サンフランシスコ講和条約を知らない日本のマスコミ

 「日米関係は、危険水域に入りつつあるのではないか」

 毎日社説(3月3日)はこのように指摘する。いわゆる「歴史摩擦」ともいうべきものが、日米同盟の基盤にかつてない深刻な亀裂を生じさせている、というのだ。

  これがどの程度深刻なものかは論者によって見解は異なろうが、筆者も由々しきことだとの認識では一致する。関係者による誤解解消のための努力は喫緊の課題であろう。

 しかし、当然のことながら、そのやり方については、筆者の立場は毎日社説とはその見解を根本的に異にする。以下、その点を簡単に述べてみたい。

  まず毎日社説は以下のようにいう。

 「日米同盟の土台は1952年発効のサンフランシスコ講和条約だ。日本はA級戦犯の戦争責任を東京裁判受諾で受け入れ、戦前の日本と一線を画す国に生まれ変わることで、世界に迎え入れられた。……太平洋戦争をめぐる歴史認識は、そうした戦後国際秩序の前提であって、日米同盟の基盤である。それが揺らげば同盟も揺らぐ」

  無批判に読めば、そのまま納得させられてしまいそうな指摘だが、実はここには致命的な間違いがある。まず第一は、「日本はA級戦犯の戦争責任を東京裁判受諾で受け入れ」とあるが、サンフランシスコ講和条約第11条にある「裁判受諾」は、本来ならば占領終了とともに全てが終りとなる戦犯に対する刑の執行を、連合国に代わり日本に引き継がせるための規定で、それ以上のものではないということだ。「戦前の日本と一線を画す国に生まれ変わる」などということとは何の関係もない。

 ゆえに、第二に、この「裁判受諾」は東京裁判の「歴史認識」の受諾などでは全くないということだ。例えば、東京裁判には明らかに事実と異なる判断(例えば、日本のソ連侵略等)が多数含まれているが、そんな荒唐無稽なものを日本がそのまま是とせねばならない理由はない。また、そもそもこの「裁判」には東京裁判のみならず、各地で行われた戦争裁判の全てが含まれる。それら全てが示した雑多な「歴史認識」を全て受け入れるなどということは、そもそもできることですらない。要は日本は独立の代償として、裁判の「効果」だけを受け継ぎ、刑執行の続行を約束したということだ。

 にもかかわらず、毎日社説は日本はこの条約で東京裁判の「歴史認識」を受け入れ、それが戦後国際秩序の前提となり、日米同盟の基盤となった、とまでいう。これは毎日社説だけの誤りではないが、自ら著しく日本の国益を損なう認識だといわなければならない。

 その意味で、毎日社説のいう解決策にも異を唱えなければならない。誤った認識に立つ解決策は、残念ながらこれもまた誤っているといわねばならないからだ。

 毎日社説が示す解決策は以下のようなものだ。

 「侵略と植民地支配を明確に認め、過去の反省に基づく理念で世界と協調する道を歩む決意を示す。侵略という言葉を使った村山談話、従軍慰安婦の河野談話を見直す考えのないことを明言し、中国、韓国との歴史対立解消の道筋を探る。/靖国神社には再び参拝せず、A級戦犯の戦争責任を受け入れ、日本人自身による戦争の総括と慰霊の観点から、戦没者追悼の新たなあり方を国民的な議論にかける」

  こんな主張はサンフランシスコ講和条約の内容とは何の関係もない。後の日本人が勝手に言い出した主張にすぎない。ということは、こんなものは「戦後国際秩序の前提」では全くないし、「日米同盟の基盤」でも全くないということでもある。むしろ、サンフランシスコ講和条約では「侵略」という言葉は意図的に排除されているし、連合国の「歴史認識」を押しつけるような言葉もない。そのような戦争中の対立的なもの一切を超え、「和解と信頼」を実現すべきだ、というのがこの条約の趣旨だったのだ。※editor註/詳細は、伊藤哲夫著『憲法かく論ずべし』を参照されたし。

 「戦後国際秩序」はこうした「和解と信頼」の土台の上に築かれたものだ。にもかかわらず、もう一度東京裁判の歴史認識に立ち返れなどというのは、もう一度ポツダム宣言・カイロ宣言という戦時中の一方的な認識にまで立ち返れというのと同様で、これはむしろ中国の主張だという他ない。

 果たして毎日社説はそれが進むべき道だというのだろうか。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

 

〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン 平成26年3月13日付より転載〉