「歴史修正主義」と「正しい歴史認識」

 ニューヨーク・タイムズなどの米国大手メディアが、朝日新聞の記事取り消しによって正常化しつつある日本の「慰安婦」論議を非難している。ごく単純化して言えば、強制連行は事実であり、慰安婦は性奴隷だと断定し、それを覆そうとするのは「歴史修正主義」だと言うのである。

 これらの社説やコラムは「性奴隷」「強制連行」の根拠は何も示さず、それでいて「歴史修正主義」のレッテルを貼る。しかし、ウソで書かれた歴史を事実に基づいて「修正」してどこが悪いのか。逆に、事実究明による「修正」に対して、根拠のないレッテルを貼ることこそ政治的プロパガンダと言うべきだろう。

 何より、「歴史修正主義」を言い立てる米国メディアの「歴史の審判者」気取りに腹が立つ。

*       *

 去年九月、ハミルトン・フィッシュという、戦時中の米国下院議員の著書が翻訳、出版された(『ルーズベルトの開戦責任』草思社)。フィッシュ氏は、対日開戦を決議した議会で開戦容認演説もしたほどの重鎮政治家だったが、当時はルーズベルト大統領が日本にハル・ノートを突きつけたことも知らなかった。後年、ハル・ノートの存在など開戦の事情を知り、容認演説を行ったことを恥じてこの本を書き残したという(原著の刊行は一九七六年)。

 フィッシュ氏はこう書いている。「あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあった」「FDR(註・ルーズベルト)は狡猾で、抜け目のない政治家だった。ホワイトハウスに居座って、真珠湾攻撃の日は『恥辱の日』などと演説し、すべての責任を日本に被せたのである」と。

 ルーズベルトと同時代の有力政治家の書きぶりには説得力があるが、翻訳者によれば、この著書も米国では「歴史修正主義」と言われてきたという。「ルーズベルト外交は正しかった」という主流の歴史認識への異議申し立ては、いまだに「歴史修正主義」と貶められるのである。

*       *

 中国では「貶められる」どころではない。「日本軍国主義による被害」に疑義を呈することは許されない。「南京大虐殺三十万」は間違っているなどというと、「軍国主義者」のレッテルを貼られ、「三十万の犠牲者と十三億の中国人民が許さない」(習近平)ということになる。むろん、「三十万大虐殺」はまったくの虚偽である。日本で「三十万」を主張している研究者は左翼を含めて皆無と言ってよい。

 日本「軍国主義」による犠牲者の総数は、今では「三千五百万」と際限なく拡大されるが、大躍進、文化大革命、さらには天安門事件という中国共産党による犠牲者は問われることはない。むろん中国共産党による「抗日」の実態などは完全なタブーである。中国共産党の決定だけが「正しい歴史認識」なのである。

*       *

 日本側の証拠や主張は無視。異議申し立ては却下。米国や中国の行為はすべて不問——こう見てくると、米国の「歴史修正主義」、中国の「正しい歴史認識」をめぐる言論状況はまさに東京裁判を彷彿とさせる。ルーズベルト外交を是とするとする前提に立てば、日本が一方的に開戦したという歴史認識しか生まれてこないし、中国の「抗日」の内実を問題にしなければ、日本が一方的に大陸に攻め込んだという結論にしかならない。それこそ、まさに東京裁判史観である。

 こう見ると、ニューヨーク・タイムズが靖国神社を参拝した安倍首相を「歴史修正主義者」と書き、習近平が「両手が血にまみれた戦犯の霊にあくまで参拝」した政治家として暗に安倍首相を批判し、「正しい歴史認識」を要求したことは、象徴的な一致と言えるのではあるまいか。

 いま日本人が乗り越えるべきは、そうした米国や中国の一方的な「歴史の審判」だと言える。「終戦七十年」は、東京裁判のパル判事が言った「正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」、その「とき」としなければならない。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成27年1月号〉