昭和恐慌から読み取るデフレ脱却の原則

昭和恐慌から読み取るデフレ脱却の原則

井上準之助と高橋是清の施策にみる「デフレ下の緊縮的政策」の是非

デフレ下では緊縮的政策は断じてやってはならない――これが歴史の教訓だ


 

◇不動の教訓

 過去の歴史との対比というものが、今日の政治・経済的事象を理解する上でどれだけ効果的かは一概にはいえない。しかし、生起する事象の中には、その対比が問題の理解に実に効果的に思えるものが時にはあるのも事実といえる。今、EUではギリシャ危機への対応を巡り、またわが国では既に二十年にもなる経済停滞からの脱却のあり方を巡り、「デフレ下の緊縮的政策の是非」といったテーマが大きな話題を集めているが、これなどはまさにそうした歴史との対比が意味をもつ好例のように思われてならないからだ。

 いうまでもなく、ここで筆者の念頭にあるのは、昭和四年後半から始まった所謂金解禁に端を発する大不況の歴史、そして何よりもその張本人となった井上準之助蔵相と、それからの脱却を図った高橋是清蔵相による対照的ともいえる政策である。ここで問題となるのは、要は「デフレ下の緊縮的政策」といわれるものへの一八〇度認識を異にする対応だが、昨今の内外の状況に関わる報道を見つつ、筆者にはこの二人の対応が背景は異なれ、今日の状況と二重写しになって見えてならないのだ。

 昭和四年七月、政友会・田中義一内閣の後を継いだ民政党・濱口雄幸内閣は、かねてから課題とされてきた金輸出の解禁(以下、金解禁)を、軍縮と並ぶ内閣の最重要課題として打ち出した。金解禁とは読んで字のごとく、それまでの金の輸出禁止措置を解除し、金の国外流出を許すことであり、それはすなわち国際的な金本位制という世界システムの中に日本が復帰することを意味していた。後述するように、それに対応すべく実施されたのが井上準之助蔵相による一連の徹底した緊縮政策であったが(なぜそうなったかも後述)、それはあいにく時を同じくしてウォール街で生起した株価大暴落に端を発した世界恐慌の大波と重なり、まさに「デフレ下の緊縮的政策」、すなわち日本経済をかつてない不況のどん底にたたき落とす典型的な不況促進政策となっていく。当時、この政策に対し、「暴風に向かって窓を開けた」ということがいわれたが、いわば経済的自殺行為といっても過言ではない最悪の政策が実施されたのだ。

 これに対し、この井上の緊縮的政策と正反対のことを徹底してやったのが、その後を継ぎ昭和六年十二月に発足した政友会・犬養毅内閣の蔵相となった高橋是清であった。高橋は蔵相に就任するや即日、この金輸出再禁止の決定を行うとともに、日本を金本位制から離脱させ、これも後に述べるように、逆にデフレからの脱却を第一義とする「インフレ政策」(正確にいえば適度なインフレ状況を創出する政策)へと大胆に舵を切る。結果からいえば、これは崩壊の淵にあった日本経済に対する絶好のカンフル剤となり、不況に陥っていた都市や地方の経済は活況を取り戻し、経済を劇的な回復へと導くこととなる。つまり、彼は井上蔵相がやった「デフレ下の緊縮的政策」というもののまさに逆をやり、デフレには適度なインフレ政策こそが効果的なことを実証して見せたともいえる。

 むろん、今日のEUやわが国が直面する経済的問題は、この井上や高橋が経験した問題とは根本的に異なり、むしろ簡単な対比では抜け落ちる問題の方が多いかも知れない。ただ、そのような留保をおいてもなお、実は筆者にはこの歴史との対比が極めて重大であるように思われてならないのである。対象を日本経済の今日的問題に絞ったとしても、要は「デフレ下の緊縮的政策」というものは断じてやってはならない政策であり、まずは「デフレからの脱却」こそが求められるべき最優先の政策だというこの歴史の教訓は、不動のように思われてならないからだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成24年6月号より抜粋〉

【本稿の主な内容】

 ・金解禁への緊縮政策と世界恐慌

 ・昭和不況の悲惨な結末

 ・井上と真逆の政策を打った高橋

(続きは、『明日への選択』平成24年6月号で読めます)