衆議院解散の「大義」を考える

 マスコミが「大義なき解散」などと批判するのには失笑を禁じ得ないが、確かに今回の解散にはわかりにくいものがある。これをどう受け止めるべきなのか。

 この解散がいよいよ間違いないという話になった時、筆者の脳裏にたまたま浮かんだのは、『サッチャー回想録』の中にある以下のような印象的な一節だった。

 「マスコミが好む合言葉『Uターン』を息をつめて待っている人たちにいうことはただ一つ。『もし逆戻りしたかったら、そうしなさい。彼女は逆戻りしないから』。私はこれをあなたたちだけでなく海外の友人にも、友人でない人たちにも伝えます」

 これはサッチャー元首相が、彼女の改革に執拗にブレーキをかけようとする守旧派に対し語った言葉である。彼女は同時に、「自分はこれを野党の政治家に対してだけでなく、政府内の同僚にもいいたかった」と回想している。今回の安倍首相の心中を忖度しつつ、なぜかこの言葉を思い出した。

 周知のように、アベノミクスの前には今大きな壁が立ちはだかっている。事が順調に進んでいる間はよいが、少しでもそこに齟齬が生じ始めたりすると、反対派は急激に色めき始める。そして陰に陽にやろうとすることへのブレーキをかけ始めるのである。これが最近の現実だったのではないか。

 これに対して首相がやるべき事はただ一つ、要はアベノミクス貫徹への断固とした決意を改めて示すことだ。解散は形の上では野党への宣戦布告だが、首相は同時に自民党の中の「獅子身中の虫」に対しても、この伝家の宝刀を向けたかったのではないか。これはあくまでも筆者の想像だが、そんな風に考えてもみるのである。

 というのも、アベノミクスというのは、要は将来の日本に対しどのような思いを抱くか、いってみれば国家観を問う政策でもあると筆者は考えるからだ。この日本を何としてももう一度復活させ、世界の中心で輝ける国にしていくか、あるいはもはや成長は無理であるから、せめて社会保障だけは安心な穏やかな成熟国家にしていくか、そのような将来の日本が問われる提起だと思うからだ。

 いうまでもなく、首相がめざすのは前者であり、ともかく何が何でも、この日本に再び活力を取り戻さなければ話は始まらない、というのがその眼目であろう。一方、アベノミクスに反対する人々は概ね以下のような国家観を抱く人々に違いない。日本という「国家の力」を取り戻すより、むしろ生活の安定とか、財政の健全性だとか、中韓との協調の方が大切だと考える人々だということだ。

 これは何が何でも英国を再生させねばならない、と考えたサッチャー元首相の改革を巡っての図式のように筆者には思えてならない。これに対しては、当時ウェットと呼ばれる政治家たちが執拗にそれにブレーキをかけようとしたが、彼女はそれに対し遂に十年間戦い続けたのである。まさに元の「衰退する英国」への「Uターン」を断固として拒んだのだ。

 今日、この日本に問われているのも、このような戦いではなかろうか。あらゆる政策を総動員して何としてもデフレからの脱却を果たし、日本経済を再生させ、同時に日米同盟や安保政策を強化し、台頭する中国の脅威に対抗していく。そしてそのために、一日も早い改憲を実現し、この日本を自立の日本に立て直す。これこそがアベノミクスの出発点であり、そのために首相は自らの政権の手綱を今一度締め直す必要があると判断した、と筆者は考えるのだ。

 その意味で、今回の選挙はそうした安倍政治の目標を再確認する選挙に他ならない。アベノミクスはそのためにこそ成功させねばならない。解散の「大義」は、まさにここにあるのではないか。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成26年12月号〉