習近平の中国・鮮明さを増す「強権体質」

 いま中国といえば、この3月31日に創立メンバー国の締め切りをしたAIIB、すなわちアジアインフラ投資銀行が専らの話題だが、今後もこれは国際社会における中国の台頭とその意味をわれわれに考えさせる実例教材となっていくに違いない。

 ところで、この中国の台頭については、先にこのメルマガでも触れさせていただいた。これまで中国は鄧小平の遺訓である「韜光養晦」の教えを守り、表向きはいわゆる「平和的台頭」を基本とする路線を歩んできたとされるが、これが今習近平政権となり、明確に改められつつあるという現実である。最近では、彼らの口からも「大国外交」という言葉が臆面もなく語られ、米国に対しては「米中両国による『新型大国関係』」なるものすら提起されている。まさに中国はこれまでの「韜光養晦」路線を明確に否定し、いわば彼らのいう「中国夢」をめざす道程に入ったということだ。

 むろん、この事実自体、きわめて重大な問題だが、ここではそれとともに最近明らかになりつつある習近平政権の性格そのものを、同時に注視することの必要を指摘したい。中国の「大国外交」への転換は、いってみれば大国化とともに必然的に出てくる流れともいえようが、われわれが今注視すべきは、その転換が習近平政権という今とりわけ独裁傾向を露わにしつつある異形の政権によって進められつつある、という現実なのである。

  その意味で、この3月に行われた中国の全国人民代表大会は重要な意味をもっていたというのが筆者の認識である。讀賣の社説は以下のように指摘した(3・16)。

 「習近平政権の独善的な強権体質が、(この大会で)より鮮明になったといえよう。……習政権は全人代で、国際社会の様々な懸念を意に介さない態度を取り続けた。国防費の大幅増は、その象徴だろう」

  この社説はこう指摘しつつ、中国の南シナ海におけるフィリピンやベトナムに対する傍若無人な行動、香港住民の民主化要求に対する一切聞く耳をもたない姿勢、ウイグル人等少数民族に対する強引な民族抑圧政策、そして環境問題に関して当局を告発して大反響を呼んだ国内のインターネットへの閲覧不能処分等々、そのいよいよ鮮明さを増す「強権体質」を指摘したのである。そしてその上で、更に以下のようにも説いた。

 「法の支配、民主化、言論の自由といった普遍的な価値に、積極的に共感を示す指導者が現政権に見当たらないのは、残念である。/この傾向は、『力による統治』を進める習国家主席個人への権力集中が、共産党、国家、軍で強まったことと無縁ではあるまい。……従来の集団指導体制が持つ中国政権内の相互抑制機能が、失われつつあるようにも見える。/個人を制御できない政治の危うさは、中国が過去に何度も経験してきたはずだ。習氏の権力の動向は慎重に見極める必要がある」

 過去の江沢民政権や胡錦濤政権の性格をどう評価すべきかはともかく、少なくともそれは「集団指導体制」を基本としていた。つまり、ある程度の「相互の権力抑制機能」があったということだ。しかし、今日の習政権ではそれが失われつつあり、むしろ「個人崇拝」さえ予感させる動きが始まっているという。そして、その中で反腐敗闘争が発動され、習主席への権力の「全面集中」が進みつつあるという。

  同時に、教育の現場では、それに併せて徹底した「西側の価値観」の排除が進みつつあるとの指摘もある。大学等に対し、これらを排除し、「社会主義の核心的価値観教育」の徹底を求める圧力が加えられつつあるというのだ。つまり、中国は今明らかに変わりつつあり、われわれにはこの点についての注意も怠れないという話なのである。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン平成27年4月10日付〉