「最後の一人まで戦え」

現在の硫黄島。手前に見えるのが摺鉢山
 

 ちょうど七十年前の今頃、大東亜戦争の激戦地であった硫黄島では、わが軍と米軍との死闘が繰り広げられていた。「硫黄島の戦い」である(昭和二十年二月十九日~三月二十六日)。

 硫黄島は東京とマリアナ諸島のほぼ中間に位置し、米軍にとっては日本本土への渡洋爆撃の中継基地であり、日本にとっては本土防衛のため死守すべき要衝であった。

 南北八キロ、東西四キロのこの小さな島を米軍は五日で陥せると見込んでいたが、日本軍は二万余の兵力で、七万五千の米軍を相手に三十六日間にわたって抵抗を続け、米軍に二万八千もの犠牲を与えて玉砕した。大東亜戦争で米軍の損害が日本軍を上回った唯一の戦いであった。

 この戦いを指揮したのが近年、映画や伝記で有名になった栗林忠道陸軍中将である。敵の司令官、スミス米海兵中将は栗林中将について、こう述べている。

 「わが軍に莫大な損害を与えたのは栗林将軍である。彼はその部下に『最後の一人まで戦え』と教え、特に各人はそれぞれ敵十人を倒すまで倒れるべからずとの訓令を発している。
 彼は知将たるのみならず、鉄石をも貫かずんばおかざる猛将であった。戦闘停止後、戦場で血にまみれ息まさに絶えようとしていた幾多の日本将士にたずねても、そのことごとくが将軍の卓絶した戦術と熱火のごとき闘魂に心酔していたことを語っていた。まことに立派な将軍であった」

 硫黄島の戦いから半世紀を経た平成六年二月、天皇皇后両陛下は硫黄島に行幸啓され、栗林兵団司令部の置かれた所にある慰霊碑を拝礼されるなど慰霊を尽くされた。その時にお詠みになったお歌の一部。

  御製
 精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

  御歌
 慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ

〈『明日への選択』平成27年3月号より抜粋〉