旧には、国の三次補正で四分の三は補助されると言われている。でも、四分の一は自己資金。二重ローンになるから厳しい所も多い」

 窪木理事長によると、石巻でも牡鹿半島に近い万石浦では、養殖が再開し、今シーズンも一部のカキが出荷できそうだという。だが、これはレアケースで、水産関係者の多くはまだまだ先が見えないままのようだ。

 

気仙沼市
 その後、石巻市から南三陸町を経て気仙沼市へと向かい、気仙沼商工会議所で臼井賢志会頭に話を聞いた。面談のセットには、荒木真幸前陸前高田市議に尽力いただいた。

 気仙沼は市民のほとんどが水産関連業を生業とする港町。産地別水揚量は全国第三位。マグロ、カツオ、フカヒレの産地として有名で、特にフカヒレの加工技術はきわめて高く、気仙沼のフカヒレは世界ブランドだ。

 震災では、市街地が三日間燃え続けるなど廃墟となった気仙沼。その気仙沼でカツオの水揚げが始まったというニュースが六月頃から流され始めた。それらを見るといかにも「復興が始まった」と思っても仕方がないが、それは錯覚にすぎない。

 臼井会頭によると、確かにカツオとサンマは気仙沼に揚がっているが、カツオの水揚量は例年の二割程度、サンマの水揚げは毎日ではないという。これは震災で冷蔵冷凍庫が壊滅し、気仙沼で作れる氷の量がまだ少ないことが影響している。

 しかし、本当に深刻なのはこれからだ。というのは、カツオやサンマの場合は、水揚げして氷詰めすれば一応、消費地市場へ出荷できるが、冬場に水揚げされるマグロ、カジキ、ヨシキリザメ(フカヒレ)などは、包丁を入れないと出荷できない。ところが、震災で加工施設が壊滅したため気仙沼では包丁を入れられない、つまり加工ができないのだ。

 「いま漁船は、銚子など他の漁港へ水揚げしています。水揚げしても気仙沼では買い付けができる加工業者がいないからです。加工技術のない他の漁港は、今はあまりメリットはないですが、ある意味でこれは気仙沼の技術を導入するチャンス。ふかふかの絨毯をひいて気仙沼の加工技術者を待っているそうです。このまま復旧が進まないとどうなるか」

 おまけに宮城県は、津波対策で気仙沼市などに建築制限をかけているため、今は手が着けられない。そうしたことから、一部の加工業者は他県で施設を造り始めるなど、既に流出は始まっている。

 「たとえ嵩上げを今すぐ始めても一年十一カ月かかると言われてます。加工施設等はそれから造るわけですから、その間に気仙沼は沈んでしまいますよ。復興に向けた前向きな話は歓迎ですが、現実には復旧すらままならない状況です」

 気仙沼の現実は、水産業は魚をとるだけでは成り立たないことを物語っている。つまり、漁船・漁業者のみならず、魚市場、冷凍冷蔵庫、加工場、造船場、宿泊施設、歓楽街などの後方施設もふくめてパッケージとして整備しなければ、復旧にも復興にもならないということだ。

 単にカツオやサンマが水揚げされるニュースを見て、「復興が進んでいる」などと勘違いしてはならない。

 

◇岩手県視察

陸前高田市
 十月十三日午前、岩手県奥州市の宿泊先から住田町へ。ここでは割愛するが、住田町では五月に視察した木造仮設住宅の様子を見た後、同町の林業政策について担当幹部に話を聞いた。その後、被災地の瓦礫処理にあたる太平洋セメントなど大船渡市を視察。午後は陸前高田市をくまなく回り、市の仮庁舎へ。菊池満夫同市企画部長に話を聞いた。

 「部外者がみる限りでは、何も進んでいないという印象です」と切り出すと、菊池部長はこう応じた。

 「もっと進むと思っていましたが、市の単独事業ではできないことが多いのです。例えば、まちづくりにしても、農地や漁港の復旧にしても、国の災害査定を受けてからでないとできない。国の三次補正は八月には通るという話でしたが、十一月という話ですからね」

 最大の問題は、復旧・復興の骨格となる社会資本整備について、国がいまだ回答を出していないことだ。

 「市は防潮堤の高さを十五メートルにしてほしいと要望していますが、国は十二・五メートルでいいとの立場で折り合いがついていません。また市の中心部を走る国道四五号線はゼロメートル地帯にあるので付け替えを要望していますが、これも返事がありません。この二つが決まらないと、利用できる土地と利用できない土地の範囲が決められないので、市街地の再開発や住民の集団移転なども本格的には決められない。JRでさえ、これを見極めてから鉄道を復旧するかどうか考えるという立場です。ですが、市民にはある程度方向性を示していかないと何も始まりませんので、見切り発車のような形で進めている状態です」

 要するに、現状では復旧すら全然進んでいないということだ。

 一方、復興はどうか。陸前高田市はもともと大した商工業基盤がなく、かといって小規模経営が多い農業や漁業は雇用の受け皿となり得ず、震災前から人口流出が進んでいた。話を聞く限りでは、基本的に今もこの構造は変わらないようだ。

 むろん、震災後は多数の企業が支援を申し出ている。例えば、外食大手のワタミは、市内にコールセンターの設立を決定し、起業意欲のある若者を対象とした経営塾も近く始めるという。だが、復興というからには、もっともっと産業が必要だ。

 「市民は仮設住宅に入って生活を取り戻しつつありますが、来年二月頃には失業保険も切れます。やはり雇用の確保が一番の問題ですね」

 別れ際、菊池部長はこう語った。

 「震災以来、全国の皆さんからあたたかい支援をいただき、そのことに私達は本当に感謝しています。しかし、色々な支援をいただけるのも今度の三月までだと思い、今、本当に頑張らないといけないと思っています。どうか陸前高田を忘れないでいただきたい」と。

〈『明日への選択』平成23年11月号〉