河野談話「見直しせず」発言をどう考えるか

 河野談話の「見直し」は行わない、との安倍首相の言葉に落胆された読者は多かったに違いない。外交の難しさはわかるものの、いつか首相は談話「見直し」に踏み出してくれる、と首相を信じていた読者が恐らく大半だったと思うからだ。もはやそうした期待は一切絶たれてしまったのか?

 しかし、これに対し、筆者は未だ「首の皮一枚」は残っていると主張したい。首相は談話の作成経緯に関わる「検証」はやると述べており、そうだとすればこの「検証」の結果により、談話の「実質見直し」にまでつなげていくことは、今後も充分可能だと考えるからだ。理由は以下の通りだ。

  まず結論からいおう。実は河野談話は慰安婦「強制連行」を認めてはいないということだ。そんなバカな、と思われようが、まずはお聞きいただきたい。ということは、その事実をこの「検証」作業により、もっと明確なものにしていくことができれば、「実は河野談話の本当の意味はこうだ」という話にもっていくことができ、日本軍による慰安婦「強制連行」という内外からの誤解に反論していくことができる、ということだ。

 いやそんなことはない、という反論がすぐさま出てこよう。河野談話といえば「強制連行を認めた文書」というのが、マスコミも含めた一般の認識であるからだ。しかし、そうなっているのは、そのようにこれまで報道されてきたからであり、実は政府はそこまでは認めてはいない、というのが事実なのである。談話にある「官憲等がこれ(強制募集)に加担したこともあった」とされた部分は、実はインドネシアで陸軍の一部軍人がオランダ人捕虜の女性たちを数ヶ月、強制的に売春宿で働かせたという犯罪に関わる特殊ケースであり、それ以外で、とりわけ朝鮮半島でそのようなことがあったと認めたものではない、というのが余り知られてはいないが、政府の担当者の説明であるからだ。

  つまり、政府の立場は、あくまでも「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」というものであり、それが安倍内閣の公式の立場なのである。いや「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」と談話にはあるではないか、と疑問を呈される向きもあろう。しかし、ここでの主語は実は「業者」となっており、「軍や官憲」がやった、とは書かれていないのだ。

  むろん、「強制的」という言葉もあるではないか、とする反論もあろう。しかし、これについては貧困等、慰安婦は「本人の意思に反して」集められたケースが多いことから、この言葉はあくまでもそうした背景事情を受けてのものだ、との答弁もある。つまり「強制連行」を事実として認めたものではない、ということだ。

  いうまでもなく、ならばなぜこんな誤解のされやすい言葉が使用されたのかといえば、その背後に「強制連行」は認められないものの、韓国との関係を何とかしたいという外交配慮があったからだ。このような文書を出してくれれば、この問題は終わりにする、との韓国側からの話があり、日本側はそれを受け、かかる文書を発表することになったのだ。しかし、結果的にいえばこの善意は裏切られ、それどころか今度はこの談話をタテに、もっとエスカレートした極端な主張が唱えられることになっているのが実態でもある。

 ということは、「検証」という名で、こうした経緯をもう一度総ざらいし、実際には何があったかを明らかにすることは、事実上河野談話を見直すにも等しい意味をもつということだ。「見直し」などと固く構えなくとも、事実を示すことで誤りを正していくことはできる。反転攻勢につながる意義ある「検証」を期待したい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

 

〈『明日への選択』平成26年4月号〉