食育・食の崩壊と家庭⑤ 家族における「食事の思想」

 小児科医で、神戸大学教授の根岸宏邦さんが最近出版した『子どもの食事』(中公新書)という本を読んだ。「家族の絆」としての食事や食文化の大切さに光をあてたユニークな本で、ぜひ一読をお勧めしたい好著でもある。

 
◆食生活の劇的な変化

 ここで根岸さんは、この四十年間に日本人の食生活が決定的に変化したということを述べている。例えば、パン食が増え米食が減ったという変化のほかに、家庭の食料支出額がどう推移したかということを、一九六三年を基準に、八五年、九四年との比較で明らかにしている。

 まず、過剰な摂取が子どもの病気やキレる原因になっているという「ジュース類」への支出は、八五年が六三年の七倍弱、九四年が八倍超となっている。またジュースと同類の「菓子類」への支出は、八五年が六三年の四倍強、九四年が五倍強となっている。

 一方、料理の必要のない「レトルト食品」への支出は、八五年が六三年のほぼ十倍、九四年は十五倍近くにものぼる。また、「外食」への支出は、八五年が六三年の十倍超、九四年は十三倍超と増大の一途を辿っている。

 こうした数字は、料理に手を抜く母親が増えていることや生活習慣病に罹る子どもが増えている最近の傾向を裏付けている。

 
◆食事が問う「家族」

 しかし、根岸さんがこの本で指摘しているのは、そうした栄養学的な問題に留まらない。もっと本質的な、食事が人間にとって本来どのような意味をもつのかということを問うているのだ。例えば、それはこんな例で説明される。

 「母子の相互関係や心理的な面でも、母乳哺育はきわめてよい影響を与えると考えられています。しかし、これは母乳の乳汁そのものがよい影響を与えるのではなくて、お母さんが赤ちゃんをだっこし、その目をみつめながらときには歌を歌ったり、あやしながら自分のおっぱいを飲ませるという、そのような哺乳行動による母と子の結び付きがよい影響を与えるということなのです」

 つまり、食事は単に空腹を満たす手段ではないというわけだ。根岸さんは更に突込んでこう問いかける。

 「元・八王子少年鑑別所主席専門官の吉岡忍氏は、『家族と一緒の楽しい食事風景を思い出せない受刑者も多く、食卓には家庭の問題が直接反映している』と述べています。心身の疲れを癒す家族の団欒や食事の時間をもう一度見つめ直す必要があると思います。戦後我が国が急速に発展してきた中で、欠落していたものは家族というものに対する考え方ではなかったかと思われます」

 つまり、食事は家族の在り方に欠かしてはならない、極めて重要なファクターなのだ。

 「一つの家族が一つの食卓を囲み、母親やあるいは父親がそれぞれの食器に食物を取り分けることは、一種の分配行動ではありますが、それは単に食物だけを与えるのではなく、相手の身になって食物の量とか相手の好きな部分を与えるといった、心を分かち合うという面も持っています。……ともに食べるということは集団を形成するうえで基本的なことであり、食卓を囲むということはコミュニケーションの手段であり、その集団に対する各個人の帰属意識や連帯感、一体感を形成していくものと考えられます」

 
◆出張のお父さんには「陰膳」を

 しかし、「そうは言っても、仕事が忙しくてとても……」という人が最近は多いかもしれない。そういう人は、次の言葉をよく聞いてほしい。

 「食事における我が国の……習慣として『陰膳』とか『お供え』という習慣があります。……先祖に対するお供え、供養としてその日の食事の一部や、あるいはお盆やお彼岸などに食物を供える……出張中の父親やあるいは単身赴任をしている家族のため、あるいは都会に遊学をしている兄や姉のために、食事の一部を椀や皿にとって陰膳として食卓に置くといった風習のある家族もあります。きわめて少なくなっているとは思いますが、我が国における非常に美しい、心のこもった風習だと思われます。
 昨今のように父親が単身赴任の家庭が増えたり、そうでなくても帰りが遅く夕食を家族と共にできない父親が増えた家庭において、『これはお父さんの分よ』と幼児に言って聞かせて一部をとっておくことにより、実際にはそこにはいない家族ではあるけれども、共に食事をするという喜びと意義を子どもたちの心の中に作り出すことができるのではないかと思います。それは家族の連帯というものを生み出し、子どもたちの心の中に自分たちの背後には常に家族の支えがあるという安心感を生じさせるでしょう」

 一度、家庭で試してみてはどうだろうか。

〈『明日への選択』平成12年12月号〉