「近代化論教科書」検定合格の波紋

 韓国で教科書問題が起こっている。高校の韓国史教科書は、数年前から日本とよく似た検定制度が導入されていたが、今年8月末にニューライトと呼ばれる学者たちが執筆した「教学社版」歴史教科書が検定に合格した。それを巡って、歴史学者や教員組合などが抗議や検定取り消しを求めているというのである。

 この教学社版のどこが話題になっているのかというと、報道によれば、北朝鮮の核開発問題や人権問題を取り上げていること、それともう一つ、日本の統治時代について「植民地近代化論」を取り入れて記述している点だという。この教科書が邦訳されているわけではないので、記述そのものは紹介できないが、日本統治を全面否定するのではなく、日本時代にインフラが整備されるなど韓国近代化が進んだという記述をしていると報じられている。

 

 これまで韓国の歴史教科書は、日本とは戦争をしたわけでもないのに日本による統治を「侵略」と表記し、「抑圧と搾取」だけの暗黒時代として描いてきた。インフラ整備にしても、すべて日本人による朝鮮収奪のために作られたものだと記述してきた。

 こうした歴史観は「植民地収奪論」と言われるもので、この他、韓国は日本の影響で近代化したのではなく自身の力で近代化した内在的発展論、近代化の萌芽は併合前からあり、日本の侵略がなければ朝鮮はもっと発展していたはずだとする資本主義萌芽論などと併せて、いわゆる民族主義的歴史観と言われるものが、韓国史教科書のベースとなっていた。

 これに対して、経済史を中心にした実証的な研究に基いて、朝鮮の近代化は日本時代にはじまり、現代韓国につながる資本主義的基礎もこの時代に形成されたというのが植民地近代化論である。それゆえ、近代化論を唱える人たちは、植民地収奪論などは実証に耐えないものと批判し、例えば、李榮薫ソウル大教授などは、教科書が描いている朝鮮総督府の土地調査事業による土地の収奪やコメの収奪などは事実ではなく、戦後の教育で作られたものだと批判している。

 これまで民族主義史観の教科書を支持し、かくばかり日本は残虐だったと教えてきた勢力からすれば、対立する歴史観に立ち、しかも日本統治の評価にもつながりかねない歴史観に沿って書かれた教科書が政府の検定に合格したわけで、たった1冊とはいえ、危機感を抱いた韓国左翼が騒いでいるのも肯ける。

 

 また、日本とも無関係ではない。例えば、日本の教科書は総督府の行った近代化のためのインフラ整備などについてはほとんど触れてこなかった。近代化の一環としての土地調査事業を記述する教科書もあるが、その結果、農民が土地を失ったなどと側注を入れざるを得ないのが実情である。

 韓国からのクレームに配慮した教科書執筆、検定ということなのだろうが、当の韓国において、そうした収奪論を否定した近代化論に沿った教科書が検定に合格したというのだから、わが国の歴史教科書の検定にも少なからぬ影響があろう。

 

 そもそも、こうした近代化論は学術の世界では一つの流れとなりつつあると言える。日本時代の工業化が韓国経済の形成に決定的役割を果たしていることを実証したハーバード大学のカーター・エッカート教授の『日本帝国の申し子』や、李榮薫ソウル大学教授の『大韓民国の物語』など邦訳されている著作もある。

 最近邦訳された『「日本の朝鮮統治」を検証する』(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー)は、英語論文の世界でも民族主義歴史観を排した実証的な研究が数多くあることを教えてくれている。アキタ教授は、そうした研究を踏まえ、朝鮮系の学者が主張する「史上最も残虐だったとして知られる日本の植民地支配」像を否定し、日本の政策は「穏健だった」と結論づけている。

 むしろ、そうした学術研究が日本の教科書記述に反映していない方が不思議ではあるまいか。来年には中学校歴史教科書の検定が行われるが、一部とはいえ、韓国の歴史教科書の方が日本の歴史教科書よりも日本の朝鮮統治を実証的研究に基づいて積極的に評価しているなどということのないように願いたいものである。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

 

〈『明日への選択』平成25年10月号〉