「龍馬ヒーロー伝説」では分からない薩長連合

「龍馬ヒーロー伝説」では分からない薩長連合

「龍馬伝」でブーム再来の坂本龍馬。不倶戴天の関係にあった薩長の手を握らせ、歴史の流れを創り出したとされるが、連合への元々の意思は薩長両藩の側の方にこそあった。


 

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は内容はともあれ、視聴率は好調なようだ。そんな背景もあり、巷はなかなかの龍馬ブームで、書店などの龍馬コーナーの売れ行きもそこそこだという。この不景気のご時世、慶賀の至りという他ない。

 とはいえ、筆者には少なからぬ違和感もある。龍馬ファンの「受け」をねらう余り、そこで語られる龍馬像がいかにも安易に改変されているかのごとき感なきにしもあらずだからだ。冒頭の「龍馬伝」にしても、筆者はその背景描写も含め、視聴率を意識したいかにも迎合的な脚色が気になってならない。たかがテレビといえばそれまでだが、「歴史」を名乗る以上、それは単なる「娯楽ドラマ」であってはならない。もっと歴史的事実に則した「硬派」を旨とするドラマであるべきなのではないか。

 さて、そんな思いから、ここで取り上げることを思い立ったのが、いずれこのドラマでも山場になるであろう「薩長連合」である。薩長連合といえば、この坂本龍馬が仲介役となって実現した長州・薩摩の「討幕連合」であり、不倶戴天の関係にあった薩摩と長州の手を握らせるという、龍馬の数あるヒーロー伝説の中でも最大のハイライトとなるものだといってよい。これが成ったのは慶応二年一月だが、この連合が成立するや、わずか二年にして幕府は崩壊、王政復古の実現となった。その意味では、まさにこの薩長連合というエポックなしに、明治維新の歴史は語れないともいえよう。

 しかしながら、筆者がここで問題にしたいのは、その薩長連合に対する一般的な理解のあり方である。というのも、先にも書いたように、その立役者は龍馬(あるいは中岡慎太郎)で、その龍馬の、「藩」という小さな発想を超えた日本という「国」への着眼が、まだまだ狭い藩意識に留まっていた桂小五郎(木戸孝允)や西郷隆盛を大きく動かし、討幕へと向かう歴史の流れを創り出していった――とするのがこの理解といえるが、果たしてそれは事実に即した正確な理解なのか、という疑問なしとしないからである。

 とりあえず、ここで指摘したい点は二点である。一つは、龍馬の果たした役割は大きかったにしても、果たして薩長連合そのものは龍馬が主体で、長州・薩摩は単に彼の働きかけを受けて動いただけの受動的存在に過ぎなかったのか、という点。そしてもう一つは、果たして長州・薩摩の二藩は、ここで指摘されるように、簡単に藩意識を捨てて龍馬のいう「日本」なるものに自己を同化せしめたのか、という点である。

 以下、専門家の諸説も参考にしつつ、この問題を考えてみたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成22年3月号より抜粋〉

【本稿の主な内容】

 ・薩摩藩の路線転換

 ・「長州処分路線」の誤りに気付いた西郷

 ・動かされた龍馬

 ・薩長会談・主題は長州の「復権」

 ・盟約の内容は「倒幕」ではなかった

(続きは、『明日への選択』平成22年3月号で読めます)