明治の先人はいかにして「増税」を成し遂げたか

明治の先人はいかにして「増税」を成し遂げたか

日清戦争直後、ロシアの脅威が迫る中、軍備大拡張は国家存立の緊急課題だった。財源に窮する政府にとって「地租増徴」は不可避の選択だったが、それを実現する過程で三代の内閣が倒れる。政策実現の背景にある政治力学を、増税をめぐる政治史に読む。


 

 民主党敗北という予想外の参院選結果により、財政再建の道がますます険しくなったことは否めない。敗因が消費税だったかどうかはともかく、少なくとも政府としては、菅首相が示した積極姿勢にある程度のブレーキをかけざるを得なくなったのは事実であるからだ。

 さて、そこで出てくるのが「政治と増税」という大問題である。この問題を論じようとすれば、われわれの脳裏にはかつての「消費税選挙」における自民党大敗北の記憶がまず浮かぶが、実は話はこのような戦後の話に限られない。戦前にも増税を意図して逆に内閣崩壊に至ったという歴史は幾多あるからだ。明治憲法下といえば、政府にとって増税など思いのままだったのでは、と読者は考えるかも知れないが、実際にはこれが実に大問題だったのである。

 むろん、当時と今とでは時代背景が全く違うし、政府と議会の関係も今のようなものではない。その意味では、安易なアナロジーはもちろん成り立たないのだが、しかしそこには今日の政治にも通ずる興味深い話がそれなりにあるようにも思われる。ここは今日的な文脈を離れ、当時の増税に関わる政治史の一端を垣間見てみることとしたい。

 

◇日清戦争後の軍備大拡張計画

 ここで話の対象となるのは明治二十九年以降、すなわち日清戦争後の戦後経営――とりわけ軍備大拡張計画を受けての増税問題をめぐる藩閥・政党間の攻防である。戦争が終わったにもかかわらず軍備大拡張などというのは、理解しがたい話かも知れないが、ここはかの三国干渉を思い起こしていただきたい。日本が戦争に勝ち、清国の脅威を払拭したと思う間もなく、今度は列強が日本の遼東半島領有に干渉してくるとともに、それを号砲とした中国分割が始まることになったのである。皮肉にも戦勝は日本の安全を保障せず、むしろ列強による新たな脅威を生んだのだ。とりわけわが国にとり、ロシアの脅威拡大は深刻だった。

 以下は時の大蔵大臣松方正義から伊藤博文首相に対し提出された「財政前途の経画に付提議」と題する当時の意見書の一節である。

 「日清戦争の結果、我国俄に強国の一たらんとす。従て宇内各国の猜疑心を増したるを以て、之に応ずるの兵力なかざるべからず。……清国の復酬に対するの兵力なかざるべからず。……欧州列国は既に我国に対する外交の面目を改め、三国の同盟を訂約せり。東洋に浮ぶべき堅艦の建造に着手せんとするの形成あり。『サイベリア』大鉄道の成るは正に五年の内にあるなり。我国軍備の拡張は実に一日も緩にすべからず」

 伊藤内閣(第二次)はこのような情勢認識の下、陸軍六個師団の増設と海軍二十万㌧体制をめざした建艦計画という軍備大拡張計画を打ち出すに至ったのである。財源として考えられたのは増税と軍事公債の発行であった。ただ、この時の増税案は登録税や営業税、あるいは酒税の増税やタバコ専売制の導入が中心で、後に中心的な問題となる地租増徴はまだ対象になってはいなかった。また、内閣には自由党の板垣退助が内相として入閣しており、それによる与党・自由党の協力があることから、これに関わる予算案と増税法案の議会通過はとりあえず可能だった。板垣は以下のように公言していた。

 「今期の議会は実に戦後経営の任務を負いたる大切なる議会なりき。東洋の大勢上より我国の形勢を鑑みれば、軍備拡張は万已むを得ざるなり。従うて国庫の支出を要する事も亦是れ万已むを得ざるなり。果して然らば為めに国庫の収入を計るも亦万已むを得ざるなり。是に於てか、増税新税も亦是れ万々已むを得ざる次第なり」

 とはいえ、これはあくまでも軍備大拡張計画の初期段階における「暫定的一致」にすぎなかった。伊藤は二十九年八月、組閣が思い通りに進まなかったことを理由に辞任を表明。同九月、松方正義がこの伊藤を継ぐことになる(第二次松方内閣)。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成22年8月号より抜粋〉

【本稿の主な内容】

 ・地租増徴へ踏み出した松方内閣の崩壊

 ・野党に追い詰められた藩閥政府

 ・期待はずれの隈板内閣

 ・山県はいかにして野党を従わせたか

(続きは、『明日への選択』平成22年8月号で読めます)