念押ししたい「河野談話検証報告書」の意義

念押ししたい「河野談話検証報告書」の意義

談話の中身は「河野氏の嫌味なキャラクター」とは別のもの


 

 今回の番組では、先日に出された河野談話の作成経緯に関わる政府の検証報告書についての小生の感想を述べさせていただいた。述べたいことはおおむねそれに尽きているのだが、ここでは念押しをかね、少々補足をすることにする。

 検証報告書を読んでまず感じたのは、日本政府のため息が出るほどの弱腰と、一方、日本政府に要求するばかりで、その反面、いったことをすぐに覆して恥じない韓国政府の一貫した「首尾一貫性のなさ」であった。言語矛盾だといって笑われそうだが、まさに韓国政府においてはこの首尾一貫性のない姿勢が、終始一貫していたのである。

 保守派の中にはこの報告書を物足りないとする声が多いようだ。しかし、これを虚心に読めば、まずこの事実が強く印象されて、まずこの談話というものが、韓国政府の執拗ともいうべきおねだりに始まり、それに対しそれを毅然と拒否できず、いわれるままに応ずるしかなかった日本政府の「一方的譲歩」の結果であったことが、広く明らかになるのではないか。つまり、この妥協が問題であることは当然としても、河野談話というものはそうしたやりとりの中で作成された「その程度のもの」だったということだ。

 その意味で、この談話に示されているのは妥協のための「取引結果」に他ならず、事実を公的に認定した文書、という形はとっているものの、ここに示されているのはあくまでも「政治的認識」であり、そうした政治的性格のものに留まる、ということなのだ。とすれば、その本質をもっと世界に対してアピールしていくことが必要なのではないか。

 幸い、この報告書では日本政府が最後まで「強制連行」を事実とは認めていなかったことが明らかにされており、その意味ではこうした主張を展開していくための最低限の基盤は確保されることになった。談話は韓国との対立を緩和するための宥和策として発表されたものであり、それと歴史的事実は別のものだ、とこれからはいうべきだ。

 一方、こうした日本政府の善意にもかかわらず、韓国政府は一時的には談話を評価したものの、今は更にエスカレートした極端な反日要求に立場を変えている。ならば日本政府も、単なる沈黙、単なる妥協に留まっているのではなく、韓国政府がこれからもそういう姿勢を改めないのなら、日本政府は事実に関しては明らかに真実を発信していく、と宣言すべきなのだ。そのための牽制というか、まずはジャブとしてこの報告書が出たと考えれば、あながち物足りないとのみ評価するものではないのではないか。

 もう一点付け加えておけば、「河野談話」という名称である。番組でも強調しておいたように、談話はきわめて妥協的なものとはいえ、最低限「強制連行」は事実ではないという日本政府としての姿勢を守っている。にもかかわらず、河野氏は談話発表後の記者会見において、強制連行の有無の認識について記者から問われ、「そういう事実があった」と無責任に答えてしまったのだ。これがその後独り歩きすることになり、河野談話といえば強制連行を認めたものとされ、日本政府も強制連行を認めているではないか、といわれる根拠となってしまったのだ。

 幸い報告書ではこの事実が明らかにされた。われわれとしては今後、このことを声を大にして発信していく必要があるのではなかろうか。つまり、「河野談話」とはあるが、それは事務当局が妥協という枠の中でも、注意深く最低限の線を守って作成した文書であり、実は河野氏の嫌味なキャラクターとは一応別のものなのだ、ということだ。その意味では、「河野」という名称が必要以上に悪いイメージを与えているのであり、これからは「慰安婦談話」、あるいは「いわゆる河野談話」と呼ぶことを提案してみたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン平成26年7月3日付〉