憲法かく論ずべし

憲法かく論ずべし
国のかたち 憲法の思想

著者:伊藤哲夫

定価:1,500 円+税

 

 

憲法に国家なく、国家に思想なき時代――憲法論議はこれでよいのか 憲法の根底にあるべき「国のかたち」「憲法の思想」に立ちかえりつつ、「五箇條の御誓文」以来の歴史を再評価し、「市民革命」神話・「人権」神話を問い直す。(四六判256頁)

 

 

 

【はしがき】

 

本書はここ四年ほどの間、著者が所長をつとめる日本政策研究センターの月刊誌『明日への選択』に書きためてきた、憲法に関する著者の小論をまとめたものである。ここ数年盛り上がりつつある憲法論議に触発され、折にふれ自分なりの感想、あるいは主張を書き連ねてきたものだ。

もちろん、憲法とはいっても、現憲法の具体的条文・内容を対象にしたものは一本もなく、どちらかといえば憲法を考えるに当たって、その基礎となるものの考え方、歴史認識、国家観といったものがテーマになっている。憲法に関する議論は山ほどあるが、もう少しこうした基本的な問題に関する論考があってもよいのではないか、というのがかねてからの著者の感想でもあったからだ。

というのも、卑近な例で恐縮だが、憲法を家に見立てれば、今日一般に行われている憲法に関する議論は、最も大切な家の土台、あるいは構造、そして何よりも家の設計思想というものを全く問わず、要はここに出窓をつけましょう、キッチンはこう変えましょう、壁紙はこんな具合で――といった議論を行っているようなものに思われてならないからだ。つまり、ここに著者がいうところの憲法にとっての基礎的なものは、はなから問題にすらされてはいないのである。

むろん、憲法というものは、いつもいつも「根底的」に問われるべきものとは限らない。憲法の制定というものを「主権の発動」と捉えるならば、その「主権」なるものは、むしろ日常的には憲法の中に「封印」されているのが理想ともいえるからだ。それが国家の安定というものであり、そうでなければ常に国家はあのフランス革命の時の政治的混乱のように、いわば「むき出しの主権」の下での恐怖に揺らぐ他ないからである。

とはいえ、ここでいいたいのはそういうことではない。周知のように、この憲法は占領下につくられ、そもそも当初からその土台、あるいは「思想と構造」が問われ続けてきたものであるからだ。米人将校による一週間での起草という事実が象徴的に示すように、そもそもそこには占領政策の視点はあっても、「日本の憲法かくあるべし」という基本的な前提は何ひとつなかったのだ。だとすれば、この憲法の再検討は、むしろ「根底的」たることが絶対の条件なのではなかろうか。

そうした見地から、著者としてはこれまで、個々の憲法条文より「国のかたち」「憲法の思想」といったものに主に関心を向けてきた。まずこれらの問題を整理した上で、これからの憲法のあり方に対する議論が始められてもよいではないか、と考えてきたからである。この著者の認識がどの程度当を得ているかは読者の判断を仰ぐ他ないが、本書の基本的な性格としてここに一言させていただくこととする。

平成12年11月 伊藤哲夫

 

【目 次】

はじめに 

改革論における「思想の貧困」 「序」にかえて
改憲論は改憲論でも……
薄められた「丸山主義」
真の行革とは「国柄の転換」?
日本「断罪」の歴史認識
行革とは「憲法の精神」の実現をめざすこと?
「自律的な個人」という幻想 

 

第1章●明治憲法を擁護する

 

明治立憲政を再評価する 米人学者の見た明治憲法の意義
戦後憲法学の弊風
アジアで最も長命な立法府
日本の政治伝統に根ざした明治立憲政
日米両国の類似性――「建国の父」と明治指導者
「世界の眼」を意識した両国の指導者
日本は立憲政治を「ほぼ公正」なやり方でなし遂げた

明治憲法は「専制」憲法ではない この事実をなぜ無視するのか
余りにも一方的な対日認識
これは事実を踏まえた認識といえるのか
「万機公論に決すべし」をどう考える?
大久保利通の「民主制」理解
否定された「プロシア流君権主義」
日本的立憲主義への志向――とりわけ井上毅の役割
立憲主義は「本物」だった

明治指導者の民主主義理解 「岩倉遣欧使節団」は何を見たか
米国政治への評価と危惧
英国の「二院制」と「議院内閣制」
仏共和政治への否定的評価
プロシア立憲主義との出会い 

 

第2章●国のかたちを求めて 

 

五箇條の御誓文を考える 何がこの大憲章を生みだしたか
維新のなかで生まれた「大憲章」
御誓文を生み出した二つの「思想の流れ」
国難のなかで台頭した「尊皇思想」
「勅命」と「公論」による革命的転換
「幕府専裁」から「公議輿論」へ
幕府の下から、朝廷の下での「公議政体」へ
慶喜の新政権構想だった大政奉還
王政復古のクーデターへ

五箇條の御誓文はいかにして成立したか 「諸侯会盟」から「国是誓約」へ
「諸侯会盟」構想
由利公正の「議事之体大意」
福岡孝弟と「諸侯会盟」
なぜ「諸侯会盟」は「国是誓約」へと転換したのか
国民的レベルでの「公議政体」宣言 

 

第3章●市民革命神話を疑う 

 

崩壊する「市民革命」神話 修正派に見るもう一つのフランス革命解釈
「市民革命」神話と戦後日本
「修正派」の台頭とそのフランス革命解釈
革命など「余計なお世話」だった
「革命」はなぜ急進化したのか
必然だった「革命の全体主義的回収」
今こそ「神話」解体の作業を

フランス革命とは何だったのか それは「自由の源泉」などではなかった
戦後憲法の「原型」としてのフランス革命
初めから無視された「人権宣言」
「一七九二年・九月の大虐殺」
「人民の意志」の実践たる恐怖政治
教会の破壊、そして「ヴァンデの虐殺」 

 

第4章●人権を問い直す 

 

「人権」はどこから生まれたのか 伝統を母体として生まれた英国民の「人権」
共同体の解体から「個」は生まれる?
権利章典――何も新しいものを生み出さなかった革命
「権利」の母体は「共同体の法」
「王国の不変の法」に由来する「伝統の論理」
「古き共同体」こそ法の母体であった

「神の政治」と「人の政治」 民主主義は「神」を追放したか?
戦後思想の基本図式――圧制に対する自由の勝利
「神の政治」から「人の政治」へ――宮沢俊義氏の指摘
果たして民主主義は「神の権威」を認めないか
アメリカ革命思想における「神法」の観念
宮沢氏における「唯物論的テーゼ」
アメリカ革命を導いた「良心の自由」の観念
ピューリタンと「アブラハムの物語」
社会契約論の原型としての「教会契約」の観念
日本における民主主義の再検討を 

 

第5章●戦後日本を論ず 

 

なぜ「国家主権」を論じないのか 「国家主権忘却」の憲法論議は成り立たない
意識されることがなかった「四月二十八日」
欠落する占領の「苛酷さ」への認識
憲法第九条の淵源は「主権制限」
再軍備の好機を逃した日本
主権回復を回避するという「倒錯」
主権回復の意義の再確認を

戦後日本とサンフランシスコ講和条約 ポツダム宣言一辺倒論からの脱却のすすめ
ポツダム宣言とサンフランシスコ講和条約
わが国を「犯罪国」と規定するポツダム宣言
画期的だった「敵対規定」なき対日講和条約
日本に「集団的自衛権」を与えよ
サンフランシスコ条約をこそ重視すべきだ

制憲史は「GHQ美談」ではない 「制憲史再検証」への注文と期待
憲法調査会と「制憲史再検証」
「押しつけ」肯定論者の驚くべき主張
日本側憲法案は「遅れていた」か?
そこにあったのは「善意」ではなく「勝者の意志」だ
国民はこの憲法を「歓迎」したか
見えてくる歴史の真実

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