「地域主権」はなぜ問題なのか

「地域主権」はなぜ問題なのか

かくも違う「地方分権」と「地域主権」


 

 鳩山政権が「改革のための一丁目一番地」と位置づけた「地域主権改革」だが、先日閉会となった国会では、そのための地域主権改革推進法案が継続という結果になった。新政権の成立により急回復した支持率が高止まりしているうちに選挙を――という参院民主党のなりふり構わぬ声に押され、かつてない「強行閉会」という暴挙となった結果、他の重要法案ともども今国会での成立が「見送り」になったからだ。

 とはいえ、廃案になったわけではない。法案は継続となり、今度は臨時国会での成立が目指される。既に参院は通過しており、残るは民主党絶対多数の衆院。参院選の結果はいかにあれ、自民党を始めとする野党が特段の抵抗にでも出るのでない限り、大した議論もなしに成立、といった展開すら予想される。法案の技術的な中身はともかくとしても、「地域主権革命元年」とまで民主党が入れ込むこの「地域主権」という言葉の意味を考える時、われわれとしてはとても無関心ではおれない。

 むろん、かつての男女共同参画社会基本法と同じく、「地域主権」という言葉に格別の関心をもたなければ、これは単なる「地方分権」の徹底推進をめざす普通の法案――といった見方も成り立つ。しかし、民主党はここでも指摘したように、あえてこの言葉にこだわり、「革命」をさえ名乗っているといえる。ならば、その真意はどこにあるのか。その真意を問題視し、その意味について改めて考えてみようとする時、われわれとしてはそこに内包された「特殊な意味」について論じないわけにはいかないのである。

 その意味で、この法案が今後どうなるかはともかく、この法案に対する率直な問題点の指摘は何としても必要だろう。何とはなしに見過ごしてしまった言葉が、その後重大な意味をもち始めるといった事例はこれまでにも度々あった。われわれとしては、これを国家解体勢力が国家に差し向けた「トロイの木馬」とするわけにはいかないのだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

 

〈『明日への選択』平成22年7月号より抜粋〉

【本論文の主な内容】

・曖昧化される意味

・ベースは松下理論

・言い逃れできない国家否定の論理

・こんな空想は否定し「国家」を肯定せよ

 

(続きは、『明日への選択』平成22年7月号で読めます)