平和主義は戦争を誘発するという逆説

平和主義は戦争を誘発するという逆説

第一次世界大戦後の平和主義はかくて戦争を引き起こした


 先号の「今月の主張」では、いわゆる「平和主義の逆説」ともいうべきものについて書かせていただいた。現在国会で審議中の平和安保法制に対し、反対派はそれをあえて戦争法案とねじ曲げ、「戦争は恐ろしい」「戦争をしてはいけない」と国民の反戦感情を煽る反対キャンペーンに躍起となっているが、そうした「平和」を至上の命題として掲げる主張の反面に潜む陥穽というか、危険性について指摘したいと考えたからだ。「戦争をしてはいけない」「平和は絶対」といわれれば、誰もがそれにあえて反論するのは容易ではない。しかし、果たして話はそんな単純なものなのか、という話である。

 ならば侵略された時、われわれはただ相手に蹂躙されるまま、なされるがままでいいのか、と問い返すのも一法であろうが、それだけでなく、一方、そのような主張がむしろ逆に侵略者に機会を与え、成功を確信させ、実際に行動に踏み出させる誘因ともなる、という逆説のようなものも指摘されるべきだと考えるからだ。

 その結果、もはやそれと正面から戦う以外に阻止する方法がないという事態となってから、その侵略者に対決しようとしても、その時は既に遅い。先号ではその例として、第二次大戦前のヒトラーに対する英米の平和主義の事例を引かせていただいたが、しかしそこでは紙数の関係上、チャーチルが自らの回顧録で示した痛切な悔恨、ミュンヘン会議の際のイギリス国民の倒錯した世論等々、紹介できたのはごく一部の、それもただ表面に触れただけの事実でしかなかった。

 そこで本号では、あえて重複を覚悟の上で、もう少し詳細に当時の平和主義の内容、及びそれがもたらした結果について、改めて紹介してみたいと考えるのである。

 確かに、「戦争は悲惨だ」「戦争をしてはいけない」というのは、筆者を含めた国民全ての共通の心情ではあろう。しかし、それが意味をもつのは、人類全てがそのような思いを共有した時であり、その逆に、もし自己がめざすものは戦争をしてでも獲得すべきだし、またそれが可能だと考える者がどこかにいるとすれば、この思いはむしろかかる侵略者に対しては逆にその意欲を昂進させる誘因ともなる、という話なのである。(『明日への選択』平成27年9月号より抜粋)

【本稿の主な内容】

 ・第一次大戦後の戦争忌避感情

 ・ヒトラーに対する平和主義の反応

 ・ミュンヘン会議前後の英仏の臆病と不決断

 ・平和主義の結末

→続きは、こちら