暴走するメディア

 安倍政権が進める安保政策の歴史的転換に対して、一部のマスメディアが「明日にも戦争になる」式の反対論を連日展開している。

 社説や記事、解説番組だけではない。採用の偏向が指摘されている投書欄はむろんのこと、社会面や文芸欄の片隅にも反対論の毒は仕込まれている。朝日新聞で言えば、歌壇も俳壇も川柳欄も反対一色と言える。集団的自衛権問題に関する閣議決定翌日の川柳欄は「さて閣下あとは開戦待つばかり」「軍隊と名前を変える自衛隊」「戦前へ歯車逆転始める日」「今夜眠れぬ人幾人ぞ」などの投稿で埋め尽くされた。むろん、そうした川柳だけを編集サイドか選者が選んだということであり、その選択がメッセージだと言える。

 同じ朝日新聞で言えば、社会面にある「集団的自衛権を問う」というコラム。毎日のように歴史学者から小説家、俳優、マンガ家……といった人たちの反対論が登場するが、とんでもない内容のものも多い。

 「集団的自衛権って、自衛隊が同盟国のために海外で戦うことなんですか。正直、難しいことはよく分かりませんが、報復されるだけなんじゃないですか。/『集団』っていう響きも嫌ですね。集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないとたたかれる。自分で正しい判断ができなくなるでしょ」(六月二十六日。漫画家・蛭子能収)

 ばかばかしくて反論する気も起こらないが、「集団的自衛権」問題を考えるに当たって、この発言を掲載する意味がどれほどあると朝日新聞は言うのだろうか。しかも、見出しは「手出せば倍返しされる」。集団的であれ個別的であれ、「自衛権」はあくまでも「自衛」であって、こちらから「手を出す」ことを前提としていない。そんな自衛権の意味をねじ曲げたウソをマンガ家の個人的感想としてさらりと語らせたというのであれば、あくどいプロパガンダと言うべきだろう。

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 政治家の発言にも、このマンガ家と同レベルのものがある。「集団的自衛権を本気で議論すると、徴兵制までいってしまいかねない」(加藤紘一・東京新聞五月三日)、「集団的自衛権の行使を認めてしまえば、自衛隊に志願する人はいなくなってしまうのではないか。……徴兵制ということが必ず出てくるであろう」(古賀誠・『世界』七月号)などという、自民党幹事長OBの発言である。発言した人物が人物だけに反論の必要もあまり感じないのだが、これは軍事の常識も世界の現実も知らないデマ発言と言える。

 そもそも、いま先進国(OECD加盟国)のなかで、韓国とイスラエルを除けば、徴兵制をとっている国はない。NATO(北大西洋条約機構)諸国はすべて徴兵制を廃止もしくは停止している。最後まで徴兵と老人介護などの社会貢献活動との「選択制」をとっていたドイツも二〇一一年に全廃した。

 理由は簡単で、一九八〇年代から軍事技術の革新が進み、先進国の武力行使は訓練を受けたプロ集団によって遂行されるようになったからである。短期訓練だけの、いわば「素人」の徴兵では現代戦を戦えないというのが二十一世紀の現実であり、既に徴兵の時代は終わったと言われている。

 しかも、NATO諸国が徴兵制を廃止・停止したのは、実際に九・一一テロの後に集団的自衛権を行使し米国とともにアフガニスタンでタリバン攻撃に参加した後のことである。古賀氏や加藤氏の言う通りであれば、NATO諸国は続々と徴兵制を導入することになるはずだが、現実はまったく逆だったのである。

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 事件や事故の際、マスメディアの記者が多数押しかけ、当事者や家族などに強引な取材をすることを「集団的過熱取材」(メディアスクラム)と言うが、いま起こっているのは、国民に誤った記事や情報を強引に垂れ流す「集団的デマ報道」とでも言うべき事態である。

 嫌いな歌でも毎日聞かされていれば自然に覚えてしまう。ウソやデマであっても、毎日報じられれば、一種の空気を作り出す。表現や言論の自由を盾にして、毎日のように流されるデマやウソが国家の将来を危うくする。中国だけではなく、メディアの暴走の方も要注意である。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成26年8月号〉