ヒトラーの「侵略の道」をなぞる習近平の中国

 弊誌『明日への選択』9・10月号において、ヒトラーによるオーストリアとチェコスロバキアの併合について書かせていただいた。その領土拡張のあり方が、まさに現在進行中の中国による対外拡張戦略と瓜二つに思えてならなかったからだ。詳細は拙稿に譲るとして、ここでは三点ほどポイントとなる視点を指摘したい。

 第一は、チャーチルが第二次大戦後、その著書『第二次世界大戦』で指摘した視点である。彼はその中で、この大戦を「無益な戦争」と呼び、これほど避けることが容易だった戦争はかつてなかった、と書いたのである。イギリスやフランスがもっと早くからヒトラーの危険性を見抜き、それに対して断固たる対決の姿勢を示していたならば、ヒトラーは自らの領土拡張の野心に対する「壁の厚さ」を認識し、結果としてこの大戦も回避されていたに違いない、というわけだ。そうした視点から、チャーチルはこの著書の第一巻・第一章を「勝者の愚行」と名付けたのである。勝者とは第一次大戦の勝者、すなわちイギリスやフランスのことだ。

 第二は、ヒトラーが実際にやったことである。彼は『わが闘争』の冒頭、ドイツはもっと「生活圏」をもたなければならないとし、ポーランド、白ロシア、ウクライナへの領土拡張願望を表明していたが、そのための前段として、まずオーストリア、そしてチェコスロバキアの併合を企図。実際にそれを実現してしまったのである。拙稿ではその道筋について書かせていただいたのだが、実は書きながら、改めてこれは今中国がこの東アジアでやろうとしていることではないのか、と感じざるを得なかったのだ。

 オーストリアはドイツ人による国家で、実はオーストリアの中にもドイツとの合併を主張する声は強かった。その意味では、台湾の存在がこのオーストリアに当たるともいってよい。一方、チェコスロバキアはわが沖縄だともいえる。チェコスロバキアはオーストリアとは異なり、ドイツ人国家ではなく、また工業化も進んでおり、百万を越す国防軍も有していた。ヒトラーはまずオーストリアのみが関心の対象であるように見せかけ、それが成功するや、今度は豹変してチェコスロバキアに襲いかかったのだ。

 それだけではなかった。チェコスロバキアの併合が成功するや、今度は即座にポーランドに向け牙を剥き出しにする。これは比較でいえば西太平洋ということになろう。

  第三は、有名なミュンヘン会議についてである。ヒトラーがチェコに狙いを定めた時、さすがに欧州でも危機感は高まった。チェコが簡単に屈するとは思えなかったし、フランス、イギリスがそれを座視するとも思えなかったからである。である以上、ヒトラーが併合を強行すれば、それは欧州大戦の引き金になりかねない。すわ戦争だ、との声が欧州中に高まったのだ。その時に調停に名乗り出たのが英首相チェンバレンであったが、その調停のあり方が戦争回避を願うあまり、余りにもヒトラーに宥和的で、結果的にヒトラーの言いなりになってしまった、ということである。

  比較でいえば、米国が中国との対決を避けたいがために、日本に沖縄の割譲を求めるようなことをやった、ということでもある。しかし、問題なのは、それを当時の英国世論は全面的に支持し、チェンバレンを「平和の使徒」とすら持ち上げたのだ。

 むろん、それで欧州大戦が回避されたならば、文句はなかったかも知れない。しかし、結果はヒトラーを更につけ上がらせ、ついでポーランド侵略となり、そして第二次世界大戦となっていったのである。「宥和外交」と「平和主義世論」の限界というものを、今なお雄弁にわれわれに語りかけてくれる題材だといってよい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン平成26年10月9日付〉

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