「不健全な社会」が「歪んだ経済」を生む

 中国で起こった「女児ひき逃げ事件」がインターネット上で話題になっている。十月十三日、中国の広東省仏山市で二歳の女の子が車にひき逃げされたのだが、その直後に通りかかった十八人が助けようとせず、結局は死亡してしまうという何ともむごい事件である。ネット上にはその映像が流れているが、見れば寒気がする。

 さすがの中国でもこの事件を巡って社会道徳の崩壊を嘆く声があがり、中国共産党の機関紙・人民日報も「文明社会の公民の責任にも関わる問題だ」と道徳意識の向上を求めた。しかし、その一方で関わらない方がよいという意見もあるのだというのだから驚かされる。

 五年前に南京市のバス停で転倒してけがをしたおばあさんを若い男性が善意で病院に連れて行ったところ、逆にそのおばあさんが「この男に突き落とされて骨折した」と主張され、損害賠償を払わされるという事件があった。だから、「善意を逆手にとられてしまうような社会だから関わらない方がましだ」というのである。今回の事件とまったく逆のケースと言えるが、二つの事件からは共通して中国において社会的信頼、人と人との信頼関係が決定的に崩壊していることがうかがえる。

 「社会的信頼」と言えば、十数年前に米国の政治学者フランシス・フクヤマが書いた『トラスト(信頼)』(邦訳書名は『「信」なくば立たず』)を思い起こす。記者の勝手な理解だが、そのなかでフクヤマは、どの国の経済活動もその根底には独自の「道徳社会」「社会的信頼」というものがあり、それが経済活動を左右すると書いている。

 フクヤマは「クリーニング屋の経営から最先端のマイクロプロセッサーの生産に至るまで、実質的にすべての経済活動は、個人ではなく、高度な社会的協調を必要とする組織によって運営されている」と言い、「しかし、この組織を形成する能力は、どんな道徳社会がそこに存在するのか、つまり、道徳をめぐる暗黙のルール、あるいは、社会的信頼の基盤をなす規範がどのようなものであるかによって左右される」と指摘した。

 つまり、経済活動のパフォーマンスは、その国の「道徳社会」や「社会的信頼の基盤をなす規範」のあり方によって決まるというのである。言葉を換えて言えば、「不健全な社会」の上には「歪んだ経済」しかできないということでもある。

 中国は日本を抜いて世界第二の経済大国となった。しかし、瀕死の子どもを見ても、助ければ逆に訴えられるかもしれないから知らぬ振りをするような、信頼が根底から崩壊した社会のうえに実現した経済とは一体いかなるものなのか。そこにあるのは、決して「高度な社会的協調を必要とする組織によって運営されている」まっとうな経済ではなく、権力などを利用して自己の利益だけを追求した一部の大金持ちとそこから排除された無数の労働者や農民がうごめく無秩序経済と言えるのではあるまいか。

 一方、その経済活動が経済的利益の最大化だけを目的とすれば、経済活動の基盤となる社会自体を壊す危険性があることも指摘しなければならない。

 わが国では、いまTPP(環太平洋経済連携協定)への参加を巡る論議がピークを迎えている。そこで強調されているのは、もっぱら関税などの規制を外すという市場経済のメカニズムである。その一方、市場経済がフクヤマの言う「社会基盤」やそれを壊す危険性についてはあまり論じられていない。経済活動の眼目は経済的利益の追求にあるのだが、しかし、中国のように健全な社会がなければ経済成長は空しいものとなるということを忘れてならないと思う。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成23年11月号〉