元祖友愛・鳩山一郎に見る「鳩山家のDNA」

元祖友愛・鳩山一郎に見る「鳩山家のDNA」

新政権誕生前夜? 鳩山一郎をめぐる三つの「サイド・ストーリー」


 

◇輪郭のボヤケた政治家

 「祖父・一郎」に学んだ「友愛」の「旗印」を掲げ、この日本の政治を担う――と鳩山由紀夫民主党代表は月刊誌『Voice』の九月号で宣言している。「友愛」とは「愛」(love)という言葉から印象づけられるような柔弱なものではなく、実はフランス革命の標語「自由・平等・博愛」の中の「博愛」に当たる「戦いの旗印」でもある、と彼はいうのだ。

 わかったようでわからない相変わらずの「鳩山語」といってよいが、これからはイヤというほどこの「祖父・鳩山一郎」の物語につき合わされることになるのだろう。鳩山一郎といっても、筆者を含め戦後派のわれわれには印象が薄いが、教科書的には官僚派吉田政権を打ち倒し、党人派鳩山政権を打ち立てた庶民派宰相、ということになっている。その鳩山一郎の孫が吉田の孫率いる「官僚内閣制」を打ち倒し、国民の立場に立つ「国会内閣制」を実現――となれば、報道関係者にとってはこれほど話題になる話もないといえる。

 とはいえ、これはあくまでも私的な感想としていうのだが、鳩山一郎ほど実際に調べてみて、逆に輪郭がボヤケてくる政治家もまたない、というのが筆者の鳩山一郎観でもある。吉田が官僚派で鳩山が党人派――という対比それ自体には問題はないとしても、鳩山には吉田のような存在感というか、政治家としての個性が一向に感じられないのだ。

 むろん、鳩山が戦中、反東条を貫いた議会人であり、反共の政治家であり、独立後、再軍備を真剣に求めた改憲派であったという事実は否定できない。しかし、そこには良くも悪くも吉田や岸のような強烈な個性、あるいは行動における一貫性・徹底性といったものが感じられないのである。過度の単純化にはむろん問題もあるが、要は万事におけるお坊ちゃん的な鷹揚さ、その反面としての戦いにおける徹底性の欠如、押しの弱さ、といったところだろうか。反共にしても、改憲にしても、そのために周到に戦略戦術を練り、徹底して敵と対峙していくという執拗さが彼には見られないのだ。鳩山由紀夫民主党代表に投げかけられる「ソフトクリーム」という評価に、ある意味では通ずる性格ともいえよう。

 ともあれ、自分は祖父・鳩山一郎の精神を受け継いでいく――と鳩山由紀夫民主党代表は述べている。ならば、その精神とはどのようなもので、それはどのような役割を果たしたのか? また、彼と祖父・一郎の精神はどこが重なり、どこが異なるのか? こんな小論でそうした大問題を論じられるとはとても思えないが、時節柄、筆者なりの「鳩山一郎論」を展開してみることも、そう意味のないことでもないだろう。

 以下、新政権誕生前夜(?)の読み物として、鳩山一郎についての三つほどの「サイド・ストーリー」を記してみることとしたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成21年9月号より抜粋〉

【本稿の主な内容】

 ・反共を掲げ追放へ

 ・脇の甘さは鳩山家のDNA?

 ・反共は「付け焼き刃」

(続きは、『明日への選択』平成21年9月号で読めます)