これでは「筋が通らない」

 五月以来、新聞などメディアが展開する平和安全法制の論議を読み聞きし、何度憤りを覚えたことか、数え切れない。デマ宣伝のような報道は言うまでもないが、あまりに筋の通らない議論が多かったからである。

 例えば、「内閣の勝手な解釈変更が通るなら、憲法などあってなきがごとし」と朝日新聞の天声人語は書いた(六月六日)。安倍内閣による集団的自衛権に関する憲法解釈の変更を「勝手な解釈変更」と言うのであれば、従来の政府解釈は正しかったというのだろうか。従来解釈は集団的自衛権を持っているが行使できないと断定した。しかし、持っているが使えない権利などあるはずがない。選挙権を持っているが投票は許されないというのと同じである。従来解釈のそんな根本的欠陥について朝日新聞では読んだことはない。

 かつての解釈は集団的自衛権行使は「必要最小限度」を超えるから「憲法上許されない」としていた。しかし、集団的であれ個別的であれ自衛権は「固有の権利」である。憲法九条によって自衛権行使が「必要最小限度」に制限されているというのであれば、「必要最小限度」の範囲に入る集団的自衛権も当然あるはずである。にもかかわらず、固有の権利である集団的自衛権の行使が「必要最小限度」を超えると解釈され、その理由は説明されていない(むしろ、説明出来ないと言うべきだろう)。

 さらに言えば、安倍内閣が集団的自衛権行使の条件とした「国家の存立」が、その「必要最小限度」のなかに入らないはずがない。そもそも自衛権は「国家の存立」のために行使するものだからである。従来解釈の欠陥には口をつぐみ、当たり前の解釈への変更を「勝手な解釈」などと言う。これでは「論理の筋」が通らない。

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 「自衛隊が攻撃される危険」とか「自衛隊員の命を軽く考えるな」といった類の、自衛官のリスク論も主張された。しかし、自衛官が危険な任務につき、リスクを背負ってくれるからこそ、国民のリスクが下がる。誰でも分かることである。

 と同時に、そんなことを主張している連中には口を噤んでいることがあることを指摘したメディアはほとんどなかった。二十年近く前のことだが、産経新聞の大野敏明氏がこんな体験を書いている。

 「私の父は自衛官だった。……小学校の四年生だった私は社会科の授業中、担任の女性教師から『大野君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです』と言われたことがある。聞いていた私は脳天をハンマーで殴られたようなショックを受けた。……それ以来、同級生の態度が変わった。給食の時間は机を集めてテーブルクロスをかけ、みなで一緒に食べていたのが、私ひとりだけのけ者になった。教室の隅でひとりで食事した」。

 こんな体験は大野氏だけではなかった。「都立の全寮制高校に進学して驚いた。そこには……転勤族である自衛官の子弟が多数、在籍しており、その多くが私と似たような経験を小、中学校で味わったというのだ」。大野氏は最後に「自衛官とその家族には人権はなかったのである」と書いている。

 教室だけではない。自衛官の住民登録拒否とか大学・高校への転入学拒否というのもあった。人権侵害そのものと言える。テレビ中継された反対集会では「○○教組」「△△市労組」などという旗が掲げられていたが、彼らはそんなかつての言動には口を噤み、自衛官のリスクを語る。これでは主張したことに対する「倫理の筋」が通らない。

 論理においても、倫理から見ても、こんな筋の通らない議論にごまかされてはならない。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成27年10月号〉