東北被災地視察レポート③ 「創造的復興」はどこへ行った?

東北被災地視察レポート③

「創造的復興」はどこへ行った?


 

 東日本大震災の発生から一年を経た三月十二日~十五日、本誌は昨年五月と十月に続き、宮城県、岩手県の被災地を視察した。

 壊滅した被災地はようやく建設面での復旧に着手する段階になったが、最も重要な産業復興への道のりはかなり遠いとの印象をもった。

 以下、各地の有力者や自治体幹部への聞き取りを中心に、われわれが見た被災地の現状を報告する。

 

◇石巻市

 三月十三日朝七時、石巻漁港の魚市場。仲買人など数十人が集まり、セリが行われている。人の輪をかきわけて行くと、魚市場を経営する須能邦雄社長の姿が見えた。

 「水揚げ量はまだ例年の二、三割程度だけれど、今の時期はタラ類を中心にいろいろ入ってきているね。ノドグロ、アカガレイ、マコガレイ、水ダコ、カニ……。このアンコウなんか大きいでしょう」

 石巻は産地別水揚量で第三位、約二百もの水産加工会社が連なる全国屈指の水産加工拠点だった。震災ではこれら水産インフラが壊滅したが、須能さんはこの一年、漁業者、水産加工会社、関連業界、行政などそれぞれから中立的な魚市場社長として、全体を俯瞰し見守ってきた。

 昨年七月、隣接する石巻西港に仮設テントを設置し、小規模ながら水揚げを再開。その後、全長約六五〇㍍におよぶ元の魚市場の敷地のうち約三分の一を一㍍嵩上げし、大型仮設テントを三つ設置(計約二三〇㍍)。昨年十一月から元の魚市場の機能を一部復活させた。現在、残り三分の二部分の嵩上げ工事が行われているが、今後、高度な衛生管理機能が整った魚市場の建設を目指すという。

 一方、後方の水産加工団地の復旧・復興はこれから。復興へ向けて皆で頑張って行こうという点では一致しているが、元来それぞれ独立・競争してやってきた背景もあり、具体的な問題になると調整が容易ではないようだ。しかも、石巻の水産拠点全体を創造的に復興させるようなグランドデザインはないという。

 「そんなもの誰が描くの。国は県に丸投げし、県は市に丸投げする。市は産業復興・雇用創出が一番重要なことは重々分かっているけれども、町の再建や住民の生活支援等でとても手が回らない。本来は国が『こうやるんだ』と地元にあれこれ提案しながら引っ張って行くべきだと思うが、結局、政治が本気になっていないから、震災復興といっても官僚は面従するだけで、平時の縦割りの論理で動くのは当然でしょう」

 午後は、鹿島御子神社で、石巻青年会議所(JC)前理事長の窪木好文さんに、最近の市民生活の実情やJCの活動経過などを聞いた。

 石巻市は被災自治体で最も多い四千人近い死者・行方不明者が出た。昨年末、市の復興計画が提示されたが、復興の大前提となる瓦礫処理は、量じたいが現在判明している分だけで通常時の十年分以上、処理には相当な時間がかかりそうだ。そうした中、市民は生活再建に向けて少しずつ歩を進めている。

 「最近失業手当も切れて、このままでは食べて行けないとみんな必死になって仕事を探し始めました」

 一方、石巻JCは震災直後は主にボランティア受け入れの斡旋・調整に取り組み、その後は復興への気運を盛り立てる活動に取り組んできた。昨年十月には、JCが中心となり二市一町による大規模な「おらほの復興市」を開催。八千人以上が集結し、大いに盛り上がったという。

 「こうした活動の一方、震災直後は出稼ぎでしのいでいたJCの仲間たちも、最近ではほとんどが元の仕事を再開して頑張っています」

 復興にはまだまだ時間がかかりそうだが、いずれ地元経済界を担って行くと目されるJC関係者の立ち直りは、明日への希望を感じさせる。

 

◇仙台市・亘理町

 三月十四日午前、田村稔仙台市議会議員とともに、仙台市経済局幹部に、農業インフラの復旧状況と農業の復興計画について聞いた。

 震災で仙台市は、農地の三〇%、一八〇〇㌶が浸水し、用排水路や排水機場などの農業用施設も大きな被害を受けたが、農地の瓦礫は昨年末までにおおむね撤去され、除塩も実施中。排水機場も今年六月までに全て復旧する見通しだという。復旧完了は平成二十六年度をめざし、すでに昨年度は四〇〇㌶で作付が可能に、今年度も五〇〇㌶が復田される見通しだ。

 一方、市としては単に震災前の状況に復旧させるのではなく、浸水地域に「農と食のフロンティアゾーン」をもうけ、「農地の大区画化や集約」「法人化などの農業経営の見直し」「市場競争力のある作物への転換や6次産業化の促進」をめざす。そのため復興特区や税制の特例措置などを導入する。

 市内では農業生産法人の呼びかけにカゴメや日本IBMが参画し、国内最大級の野菜工場計画も進んでいる。来年度中の生産開始をめざし、五百人規模の雇用を見込んでいるという。市経済局のある幹部は言う。

 「これまでも大規模化や法人化を目指してきたのですが、なかなか進まなかった。震災を機に集落営農組織をできれば法人化していただきたい。また意欲のある農家に頑張っていただくと同時に、震災で離農するという方々には集落営農の指導者や市民農園の管理人といった形で活躍いただくことも考えています」

 その後、仙台市宮城野区の農家、芳賀正さんに話を聞いた。

 「私たちの地域では自宅も農地も農機もすべてやられました。みんな高齢のため、単独でやり直す意欲はありません。ですので、農地の大規模化や集落営農化が望ましいと思いますけれども、同じ仙台でも集落によって特徴も条件も違います。行政にはそうした集落の実情に則して施策を進めてほしい」

 日本の農地の約七割は中山間地域にあり、大規模・集約化は困難且つデメリットの方が多いが、仙台平野の場合はむしろ大規模・集約化のメリットが出やすい土地条件にある。日本農業は農業所得の低下、担い手の高齢化など多くの問題を抱えているが、震災を契機にこうした課題を先進的に解決し、「儲かる農業」に転換できるか否か、仙台市の取組からは目が離せない。

 午後は、宮城県神社庁の宮崎博明さんの案内で、仙台市以南の沿岸地域を視察。その後、イチゴの生産地として有名な亘理町を訪れ、同町産業観光課で、イチゴ農業の現状や展望を聞いた。これについては、またの機会に紹介したい。

 

◇陸前高田市

 三月十五日午前、仙台から車で三時間、気仙沼方面から陸前高田市に入った。月山神社研修所にて、同神社禰宜で前陸前高田市議の荒木眞幸さんとご家族に話を聞いた後、荒木さんの仲介で、菊池満夫陸前高田市企画部長に話を聞いた。

 「復興計画は十二月に議会の承認をいただきましたが、まだ絵を描いただけで、新年度から予算を付けてスタートするという段階です」

 陸前高田は最も甚大な被害が出た被災地の一つで、復興の大前提はやはり防災・減災となる。市中心部の再建方針は、海側から内陸に向かって、防潮堤→国道四五号線→産業用地(農地、工業用地など)→幹線道路を整備し、その内側に市街地や住宅地をつくるというもの。市街地の利用の仕方はこれから詰めることになるが、鉄道の位置により全く変わるという。しかも、未だにJR側は鉄道再建を確約していないという。

 雇用の受け皿については、ワタミグループが従業員百人規模のコールセンターを開設。沿岸には、気仙沼の水産加工会社が新工場を建設、ほか十数社も周辺に加工場を建設する予定で、千二百人規模の雇用が生み出される見通しだという。

 だが、市は震災前をやや上回る二万五千人台の人口規模を目指しており、これではまだまだ雇用の場が不足していると言わざるを得ない。

 農業については、震災直後は農家の多くがやめる意向だったが、最近はやはり継続したいとの声も増えており、意欲を確かめつつ、利用可能な農地の規模を見極めてゆくという。漁業はカキ養殖が中心だが、出荷までに二、三年はかかるという。

 「農家、漁師、商店といった個人事業者の場合は失業保険がありません。収入は瓦礫処理などのアルバイト代くらいで、基本的には所得がない。ですから、国にそれらの人々の生活支援をお願いしています」

 むろん、行政の手が回らない部分も多々ある。そうしたことから、荒木さんの娘の奏子さんも、「ふんばろう東日本プロジェクト」など民間の復興支援にも協力し、若者の就労支援や女性の手仕事による製品の販路確保などに奔走しているという。

 

◇気仙沼市

 午後は気仙沼市に入り、民間の支援で開設された「復興屋台村」を訪れた。屋台村の小野寺雄志事務局長によると、市内全域から公募して選ばれた二十一店舗が入居し、昨年十一月にプレオープン。幸い全国からの訪問客で盛況だという。小野寺さん自身も自宅と職場を津波に流されたというが、「復興に休みなし。今頑張らないでいつ頑張るのか」と昨年六月の準備段階から一日も休まず、運営に当たっているという。

 だが、気仙沼は市民の七割以上が水産関連業に従事していた港。その復興なくして気仙沼の復興はない。

 気仙沼市魚市場を訪れると、数人の作業員がビンチョウマグロを氷詰めにしていたが、魚市場の建物は依然として三分の二が冠水状態。気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭によると、水揚量は例年の三分の一程度。冬場は本来は盛漁期で、マグロ、メカジキ、ヨシキリザメ(フカヒレ)などが揚がるが、壊滅した水産加工場や冷凍冷蔵庫がほとんど復旧していないため、漁船は他の漁港に行ってしまうことが多い。

 ようやく市の復興計画が策定され、現在は住民等への説明が始まったが、仮に順調に計画が進んだとしても、嵩上げが完了するのは来年秋とされ、水産加工場の建設はそれ以降となる。

 この水産加工場の復興に関して、最近、住友商事と三井物産が乗り出し、複数の加工場をまとめて団地化しようという動きが出ている。

 一方、中小企業庁のグループ補助が投入されることも決定した。だが、臼井会頭は言う。

 「このグループ補助が投入されるのは加工場だけなのです。漁港というのは、魚をとってくる漁師だけで成り立っているのではなく、加工場、冷凍冷蔵庫、造船場、鉄工所、宿泊施設、歓楽街といった後方施設が整っていなければ成り立ちません」

 つまり、本来はそれらを一体のものとして捉え、パッケージとして復興する政策が用意されなければならないのだが、国にはそうした観念が全く欠落しているということだ。

 これは石巻のケースと通底する。石巻魚市場の須能社長はこんな指摘もしていた。

 「われわれは国あるいは国のシステムというものがもっと立派なものだと思っていた。けれども、今度の震災で、国というものが本当にお粗末だということが分かった。例えば、水産庁にかけあうと、漁業は水産庁の所管だが、加工は中小企業庁の所管だというんだ。石巻のような水産の現場はそれらが全部繋がって成り立っているのに、結局、震災が起こってもバラバラに対応しようというのが今の国でしょう」

 その指摘の通り、復興庁ができたといっても、国はいつもの縦割り行政のまま。「単なる復旧ではなく未来志向の創造的な取組が必要です」(復興構想会議)とかけ声だけは立派だったが、それを本気で推し進める国家意志もなければ、霞ヶ関を束ねて政策発動を指揮する指導者も機関もこの国には存在しないのである。これでは「創造的復興」などできるはずがない。本当にこれでいいのだろうか。

〈『明日への選択』平成24年4月号〉