歴史に学ぶ「政党と政治」の教訓

歴史に学ぶ「政党と政治」の教訓

ロンドン軍縮条約交渉にみる政党政治の限界

いかに政治主導そのものが好ましいとしても、その「政治」が常に正しい方向を向いているという保証はない。民主党は「国会内閣制」をめざすという。しかし、それが無責任な政治家たちによる「素人内閣制」だとしたら、これほど不幸なことはない。そこには民意と同時に、政治指導者の国家の将来への透徹した眼と、その部門部門に責任をもつ者による「責任ある政策」がなければならない。


 

◇政党政治の難しさ

 「官僚内閣制」から「国会内閣制」への改革――それが民主党が政権交代後、第一にめざす改革の課題だという。彼らによれば、これまで自民党が進めてきたのは政策立案を始め、内閣がなすべき実質的な仕事をほぼ官僚に依存する官僚任せ内閣、つまり「官僚内閣制」であり、これを国会で多数を占めた政党が、政権党として全責任をもつ「国会内閣制」(議院内閣制)へと変えることが、彼らがめざす第一の課題だというのだ。

 そうした改革の方向性それ自体をここで論評しようというのではない。論じてみたいのは、果たしてそうした改革が現実となった場合、確実に国家・国民にとっての「より良い政治」の実現へとつながっていく保証があるのか、ということである。聞くところによれば、この改革のために民主党は政権を取った場合、官邸や各省庁に百人程度の国会議員を送り込み、そうした議員の力を背景に政治主導の実現を図っていくという。その意欲はよいとしても、果たしてそれが逆に行政の混乱、政策決定の渋滞や朝令暮改につながらないという保証があるのか? 各省幹部に対する政治任用の導入という話も伝えられるが、少なくとも彼らがこれまで国会で示してきた無責任や無定見を併せ考える時、筆者としてはいささか心配と疑問なきを得ない、というのが正直なところだといえる。

 さて、こんなことを冒頭から書いたのは他でもない。筆者自身、先日のNHK番組「ジャパン・デビュー」第二回(天皇と憲法)を検証してみた際(この番組の偏向性についてはまた別の機会に論じたい)、この種の「政党と政治」という問題の難しさ、奥深さを改めて思わずにはおれなかったからだ。番組の中の最重要テーマたるロンドン海軍軍縮条約批准の際の「統帥権独立問題」は、まさに当時の政治がそうした「政党主導の政治」を名実ともに実現しようとした、その絶頂期ともいうべき時期に生起した実に象徴的な問題であった。後にも触れるように、時の浜口雄幸内閣はこの海軍軍縮と統帥権問題に関する各界からの異論を、議会に於ける圧倒的な与党優位と、マスコミ世論の支持と、政党内閣の時代的威光を背景に力で押し切ろうとした。そして、まさにそれが実現しようとしたその時に生起したのが、浜口首相への右翼青年によるテロであり、同時に政党主導から軍部主導へと政治を転換せしめようとする「新政治潮流」の台頭だったのである。

 筆者は何も、民主党政権にもこれが当て嵌まるというのではない。しかし、ここで改めて指摘してみたいのは政党政治というものの「難しさ」である。いかに政治主導そのものが好ましいとしても、その「政治」が常に正しい方向を向いているという保証はない。そこに「民意」のバックアップがあるといっても、だからといってそれで国家の安泰が保証されるという話でもない。そこにはそうした民意と同時に、政治指導者の国家の将来への透徹した眼と、その部門部門に責任をもつ者による「責任ある政策」がなければならないということなのである。官僚内閣制からの脱却はそれ自体好ましいとしても、だからといって官僚を一切抜きにしたり抑圧したりして、政治ができるというものでもない。むしろ専門家にはその専門性の最高度の発揮を可能とするシステムもまた必要だということなのだ。

 以下、この「政党と政治」の問題を、浜口内閣時の海軍軍縮問題を材料にしつつ、筆者なりの視角から考えてみたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成21年7月号より抜粋〉

【本稿の主な内容】

 ・軍縮を求めた国際協調主義

 ・なぜ海軍は反対したのか

 ・政党政治への反感

 ・問題は政治家の見識

(続きは、『明日への選択』平成21年7月号で読めます)