ワシントン会議の教訓からTPPを考える

ワシントン会議の教訓からTPPを考える

TPPは結構づくめの「成長のための枠組み」などではあり得ない

懸案だったTPPは「参加に向けて関係国との協議」に入ることとなった。しかしながら、「アジアの成長を取り込む」「平成の開国」などという能天気な認識は、あのワシントン会議を「平和と国際協調のための協議の場」と捉えた当時の日本と二重写しに見える。


 

 先月中旬、野田首相は懸案だった環太平洋連携協定(TPP)問題に関し、「参加に向けて協議に入る」旨をオバマ米大統領に伝えた。国論を二分させていたこの問題への対応だが、曖昧な表現ながらようやく「決断」だけは示した形となった。

 とはいえ、これで国論の方向が定まったかといわれれば、そんなことはあり得ない。「日本経済の再生のため、アジア太平洋地域の成長力を生かす」と首相は述べたが、しかし実際には協定の輪郭すら未だ充分に明らかにされておらず、多くの国民が抱く疑問や不安に対しても納得のいく回答が与えられていない。「平成の開国」どころか、むしろこの協定の目的は「米国の輸出拡大と雇用創出」であり、実際は「米国の経済に関わる基準」を日本が受け入れ、日本市場における「米国の利益」を守るためのもの――との指摘すら一部では行われている。である以上、交渉参加に向けて舵が切られたことは事実としても、ここは国益を踏まえた腰の据わった粘り強い交渉と、国政の場での更なる議論が求められよう。

 

◇想起されるワシントン会議

 ところで、今回のこのTPP交渉参加をめぐる一連の議論を見ていて筆者が想起したのは、戦前のあのワシントン会議に対してのわが国指導者たちの対応であった(大袈裟と笑われるかも知れないが)。今から見れば、このワシントン会議の本質はアメリカによる「日本封じ込め」をめざす場であったことは明らかだと思われるが、当時の日本にはそうした相手国の意図に関わる認識がほとんどなく、むしろ「平和と国際協調のための協議の場」――という表面的な受け止め方が専らだったといえるからだ。その能天気ともいうべき認識ぶりが、今回の問題に対する推進論者たちの主張と二重写しになってならないのだ。

 「日本がTPPに不参加なら、経済発展に欠かせない枠組みから閉め出されてしまう。早期に交渉に加わり、貿易拡大や新たな成長を目指すのは当然の判断だ」

 「国を開き、アジアを初め世界の成長市場を取り込むのが日本の成長戦略だ。TPPは今後のヒト・モノ・カネの移動を巡る世界的なルールになる。ルール作りに参画できる今を逃してはいけない」

 要はTPPは日本経済発展のための最大のチャンスであり、しかもそれは今後の貿易ルール構築に向けての「乗り遅れてはならないバス」でもある――とする認識だともいえる。とはいえ、問題は果たしてその「バス」そのものが、そのような結構づくめの公正なものなのか、ということなのだ。

 これまでの交渉の歴史を振り返るまでもなく、「原則自由」だの「公正・平等」だのといった、一見もっともらしいスローガンの下で、実際は特定の国の特殊なルールを押しつけられ、ささやかな抵抗もものかは、最後は恫喝ともいえる圧力関係の中で、一方的に相手側の要求をのまされ続けてきたのが、わが国のこれまでの外交だったのではなかろうか。そのどこが「ウィン・ウィンの関係」などといえるのか。

 それだけではない。「先進的な日本のコメ農家は今や中国や米国に負けない競争力をもち、条件さえ整えば輸出すら展望できる実力がある。今こそ日本農業は海外に打って出るチャンスだ」などとする勇ましい主張すら聞かれる。しかし、その成功は果たして一体誰が保証するのか。これは大陸での「特殊権益」など求めずとも、国際協調の下での自由な競争により日本の経済利益は確保できる――とした幣原外交の発想と軌を一にする議論ともいえようが、問題はそれを保証する実際的条件はあるのか、ということなのだ。

 このような歴史的な対比が果たして本質を衝いたものかどうかはともかく、筆者にはこの二つにはどこか重なり合う共通性があるように思われてならない。その意味で、とりあえず今回のTPP参加問題を考えるに当たっての一つの視角提供といった意味も込め、ここではこのワシントン会議に関わる幾つかの事実を紹介してみることとしたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成23年12月号より抜粋〉

【本稿の主な内容】

 ・「日本封じ込め」のための会議

 ・信じられない楽観的認識

 ・「結構づくめの枠組み」にあらず

(続きは、『明日への選択』平成23年12月号で読めます)