「日本」は誰のものか?

 4月17日夜、インターネットの動画投稿サイト「ニコニコ動画」の生放送に出演した民主党幹事長の鳩山由紀夫氏は、その番組のなかで、外国人への地方参政権付与は「日本人にとって、どういったメリットがあるのか」との視聴者からの質問に答えて、こう述べた。

 「日本人は自信を失っている。……(外国人に)参政権ぐらいは与える度量の広さを、日本人として持つべきではないか」「アメリカなんかそうでしょう? アメリカの良さは度量の広さ。日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから」

 鳩山氏が外国人地方参政権付与を推進していることは知られているが、この「日本は日本人だけの所有物ではない」発言には、参政権問題に止まらない批判が殺到した。このサイトに書き込まれたコメントが一週間で四万件を超え、そのほとんどが鳩山批判だったという。

 これまでも素っ頓狂な発言をして、「宇宙人」と評されたこともある鳩山氏だが、こんな発言をして恥じない人物が幹事長を務める政党が政権をとることの恐ろしさを感じる。

 

 この鳩山氏の発言を読みながら、ある方からこれとよく似た言葉を聞いたことを思い出した。今月号の「NHK史観に異議あり」で取り上げた番組には台湾の日本語世代の方々が登場したが、そのお一人である蔡焜燦さんのことである。蔡さんは小生も日本で何度かお会いしたり、台湾で大変お世話になったことのある台湾の実業家である。その蔡さんの著書『台湾人と日本精神』にはこんな一節がある。

 「“日本”は、あなた方現代日本人だけのものではない」

 このあとに「我々“元日本人”のものでもある」と続く。むろん、「元日本人のものでもある」と言っても、鳩山氏の言う「所有物」とか「参政権」とはまったく違う話である。蔡さんのいう「日本」は、いわば「歴史的共同体としての日本」とでもいうべきもので、戦前に日本人として教育を受け、戦中は日本人として戦い、戦後も「日本精神」に誇りをもつ「元日本人」も、その「日本」という歴史的共同体の一員なのだ。その意味で、「日本」はいま生きている日本人だけのものではない――という意味であろう。

 

 果たして、「日本」はいま生きている日本人だけのものなのか。亡くなった父祖たちはどうなのか。二百四十六万余の英霊はどうか。さらには、これから生まれてくるであろう日本人はどうか……。やはり、彼らもこの「日本」の一員である。

 むしろ、今生きているわれわれは、そうした人々が額に汗し血を流し築いてきた「日本」という遺産の中に生まれてきたとも言える。思いつくままに挙げても、道路や鉄道といったインフラ、田畑や森などの国土に止まらず、日本語という言語も、もの作りの技術や思いやりの心も、決して今生きている日本人だけがつくったものではない。そうした遺産をわれわれは専ら享受しているだけとさえ言えよう。まさに「日本」は、いま生きている日本人だけのものではない。

 

 極めて素朴ではあるが、こうしたセンスこそ保守と言われる考え方の基礎となるものではあるまいか。こう考えれば、「参政権」という言葉にも、単なる一票を投じるというだけでなく、より深い意味を見出すこともできる。外国人参政権問題も根本的な意味ではこうした視角から論ずべき問題だと言えよう。政権交代問題も同様である。

 イギリスの小説家で批評家でもあったチェスタトンは「われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシャ人は石で投票したというが、死者には墓石で投票してもらわなければならない」と書いている。むろん、亡くなった先祖は声をあげて主張するわけではないし、一票を投じることもできない。ならば、今生きている日本人が、亡くなった父親ならどう考えるだろうか、こんなことになったら英霊に申し訳ないのではあるまいか――という思いをもって、総選挙に臨みたいものである。〈日本政策研究センター所長 岡田邦宏〉

〈『明日への選択』平成21年5月号〉