教科書は変わったか2015③ 歪められる「平和主義」と教えられない「国防」

教科書は変わったか2015③ 歪められる「平和主義」と教えられない「国防」

教科書検定では領土記述の増加、政府見解の掲載が話題となっているが、公民教科書にはまだまだ根本的な欠陥がある。


 

◆歪められる「平和主義」と教えられない「国防」

 

 そうした「国家」の視点を欠いたまま「平和主義」を記述すればどうなるか。とんでもなく歪んだ平和主義理解へと暴走してしまう例も出てきてしまう。

 「日本は平和主義の下、第二次世界大戦後一度も戦争に巻き込まれることなく、平和を守ってきました。(中略)軍備の縮小を進めて世界平和を追求する方法として、平和主義は現実的な選択になっています。(中略)/私たち一人ひとりが夢を実現できる平和な社会を築いていくためには、平和主義を広めることが必要です」(帝国)

 九条の平和主義が「現実的選択」となっており、九条の平和主義を世界に広めることが必要だという趣旨の記述である。しかし、それが「現実的選択」になっているとは何を根拠に言えるのかまったく理解できない。また、九条の「平和主義を広めることが必要です」というのは、九条を世界に輸出しようとか、九条にノーベル平和賞をという一部の運動家の空想的な主張でしかない。

 また、帝国、教出、日文の三社は、九条の戦争放棄や戦力の不保持を説明するため、各国憲法の平和条項を例示している。教出を例にとれば、ドイツ憲法(第二十六条の侵略戦争禁止)、イタリア憲法(第十一条の戦争否認)、韓国憲法(第五条の侵略的戦争否認)などが条文とともに紹介されている。

 ところが、これらの国の憲法は九条一項に相当する平和条項だけを規定しているのではない。実は平和条項と同時に国防の義務も規定している。しかし、三社ともその事実にはまったく触れることはない。このことは何も比較憲法の専門書を見なくても、育鵬が図版で掲げている各国憲法の規定の紹介と比較すれば一目瞭然である。「日本以外の国でも、憲法で戦争の否認や放棄などが規定されています。また、同時に憲法で国民に国防の義務を課している国もあります」との説明文とともに、イタリア共和国憲法では第十一条とともに国防の義務と兵役の義務を規定した第五十二条、ドイツ連邦共和国基本法では第二十六条とともに兵役の義務を規定した第十二条a、大韓民国憲法では第五条だけでなく国防の義務を規定した第三十九条も掲げている。

 つまり、各国憲法の「平和条項」は、決して「国防の義務」と矛盾することなく、むしろ当然のものとして規定されているわけで、前出三社は、その事実には目をつぶって、九条の規定と同様の規定が他の国の憲法にもあることだけを強調したこととなる。これは「平和主義」に対する理解を歪めるものと言わねばならない。

 ちなみに、「戦争の放棄」は各国憲法の多くに規定される条項だが、九条二項の「戦力の不保持」は世界に例をみない規定とされる。そこで帝国、教出、日文の三社はともに中米コスタリカの憲法を持ち出し、コスタリカ憲法第十二条「恒久制度としての軍隊を廃止する。公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する」を掲げている。九条二項と同趣旨の戦力不保持の憲法規定が外国にもあるというわけである。しかし、コスタリカ憲法はこの条文に続いて「アメリカ州の協定によりまたは国防のためにのみ、軍事力を組織することができる」と規定している。つまり、常設の軍隊は持たないが、自国防衛や米州機構の協定のためには軍隊を保持するとの趣旨である。三社ともにこの文言を抜いて紹介しているわけで、これは改竄とも言える恣意的な引用である。些細な点ではあるが、前記の各国憲法の恣意的な紹介と併せて考えれば、「国防」は教えないという教科書執筆・制作サイドの偏向姿勢が垣間見える。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成27年5月号「日本と国家を教えない教科書」より抜粋〉

 

【本論文の主な内容】

 ・「主権」を教えない領土問題

 ・自衛権は政府見解なのか

 ・歪められる「平和主義」と教えられない「国防」

 ・「相互尊重」だけを教える国旗・国歌

 ・「異文化理解」は教えても自国文化の尊重は教えない

 ・教科書の執筆姿勢を問うべきだ

〈続きは、『明日への選択』平成27年5月号で読めます〉