国連で展開される中国の「日本無力化」戦略

 「歴史修正」というのが、中韓などの日本批判の常套語だが、ならばそちらは「歴史偽造」ではないか、と最近いい返したい思いがしてならない。

 例えば、戦後70年と国連創設70年に合わせ、2月23日に国連安全保障理事会で行われた公開討論会での中国・王毅外相の発言だ。「中国は常任理事国として、常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた」と彼は述べたのだが、これほど「噴飯モノ」の主張もないからだ。「常に」というが、そもそも国連の創設メンバーは中華民国であって現在の中国ではないし、朝鮮戦争ではむしろ国連の「敵」だった。しかし、そうした「そもそも論」はあえて措くとしても、少なくとも国連憲章の以下のような精神にどのように「従って」きたのかは、疎かにできない。

 「われら連合国の人民は……基本的人権と人間の尊厳及び価値と、男女、及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し……このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを……確保し……」

 これは憲章前文に掲げられた国連創設の目的だが、一読してこれほど中国がこれまでにやってきたこと、あるいは現にやっていることと矛盾することもないのではないか、と思う。それだけではない。憲章第1条の以下のような規定はどうか。

 「1 ……平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争、又は事態の調整、又は解決を平和的手段によつて且つ正義及び国際法の原則に従つて実現すること」

 「3 ……すべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」

  尖閣だの南シナ海だの、あるいは人権への中国政府の姿勢だのと、これを見て誰もが思わされるのはそれとは全く逆の中国の姿ではないか。どれを見ても「これも違う、あれも違う」と思わされることばかりだからだ。にもかかわらず、何の恥じらいもなく「常に国連の役割を支えてきた」とぬけぬけという。それをいわせる国連も国連だが、国連とは要はそのような嘘をつく場、すなわち「歴史偽造」の場なのか、といいたくなる。

 いうまでもなく、中国がそのような日本批判に改めて乗り出してきたのは、要は日本の力を削ぎ、中国に従わせるようにするためだといえる。米国のある中国研究者は、中国の究極的な目標を「米国の覇権を奪い、中国主導の国際秩序を築くこと」(マイケル・ピルズベリー)と指摘するが、そのためにはまずアジアで、その前に立ち塞がる日本を「無力化」しなければならないということなのだ。氏はそのために繰り出されるのが「現在の日本は戦前の軍国主義の復活を真剣に意図する危険な存在だ」とする「日本悪魔化」工作だとする。つまり、中国はこれまで国内統治上の必要からこれを実践してきたが、今やむしろ世界戦略上の目的のために、換言すればそうした「大国外交」の一環として、このような「日本無力化」戦略に乗り出してきた、ということなのだ。

 そう考えれば、今日本がやるべきは、そうした中国の真の目的を逆に国際社会に向けて積極的に知らしめていくことではないか。つまり、中国のいう「国際秩序の変更」を企んでいるのは日本ではなく、実は中国であり、それこそが「中華民族の偉大な復興」という彼らの目標に他ならない、ということだ。それは残念ながら、国連憲章が示す基本的理念とは相容れない中国的な「夢」でもある。であるならば、むしろ国際社会は、今こそその異様さ、危険性を明確に認識する必要があるということだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン平成27年3月12日付〉